「智に働けば角が立ち
情に竿させば流される…」
その通りだね。
だから
『洗心』。
今更のようだけど
『洗心』とは科学的な根拠のあるもの。
雲を掴むように印象するのは
唯物科学の域を抜け出られないからだよ。
ほんとうの『科学思考』とは
量子論さえも超えて
存在の根底から思惟思考すること。
もっと言えば生命種根源の本源領域と共振すること。
それが出来なければ
その個が扱う思考実験(?)はほんものの科学に至らない。
自然界∞宇宙意識層の『今』を包括出来ない理念波を
(科学・宗教・などなどあらゆるジャンルにおいて)
『ほんもの』と呼称する訳にはいかない。
『洗心』こそ
個々生命種が個々固有において
不可能を可能にする実体なんだよ。