洗心 senshin

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今後

2013-09-30 06:01:00 | ノンジャンル

先ずはあなたがたが

人知で「常識」と言っている『非常識』を

宇宙視野で客観出来なければならない。


それぞれがそれぞれの表層概念において自由にする…

それは大いに許されるだろう。


しかしだからと言って

それぞれの自然生命としての根拠を踏みにじることは

許される筈もない。


なぜなら

あらゆる生命種が

多岐多次の関わりに拠るとしても

その本源は全く同一の包括クラインの中に

確かに存在しているものであるからである。


細かいこと難しいことはさて置き

今後の地球人はこの『常識・非常識』を

包括的に超えて

全人類(全地球生命)共一の本源を

リアルに適宜に認め合い譲り合い

(本源がそうであるように表層もその如くに)

融合し合えるかどうかに

かかっている。







脱却

2013-09-28 07:00:00 | ノンジャンル

「そうは言ってもね。」

「人間が神の器械になどなれないよ。」


確かにその通りであろう。

地球学の常識から言えば

誰もおいそれと神の化身になどなれるものではない。


しかし

この惑星の自然の姿は

紛うことなき神の化身であろう。

人知など一かけらも混ざり込んではいない。


そして

不良星界人といわれる我々地球人さえ

その惑星の自然の中から誕生し

護り育てられているのだ。


たかだかの浅い歴史の

教条思考や唯物思考波長に幻惑され

おのれ自身が自然物であることすら

忘れ去っているだけなのである。


ならば話は簡単至極である。

自然物としての究極に限りなく近づけばよい。


教条思考や唯物思考の波長帯で取り繕うから

いつまで経っても自然霊との交流すら儘ならない。


それでは生身のままで

惑星次元・恒星次元の神々との交流など

出来る筈もなかろう。

このことに死んでから気付く

(死んでも気付けない者も多い)

だから不良星界人といわれるのである。


自然物としてのおのれに還り

惑星意識を立体的に判り

恒星の発振する桁違いの愛を享受出来ることが

先ずは不良存在からの脱却である。









構帯図

2013-09-27 07:13:00 | ノンジャンル

本源波とともにある優良星界人が

地球人に対して

地球学的に情け深いなどと想像する

見当違いは修正した方がいいでしょう。


不良地球人の欺瞞に満ちた社交性とは

凡そ周波数特性に雲泥の差があることぐらいは

もうそろそろ理解できてもいいだろう。


宇宙自然の本質層が寡黙で

それでいて無限の安寧に包まれているように

本源波は全ての個々類人種をそのように

常に完璧な自立に導いている。


人の表層五感ではまるで捕捉できないけれど

共振する振動波層が深くなるほど

静謐なほんものの愛のエネルギーが

時空間を超えて溢れ続けているのだよ。


だから

類人種として本源波共振している

いわゆる優良星界人は

惑星本質や恒星本質と同源同質の

途轍もなく大きな自然特性に

満たされている筈だよ。


彼らは

自然理念とともに

わたしたち地球人を静かに観ているのだよ。


それぞれが自立して本源に繋ぐことが

ほんものの愛溢れる優良星界に

時空層移行する唯一の方法だよ。


それには

個々それぞれの

『洗心』の極めが

不可欠とされている。


この宇宙に存在する限り

どんな類人種にも

全く同源同質の構帯図が

すでにあるのです。









君たちこそが

2013-09-26 12:16:00 | ノンジャンル

そこで石のように静かに

花のようにただ微笑んでいれば

悟りが開かれると思っていたのか?


まさかのまさかだよ


鉱物や植物…

それらの生命種は

そのあるがままに

何十億年も宇宙の悟りを

すでに享受している


類人種は

石や花とはその波長帯が異なる

彼らの周波数はすでに経験し卒業しているのだ

今度は自らが惑星を護らねばならないのだ


類人種こそが

動的究極として根源波と繋ぎ

地球が析出させた美しい自然を

護りゆかねばならないのだ


いつまでも

表層物理のたわ言で

宇宙創造神の御名を汚していてはならない


君たちこそが

神々の生きたる器械なのである








それぞれの季(とき)

2013-09-25 07:28:00 | ノンジャンル

既成の言葉や概念波に

依存し続ければ

所詮

その概念波長しか及ばない

固く狭く暗い次元に

自己意識を縛りつけることになる


永い間の

その誤謬の構造そのものを

幾重にも客観し

あらゆる自他を含めた根源波を

立体透過することだよ


それを洵の『洗心』という


そうすれば

強く正しく明るい

万物の包括宇宙が観えてくる


既成の言葉や概念波長に囚われることが

如何に本源効率を貶める意識の在り方であったか

豁然と判る…それぞれの季(とき)が

訪れるだろう