波長の相違とは
如何ともし難いものである。
言葉の表層(記憶上の意味)に
捉われてその意味世界の
探求が真理の探究であると
錯誤している。
言葉を組み立て操る
念波&霊波ともいうべき周波数次元が
吾々の意識層活動世界を
効果せしめているのであるが
なかなかに
そのような立体客観は困難であるらしい。
物質表層次元の意味研究だけで
存在意義の確証が得られるならば
とっくにこの世は優良星界の輝きに
満たされていただろう。
喩えるならば
氷山の一角をどれほど
記憶意味において論証し得たとしても
それは七(次元)分の一に過ぎないのだ。
見えない全容をリアルに悟るには
水(彼岸)に潜りその眼(霊眼)で
確かめる他はない。
それは決して不可能ではない。
『洗心』という酸素ボンベを機能させ
霊波&念波の海に潜り
実際の波長構成を
その個々の意識の眼で観ることである。
それには審神センスが不可欠である。
それもまた『洗心』の極めにより
本源情報波を通して戴けるものである。