「心配の種」
一つで
行き詰るのが
過去的地球人である
「心配しないで…」
と言えば
「心配しないよ」
と言いながら
二元仕様のカラクリで
ご法度の波に染まるのが
一般的慣例となる
心配な行動を起こすことや
心配の有様を認識することが
心配の種ではない
個々固有の
類人種の振動波層が
その二元論的概念パルスで
取り込まれてしまうことが
それ自体が
大問題なのである
それゆえ
如何なる現象を
見 聴き 体験しようと
肝心要の自己振動層が
外層印象に安易に作用されず
本源と揺らぎなく繋ぎ
「ご法度の波長」を
透過変正することが
必要なのである
それが
『洗心』する
ということである