洗心 senshin

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物語。

2022-09-30 11:54:26 | つぶやき

今日も蝶属の浮揚ダンスはとまらない。

言わば彼らは自然と一体である。

大自然と蝶との自然量子交流を同じく自然量子眼で観ていれば

自ずと背後深奥に輝く量子クライン構造がフラクタルに重曹している真実が

それとなく教えられるのである。

 

「人間」も太古は『人』として自然量子の恩恵をダイレクトに享けて

原初創造の輝きに溢れていたんだろう。

そして 蝶たちはそんな『人』たちと以心伝心で生態系を観護っていたのだろう。

 

『人』から「人間」へと堕ちた現代人を横目に彼らは今日も自然とともにある。

それゆえに 時々 子どもたちの純真無垢なオーラに吸い寄せられて

その魂に親しく問いかけているのだろう。

 

子どもには蝶たちの背後の自然愛が感受されるが

周りの『人間』たちは蝶から発する愛は通ぜず その姿すら眼に入らない。

気付いても ただの昆虫としてしか認識できないのだ。

 

蝶には太古の記憶があるから現状をとても悲しんでいる。

自然の神々も同じ想いなのである。

私は今日も蝶に魅せられながら そんな物語を心に反芻していた。


自然量子世界観。

2022-09-29 07:35:41 | つぶやき

只の妄想であるが(と言っておくが)

大自然が自然量子の海に浮かんでいるとするならば

その基幹構造であるクライン環はあらゆる物質の背後にあって

物質存在を支えていると考えられる。

 

このように霊質眼で捉えていると宇宙や惑星の存在も

これまでの物理学的宇宙観とは異質な展開を以て広がって来る。

例えば「ビッグバンで宇宙が始まった」なんてあり得ない。

そのように想像してしまう。

 

宇宙の中に銀河星雲~太陽系そして惑星群があり地球があるとする

現在の唯物思考宇宙観は物理視点のものである。

表層五感の観測機器を以て物理計測しそのような宇宙構造を割り出している

訳だが 一方で素粒子論量子力学と理論物理学は物質構造を

すでに超えてきている。

 

そろそろ「人間」も『人』へと超越進化し物質観と霊質達観を統合して

自然量子世界観を樹立して欲しいものである。


深い理由。

2022-09-28 11:11:31 | つぶやき

今日は朝から小雨で飛翔日和ではなかった。

しかし出かける頃には雨も上がりチラホラ飛び交う蝶の姿も見えた。

数を競うことに意味はないが 今日は5匹がゆったりと飛んできた。

 

彼らは人の言葉にはトンと興味がないようだ。

人の学問体系や社会通念などといったものにはさらさら関心さえなかろう。

ただ 『氣』というか霊氣プラズマの色の揺れや霊香といったものには

強い関心があるようだ。

 

もともとそのような自然量子チャンネルで命を繋いでいる生命体である。

花から蜜を吸い植物系を観護る生態系守護に強い使命感を持っているようだ。

自然神の派遣する生きた妖精たる由縁である。

 

そのような蝶属であるから 『人』のチャクラやオーラも観えるのであろう。

無心に遊ぶ子供たちに触れるかの如く飛翔するのには

そうした観えない領域ゆえの深い理由があるのだろう。


お祭り騒ぎ。

2022-09-27 19:20:34 | つぶやき

今日も蝶たちの演舞は盛況であった。

昨日の数はアバウトなものだが今日は正確にカウントした。

その数は15件であった。

 

秋の兆しもありヒョウモンチョウまでが特別参加してくれた。

これは珍しいことである。

最後の15匹目は艶やかなキアゲハであった。

 

確かに夏の終わりの一時期は蝶たちの交配~羽化も多く

個体数も増えることがあるが

それにしても連日のミラクルは感動的である。

 

表層意識には写せない自然量子界の大変動。

それは確かにあるとしか思えない。

その観えない領域の変動が現実界にどのように作用するのか

 

軽々には言葉を並べられないが自然量子意志に副うものでなければ

未来に根を張り花を咲かせる未来は訪れぬ。

蝶類が輝くにはその要点を絶対に外すことは出来ないのだ。

 

それらの前提があって蝶たちがこれだけ活気付いているということは

自然界量子界はお祭り騒ぎになっているのかもしれないね。


幸い。

2022-09-27 09:07:27 | つぶやき

前にも何度か述べたことだが 

「人間」は良心から逸れた試行錯誤も学習の内に入るのかもしれないが

『人』は良心(自然量子)と共振して生きることが地上生活のすべてとなる。

 

この大きな所属意識次元の隔たりを眞に覚ることが極めて大切である。

人間は過去直近の数千年この自覚なく 或いは意図的に封印され

自然良心に依らぬ魔界に縛り付けられてきた。

 

眞の善悪を観極められる『審神者』として生きるべき『人』が

「人間」以下として地に這わねばならぬその姿を

神は天蓋から観るに忍びないことであったろう。

 

この波長大転換期において そのことを自然量子より覚る『人』は幸いである。