自然創造の『人』という生命存在は
自然量子の海(またはエーテルなどの表現もいいかもしれない)から産まれ
そして生かされている物質波構成の実体である。
当然自然量子の海から切り離されることはなく
物質生体が使い物にならなくなるまで生命の本質である霊魂を
その身に留まらせてくれるだろう。
そのような数次元に亘る波長層の透過構造を自らの意識のスクリーンに
真実に沿って写し出せたなら
その『人』の価値観は物質平面の置物から量子跳躍の創造光の深い輝きへと
正転させるだろう。
表層五感のセンサーに繋がれた人間は 相互五感を介してお互いの
姿を知るのであるが
肉体次元はそれでこと足りても 本質生命体である霊魂は量子波の海に
明確に存在しているのであるから
眞の『人』の本質を識ろうとするならば
お互いにそれぞれが自然量子共振を通じてお互いの霊質の鏡に
自然クライン環(この世とあの世の融合体)の真実を写し合うことである。
これが永い間 時間を超えて蝶たちから教えられたことである。
… … … … …
(一年前の感想)
長い説明は要らない。
まさに以下の言葉が全てを言い顕わしている。
『眞の『人』の本質を識ろうとするならば
お互いにそれぞれが自然量子共振を通じてお互いの霊質の鏡に
自然クライン環(この世とあの世の融合体)の真実を写し合うことである。』
(本年の感想)
長い説明は全く要らないものである。
『眞の『人』の本質を識ろうとするならば
お互いにそれぞれが自然量子共振を通じてお互いの霊質の鏡に
自然クライン環(この世とあの世の融合体)の真実を写し合うことである。』
『 』の言葉の眞の意味を識る以外に無いものである。
そのために私たちはこの三次元肉体を養い持ち 三位たる『自然クライン環』を原初から具有しているのである。