洗心 senshin

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本来の資質。

2022-11-30 11:04:51 | つぶやき

あらゆるものに意識があり そうしてあらゆるそれらは生命存在であり

それらの意識波長層を内奥で統括するグレートに過ぎる『神』がおられる。

 

しかしこの形容ですら顕在意識から忖度した表現であり

すべてを網羅した表現には至らない。

 

更にすべてを網羅しようと試みるならば 『人』はその顕在意識を離れ

潜在意識の更に深層までを旅して来ねばならない。

 

潜在深層の旅は夢でも白昼夢でも瞑想でも叶うかもしれないが

顕在現実に帰れば重要な多くを忘れ去ってしまう。

 

それほどに 顕潜両意識には次元層の隔たりがある。

『人』は顕在意識が総てであるという染脳状態にあり潜在を夢か幻と決めつける。

 

そこに現人類最大の超えられない壁を自ら形成した結果が今現在の姿である。

既に原初から有りて在る見えない次元こそあなたがた本来の資質なのである。


判る。

2022-11-29 09:32:25 | つぶやき

地球が球体でも平板上でもどちらでも良く 表層脳解釈がどうあろうと大自然は太古よりの悠久の時を刻むのみ。

要は そもそもが地球環境は十数次元の融合体であり 自然量子管轄のクライン環であることさえ熟知すれば(目に見える形態がどうあれ)常に自己完結していく。

更に言うならば 『人』個々の存在形態も地球環境の集約であるから同じく自然量子の集約端末としての機能を持たされているのだ。

本来そうであることを生きながら証明するために『人』は生かされているといっても過言ではないだろう。

だからこそ あらゆる学術概念を駆使してとりあえずは眼に見える世界を解き明かそうとするのであるが その前に『人』己自身の眞の成り立ちを識る必要がある。

その生死を超えた顕潜両立意識に立てば凡その自然クライン環の超立体見取り図が観えて来るであろう。

その時 漸く『地球』の眞姿も己の眞姿も『宇宙』の眞姿も浮上して来るだろう。

近未来には 『人』(生命体)も『惑星』も『宇宙』も量子ネットワークに正接するフラクタルに関与し合うクライン環の物理面であることが判るだろう。


すぐそこまで来ている。

2022-11-28 11:36:03 | つぶやき

この地球が球体であろうと平盤形状であろうと それは「人間」の表層脳認識だけの問題である。

そのような人の認識がどうであろうと 数十億年が保たれて来ているのであるから 低次な表層認識で見えない高次元までを道連れにして貶めてはならない。

自らの生体の成り立ちや実際の生命活動を自然量子に副って 能々観察することである。人体の表層条件だけではとても説明できない更に深い意義性に驚くだろう。

卑近な自らの生体活動圏内ですら無数のミラクルに護られ『人』として在らしめられているのだ。

人の姿形の均整さもさることながら見えないクライン環流の神域に至る超越性は「人間」から『人』への昇華の課程に於いてその自覚と再生は必須課題である。

それらが自然神の意向に副い達成できた時 『人』は眞の地球の姿を心から悟り 宇宙と云われる実体の眞姿も魂から共振出来るようになるだろう。

そんな未来はもうすぐそこまで来ている。

 


更に磨いて。

2022-11-27 10:08:21 | つぶやき

難しいことだが 波に揉まれても自然に還れば浮かぶ瀬はある。

そうして辿り着いた浅瀬が新天地であれば最上の慶びだが

そうでなくとも得られた体験の糧は大きい。

 

この地球圏の民は波乱万丈の身の上を潜在脳に秘め

自然量子界の眞の神の意図を希求し続けて来たのであろう。

それらの霊質昇華の確定波が『今』まさに地球圏を持ち上げているということだ。

 

もとより個々の霊質向上を悲願として切磋琢磨して来た魂ならば

この今の世の聖なる激動を観て 寧ろ好機到来と武者震いを禁じ得ないだろう。

自然量子の領域から観たら 地球圏は数千~数万年来空前絶後の大変換期である。

 

この時 表層意識に誑かされず深く確かに量子意識と繋ぎ揺るがぬことである。

あなたがたの深層意識がその根源より信じ疑わず すべてを輝かそうと

それぞれの愛の火(光)を燈し続けた生き様をネットワークは記録している。

 

まもなく それらの真実領域が私的にも公にも浮上して来るのだ。

過去に積んで来たあなたならではの自然量子の徳を改めて見直し

これからの新しい時代に備えて更に磨いていこう。


照らされる。

2022-11-26 14:48:19 | つぶやき

私の言うことはあなたの表層脳に都合のいい言葉ではないがゆえに

耳に心地よく響くとばかりは限らない。

そのようなことも想定したうえで敢えてこの言葉を備忘録に刻む。

 

意識の段階が変わればいずれは判ることなのであって 

その精妙なチューニングは時空間がやってくれること。

表層脳で表層を啄んでも そこを覚らぬ限り全体像は観えぬ。

 

大空から俯瞰しない限りミステリーサークルは眼に入ることはない。

足元に横臥する麦を踏みしめ徘徊するのみなのである。

ナスカの地上絵も空を翔ぶ観座を持たぬ限り観ることは叶わぬ。

 

言葉を読み言葉に捉われず わが想いを空(くう)に放て。

大自然のクライン環の意味が自然量子光に照らされるであろう。