洗心 senshin

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『神』

2021-11-30 10:48:00 | つぶやき

幼い頃

漠然と(しかし明確過ぎるほど明確に)

当たり前に抱いていた『神』への想い。


言葉もおぼつかない幼子に

その身に余るほどの輝きとして

注がれていた生命の素波。


言葉を覚え概念を既成常識で括り

重い波動の物質視界に習熟した途端に

心魂に注がれている光を光として

感受できなくなった。


それからは心は光無き世界を彷徨った。



彷徨ったからこそ解る。

無垢な赤子の心と叡智経験値の融合こそが

『神』の顕われであろうと。








すると

2021-11-27 21:22:00 | つぶやき

自然は素晴らしい。


自らも自然物であるから

多層な自然環境と深奥から共振して生きれば

薄っぺらな概念ではなく

共振なす者の実感として感じ取れるだろう。


表層概念世界はまやかしとまでは言わないが

自然法則から逸脱した危ない玩具であることが

直観経験値として読み解けるだろう。


概念の神ではなく

概念の正邪ではなく

概念の教えではなく

自然深奥からの量子共振により

自らを磨いてゆくことだ。


すると

空に聴き

水に聴き

あらゆる生命に聴き


人のあるべきあり方が透けて観えてくるだろう。










メッセージ

2021-11-21 18:49:00 | つぶやき

そうだ。

もう一年以上が経過したのか。


あの時ある山頂で自然界の使いから

本当に嬉しいメッセージを戴いたのだった。


あり得ないほどの想いで満たされ山を下り

言葉にできない輝きが駆け巡っていたのだが


ようやくしばらくして

「ご苦労であった。次に備えよ。」

そのような言葉が浮かび確定したのだ。


それでこれまでの一切の束縛を離れ

ひたすら自然界との融合を心に日々を過ごしていた。


言葉の要らない世界。

自然界の意念の波に寄り添うだけの新しい日々。


それがどれだけこれまでの不浄を洗い流して

くれたことだろう。


蝶よ。

そなたに寄り添う女神よ。


ほんとうにありがとう。









蝶の周りがえも言われぬ輝きに包まれた。




蝶の拡大図




優雅に舞い飛翔する蝶が光体化する。




その拡大図(右端に光体化した蝶)




正しき神

2021-11-21 13:14:00 | つぶやき

人によろこびがあるなら

神にもよろこびがあるだろう。


人にかなしみがあるなら

神にもかなしみがあるだろう。


物質界にあらゆる感情波があるように

霊質界にもそのような受け皿があろう。


それを以て彼らは「神は正邪表裏一体」と

嘯(うそぶ)くかもしれないが

しかし私に限ってはそうは思わない。


正邪は一体ではなく屈折ポイントであり

全くの別物である。


人に正邪は厳格に顕われるが

それは多重霊格の表出であり

深い内省&遮断の目安となる。


正しき神は量子意図の創源である。

これまで人は邪神・邪霊格・邪心に

翻弄されて来たが

過去の悪を処分し

正しき神と共にある未来を創出せねばならぬ。










フラットアース

2021-11-21 10:15:00 | つぶやき

たとえ時節の概念解釈がどうあろうと

見える世界も見えない世界も量子制御で

律動している。


人はその狭間に棲息し

どこまで量子意図を写し切れるかが

その与えれられた課題となる。


天動説から地動説

それなりに組み立てて来たが

フラットアース説が未来意識の壁となっている。


地球がこれまでの概念を超えて

超巨大な多角(波動)立方体であると

仮定するならば

南極壁に囲まれた既知領域が

限りなくフラットであるとの理解が及ぶであろう。