初秋の明日香は快晴の一日だった。
飛鳥保存財団と帝山大学との連携イベント『飛鳥を巡る~美術編~』
参加者とスタッフを含めて70~80人ぐらいだったように思う。
午前中の座学講演は午後からの見学の
予備知識。
飛鳥時代~白鳳・奈良・天平・平安~鎌倉
までの仏像のお姿の推移など。
詳しいことはタダで書き込むのももったいないので (~o~)
所詮、拝観料の実費以外は一切費用のかからない講座なんだけど。
まあそのうちまたウンチクを語ることに。
ならないかも知れないな。 すぐ忘れるから。
そんなことはどうでもいいやな。
明日香は18日・19日と、村を上げての【光の回廊】をやっていて
アチコチに燈火会用の蝋燭の筒や雪洞(ボンボリ)なんかが置かれてあって
蹴っ飛ばさないか気になって歩けないほど。(かなりオーバーか?)
最初の見学地・川原寺の跡地も鳳凰が鎮座。
ココの住職の話は女子中学生にはウケるかも知れないが、出来ればパスするほうがいい。
主な見学は持国天・多聞天
道路を挟んで南向かい側にある橘寺
珍しく東に開いた伽藍。(通常は南)
画像右端の木造如意輪観音坐像は真言密教の影響を受けて手が6本。
信者の全てを聞いて叶える玉を右手で腹の前、魔除の輪を左手で上に頂いている。
柔和な顔つきや衣装の襞などで年代が推定できるそうだ。
他に地蔵菩薩立像、聖徳太子坐像 など。
次の見学地、岡寺への参道は山の上に向かうかなりの上り坂。
これがけっこうしんどい。
リュックを背負うのは久しぶりだったので、背中が汗でビッチョリになることを忘れてました。
本堂の塑造如意輪観音坐像は名前の通り土で作られた仏像で脆く壊れやすい。
他の寺の銅像もほとんどが落雷で焼損して、ずいぶん修復が成されているようです。
その修復の年代や、携わった仏師の技術なども事細かに見ることによって、その時代の現場に行って見る様に鑑定できるそうです。
岡寺を後にしたらひたすら坂を下り里道を辿って飛鳥寺へ。
道中でも 竹・紙 細工の店など、チョッと首を突っ込んでみたくなるお店がポツリポツリ。
やはり灯篭が道に並んで置かれていました。
飛鳥寺の飛鳥大仏は有名で、観光バスが相次いで訪れていました。
飛鳥大仏はやはり落雷で消失していて、聞かなければよくわかりませんが、開眼当時の部分は本の一部で、ほとんどが修復された痛々しいお姿となっていました。
銅像を安置した木造の仏閣が落雷で消失すると銅が溶け、頭部が重くて一番弱い首からドスンと落ちて、その頭部は低いところで焼け残り、胴体のかなりの部分が溶け落ちてしまうそうで、興福寺などによく安置してある頭部はそういう原因で残っているとか。
この飛鳥寺の元型は政治的理由で奈良市の「ならまち」にある元興寺に移転された経緯があり、他の焼け落ちた塔なども含めて創建当時の面影は全てなくなっているのです。
仏像に刻まれた衣装の襞の形状や仏像の姿勢やお顔の表情が、年代と共に変化しているという説明と実際を見比べて、新たな仏像の拝観の仕方を覚えた講座でした。
オマケ-----------------------------------------------
お土産に帝塚山大学のハンドタオル(マント君バージョン)。
久しぶりにたくさん歩いたご褒美に和風ココッシュ(黒蜜ソース)で、お茶してきました。(アールグレイ+トロピカルマンゴー= 茶)
せっかく消費してきたカロリーを全部取り戻して 今日を終えました。
何してんだか・・・
飛鳥保存財団と帝山大学との連携イベント『飛鳥を巡る~美術編~』
参加者とスタッフを含めて70~80人ぐらいだったように思う。
午前中の座学講演は午後からの見学の
予備知識。
飛鳥時代~白鳳・奈良・天平・平安~鎌倉
までの仏像のお姿の推移など。
詳しいことはタダで書き込むのももったいないので (~o~)
所詮、拝観料の実費以外は一切費用のかからない講座なんだけど。
まあそのうちまたウンチクを語ることに。
ならないかも知れないな。 すぐ忘れるから。
そんなことはどうでもいいやな。
明日香は18日・19日と、村を上げての【光の回廊】をやっていて
アチコチに燈火会用の蝋燭の筒や雪洞(ボンボリ)なんかが置かれてあって
蹴っ飛ばさないか気になって歩けないほど。(かなりオーバーか?)
最初の見学地・川原寺の跡地も鳳凰が鎮座。
ココの住職の話は女子中学生にはウケるかも知れないが、出来ればパスするほうがいい。
主な見学は持国天・多聞天
道路を挟んで南向かい側にある橘寺
珍しく東に開いた伽藍。(通常は南)
画像右端の木造如意輪観音坐像は真言密教の影響を受けて手が6本。
信者の全てを聞いて叶える玉を右手で腹の前、魔除の輪を左手で上に頂いている。
柔和な顔つきや衣装の襞などで年代が推定できるそうだ。
他に地蔵菩薩立像、聖徳太子坐像 など。
次の見学地、岡寺への参道は山の上に向かうかなりの上り坂。
これがけっこうしんどい。
リュックを背負うのは久しぶりだったので、背中が汗でビッチョリになることを忘れてました。
本堂の塑造如意輪観音坐像は名前の通り土で作られた仏像で脆く壊れやすい。
他の寺の銅像もほとんどが落雷で焼損して、ずいぶん修復が成されているようです。
その修復の年代や、携わった仏師の技術なども事細かに見ることによって、その時代の現場に行って見る様に鑑定できるそうです。
岡寺を後にしたらひたすら坂を下り里道を辿って飛鳥寺へ。
道中でも 竹・紙 細工の店など、チョッと首を突っ込んでみたくなるお店がポツリポツリ。
やはり灯篭が道に並んで置かれていました。
飛鳥寺の飛鳥大仏は有名で、観光バスが相次いで訪れていました。
飛鳥大仏はやはり落雷で消失していて、聞かなければよくわかりませんが、開眼当時の部分は本の一部で、ほとんどが修復された痛々しいお姿となっていました。
銅像を安置した木造の仏閣が落雷で消失すると銅が溶け、頭部が重くて一番弱い首からドスンと落ちて、その頭部は低いところで焼け残り、胴体のかなりの部分が溶け落ちてしまうそうで、興福寺などによく安置してある頭部はそういう原因で残っているとか。
この飛鳥寺の元型は政治的理由で奈良市の「ならまち」にある元興寺に移転された経緯があり、他の焼け落ちた塔なども含めて創建当時の面影は全てなくなっているのです。
仏像に刻まれた衣装の襞の形状や仏像の姿勢やお顔の表情が、年代と共に変化しているという説明と実際を見比べて、新たな仏像の拝観の仕方を覚えた講座でした。
オマケ-----------------------------------------------
お土産に帝塚山大学のハンドタオル(マント君バージョン)。
久しぶりにたくさん歩いたご褒美に和風ココッシュ(黒蜜ソース)で、お茶してきました。(アールグレイ+トロピカルマンゴー= 茶)
せっかく消費してきたカロリーを全部取り戻して 今日を終えました。
何してんだか・・・