読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

平城宮と薬師寺・唐招提寺

2012年11月19日 | 国内旅行

平城京と平城宮
  近鉄大和西大寺駅から歩いて20分ほどで平城宮跡(世界遺産/特別史跡)に着く。
  和銅3年(710)藤原宮(現在の奈良県橿原市)から都を移し奈良盆地北端につくられた平城京。
 南北5キロ、東西6キロの平城京の北端に平城宮がおかれた。長岡京(現在の京都府長岡京市、
 日向市、京都市西京区)に移るまで75年間日本の政治の中心であった。

  昭和40年から発掘調査が進み、第一次大極殿(奈良時代前半)、第二次大極殿(奈良時代後半)
 内裏、朝堂院、兵部省、式部省などの遺構が確認された。現在朱雀門、第一次大極殿が復元され
 文化庁から公開されている(無料)。

           
      平城宮跡ガイドマップ             南門から               

    すすき野や 大宮人が 夢のあと

            
        佐伯門から              第一次外極殿                        
    
       
  大極殿は天皇が即位の儀式や元日の朝賀、外国使節の謁見など家的行事を執り行う国の中心
 施設で、中央に高御座が置かれ、玉座がある。英国などヨーロッパの王室なら、定めし金銀宝玉を
 ちりばめた玉座を設けるところ、日本人の美意識ではきわめて簡素。屋根は鴟尾付きの入母屋造
 り。高欄には五色の色玉を配した宝珠がある。

          
         高御座                 玉座                  朱雀門

 大和路の薬師寺と唐招提寺
 <薬師寺>
   大和西大寺から三つ目の駅西ノ京駅に立つ。
   駅近くに南都七大寺のひとつ薬師寺がある。天武天皇の発願により創建、平城遷都に伴い現在地に
  うつされた。  
    1300年の歴史の中で何度か兵火、災害に会い特に享禄元年(1528)の兵火では東塔を除くほとんど
  の堂宇は灰燼に帰した。
   昭和42年高田好胤管主により白鳳伽藍の再建が発願され、写経勧進により金堂、西塔(さいとう)、中門、
  回廊、大講堂が復興された。45年かかった。白鳳時代(奈良時代のまえ飛鳥時代)の国宝・東塔(とうとう)
  は現在解体修理中でこれは10年かけて2018年完成の予定。特別写経による勧進を行っていた。

          
      薬師寺与楽門            金堂と西塔(左は修理中の東塔)

   薬師寺は再興間もないことから極彩色の堂宇が並び、正直言って有難
味が少ない。薬師寺と唐招提寺
   は中学性などの修学絵旅行のメッカ。寒空の下中学生の群れがぞろぞろ移動し、お坊さんの勧進説教を
  聞いていた。

 <唐招提寺>
   薬師寺から北へおよそ15分歩くと唐招提寺がある。
   688年に中国揚州で誕生した鑑真和上は招かれて渡日を決意、五度の失敗を重ね盲目の身となった。
  六度目に渡日を果たした鑑真和上は東大寺に戒壇を築き聖武天皇らに授戒した。759年戒律の専修道
  場を創建した。これが唐招提寺の始まり。
   国宝・金堂(本尊盧舎那仏座像・薬師如来立像・十一面観音立像なども国宝)、国宝・講堂、国宝・鼓楼
  などなど薬師寺とは異なり穏やかで1300年の歴史を感じさせる。
   とりわけ寄棟造りの金堂は、瓦葺屋根が豊かな量感と簡素な姿で見る者に迫り、感動を呼ぶ。
  堂内に10年かけて大修理が行われ平成21年(2009)落慶した金堂とご本尊の仏像の大修理の様子が
  詳細に説明されており興味を引いた。

            
       唐招提寺南大門             金堂                 講堂と鼓堂

   (以上この項終わり)

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