読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

ミリヤム・プレスラーの『マルカの長い旅』

2022年12月28日 | 読書

◇『マルカの長い旅』(原題:MALKA MAI)    

       著者:ミリヤム・プレスラー(Mirjam Pressler)

       訳者:松永 美穂    2010.6 徳間書店 刊

       

   

 もう40年ほど前に「母を訪ねて三千里」というTV番組があったような記憶がある。
この本もそうした系統の児童書かと思ったが、読んでみれば背景が全く違うし大人が読んでも
感動的な読み応えのある本である。
    作者は本書はマルカ本人から断片的な記憶をもとにしながらも大部分が創作であると言って
いるので単なるドキュメントではない。しかし人物造形も情景描写もかなり緻密であり、迫真
的である。
 第二次大戦初期、ナチスの迫害を免れポーランドからカルパチア山脈を越えて隣国ハンガリ
ーに逃れるという時代背景があって、単純な逃避行の物語ではないところが感動的である。

 マルカは7歳になったばかり、まだ幼児である。姉のミンナは16歳で母親に反抗的である。
なぜなら父がナチスのユダヤ人狩りが濃厚となり、パレスチナに一緒に逃れようと言った際に、
状況を甘く見て同行を拒んだからだ。
 二人の母ハンナは医者で自分の仕事に誇りと使命感を持っているが、母親としての役目をち
ゃんと果たしているのか自信がない。

 マルカは逃避行の夜闇の中で、鳥の啼く声や小川の水音にも歌を感じ取る繊細な感性を持っ
た女児だった。母や姉と違って金髪で大きな茶色の目をしていた。(ユダヤ人は黒髪が多い)
 ついにユダヤ人狩りが風雲急を告げる事態となって、3人は着の身着のまま状態で国境を越え
てハンガリーヘ逃れることになる。山を登り下るという難路でマルカは足を痛め熱を出す。
 やっとたどり着いた山小屋で親切な夫婦に面倒を見てもらい手当てを受ける。ハンナはハン
ガリーに逃れるユダヤ人グループに加えてもらうが、病気のマルカを連れていくことはできない。
治ったら鉄道で連れてきてもらえばよいと諭されミンナと旅立つ。母と姉が自分を置いて先行す
るという話を夢うつつで聞いていた。翌朝母に「病気だからここに置いていくけど、元気になっ
たら…」と言われ「ちゃんと歩ける。ここにいたくない」と言ったが、母とミンナの泣きそうな
を見ると「行っていいよ、私はここにいるから」と壁を向いて気丈に答えるしかなかった。

 やっと脚の傷は治ったが、ユダヤ人狩りが迫ったと聞いた水車小屋の主人は「誰かほかの人に
助けてもらえ」と追い出された。
 一人でハンガリーへの山道をたどったが、やがてポーランドの警官につかまり留置所に収容さ
れた。一時親切なポーランドの警官ジグムントの家で妻のテレザ、3人の子供と共に家族の一員
として頼られるなど楽しいひと時があったが、間もなくマルカを庇いきれなくなったジグムント
は彼女をユダヤ人収容地区の家族の家に所へ連れていく。しかしそこでもユダヤ人狩りがあって、
次に匿まってくれた家族も連れていかれてしまった。
 マルカはユダヤ人以外の人たちが集まる教会に逃れて、そこで出会ったチョトカというおばさ
んにやさしく扱われ久しぶりに泣いた。
 ママという言葉を聞くと悲しくなるので「マルカのお母さん」ではなく「ドクター・マイの娘」
と考えることにした。自分はいらない子でママに置いてけぼりにされたという気がしたからであ
る。

    収容所に連行された家族の家には食料や衣類が残されていて、空腹が満たされた。しかし翌日
には新しい家族に占領され、マルかは再び地下石炭貯蔵庫に逃れて寒い夜を過ごすしかなかった。

こんな風にハンナとマルカの話が交互に語られるのであるが、ハンナはハンガリーの待ち合わせ
の医師の家を訪ねマルカが着いていないと知るとマルカを置き去りにした罪の意識に苛まれ、自
分には親の資格があるのだろうかと悩む。またマルカの父イッシーとは好き合って結婚したわけ
でもなく、パレスチナへ誘われた時も「この人とずっと夫婦として暮らしていくなんて考えると
ぞっとする」と思った記憶がよみがえり、自分のしてきたことが何もかも間違っていたように思
えてくるのであった。

 今ではハンナもハンガリーの難民収容所で医師として働くことできた。ハンナはミンナと一緒
にあらゆる救援組織を訪ね、ポーランドへ戻ってマルカを連れ出す手立てを頼んだがどこも助け
 にならなかった。移民局ではマルカのような行方不明の子供はごまんといて探すことなど無理
だが、ミンナならパレスチナへの青少年移住計画と後段に席を確保できるがどうかと打診された。
ハンナは「娘は手元に置きます」と即答した。

 外へ出るとミンナは「私は行きたい」と言った。「行きたいってどこへ行くの。マルカが帰っ
てくるまであなたは私のところにいるの」、「母さんはいつも自分の思う通りにしなくちゃ気が
済まないのね。私がどうしたいかなんてどうでもいいんでしょ…行かせてくれないのなら私自殺
するわ。そうしたらマルカのことだけでじゃなくなるわよ」。
 ハンナはなすすべもなく移民局に戻ってミンナの登録を頼んだのだった。
 これは母と子の単純な確執の問題ではない。子供の成長のあかしであるし、親子関係のあり方
に対する問題提起である。

  一方マルカは冬の寒空の下、ユダヤ人狩りを駅のごみ箱の中に隠れやり過ごしたものの下痢を
起こし病院に担ぎ込まれて九死に一生を得た。しかしまたもユダヤ人狩りに逢う。再び石炭貯蔵
庫に逃れる。厳しい寒気と空腹の中、何度も冥界と行き来するような夢を見る。

 ハンナはマルカがジグムントの家にいると聞いて、単身冬山の雪道をたどりなんとかポーランド
にたどり着く。雪橇の二重底に隠れようやくジグムントの家にたどり着いたハンナはジグモントの
家を訪ねるが、マルかはすでに行方不明と知り落胆する。そのうちジグモントの家がドイツ兵に監
視されているため、ジグモントの妻テレザの母親の家に匿われる。そしてようやくマルカが病院に
収容されていることが分かり、一番無難なテレザの母親に迎えにいてもらうことになった。
 しかしマルカは何を思ったか病院から身を隠してしまった。

 目的を果たせなかった母親は再び迎えに行くことになった。決して怪しいものではない証として
以前マルカがテレザの息子アンテクに編んであげたボールを持って。
 ようやくマルカはテレザの母親とハンナの元に帰り着いた。しかしマルカが言った言葉は「テレ
ザはどこ、テレザのところに行きたいの」だった。
 自分を置き去りにしたハンナよりも、さまようマルカを雛の母鶏のように暖かい胸に抱いてくれ、
つらいときに常に思い出してたテレザが一番会いたかった人だったのだろう。
 ハンナにとっては衝撃的仕打ちではあるが、マルカを置いたままハンガリーに逃れたという自ら
の選択がもたらした罰と受け止めるしかないだろう。

 マルカはその後母と一緒にハンガリーに行き、1944年に青少年移住計画の渡航団の一員としてパ
レスチナにわたり、父親、ミンナと再会し一緒にキブツで暮らしたという。ただハンナはイスラエ
ル建国後パレスチナに渡ったものの、ついに家族3人とと一緒に暮らすことはなかったとか。

    「母を訪ねて三千里」は、人の思いやりと思いやりに対する感謝の気持ちが主題だという。この
「マルカの長い旅」にも人々の思いやりとそれへの感謝の気持ちが底流にあるように思う。
 先の大戦ではナチスの非道な大量虐殺で何百万人というユダヤ人が殺戮された。だがそうした人
たちの陰では何万人かの人たちがユダヤ人に手を差し伸べ、殺戮の危険から守ってやったり、生活
を助けたりしてあげていたに違いない。人間には本来そうした思いやりの心がある筈だから。そう
でなければ我々は救われない。そんな気持ちにさせる本でした。

 (以上この項終わり)

 

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