こどもの頃は
おとなたちを信頼していた。
おとなになった時
無垢なこどもたちに全面的に応えられぬ
おとなの常識に悪魔を観た。
こどもは過去も未来も赦し生れ落ちる。
おとなへの階段で赦した筈の咎を拾う。
おとなもこどもも魂の道は同じだ。
嘗ての無垢の魂に戻り
学び直す勇気を持たねばならない。
おとなたちを信頼していた。
おとなになった時
無垢なこどもたちに全面的に応えられぬ
おとなの常識に悪魔を観た。
こどもは過去も未来も赦し生れ落ちる。
おとなへの階段で赦した筈の咎を拾う。
おとなもこどもも魂の道は同じだ。
嘗ての無垢の魂に戻り
学び直す勇気を持たねばならない。
… … … … …
(一年前の感想)
一年前より さらに深く魂に響いてくる。
子どもの頃からの深い体験は大人になっても色褪せぬはずなのだが 多くの大人は表層脳の色に染まる。子どもの頃の無垢の鏡に写した真実こそ 一生を補って余りある宝なのである。
(本年の感想)
三つ子こそが 『自然神』のクライン窓であるということがまだ判らないのか! 子どもを汚すことは『神』を汚すことである。