くじびき はずれ の 見た世界

シニア初級者というのに世間知らず。
少年のようなつぶらな瞳?
そろそろ大人の記事を書きたい毎日です。

大和 斑鳩(いかるが)の里 b

2012年06月11日 22時06分56秒 | 奈良学

前回の大和 斑鳩(いかるが)の里 aで伺った法隆寺の東院伽藍のすぐ東隣
生駒郡斑鳩町法隆寺北1丁目に門跡寺院法興山・中宮寺(聖徳宗)がある。



門跡寺院とは 何かの建物の門の跡 という意味ではなく、皇族・貴族が住職を務める
特定の寺院、格式の高い寺のことを言います。

推古天皇15年(607年)頃の建立開基(推定;聖徳太子)だとされている。
平安の世に移ってからは都から離れているために衰退して慶長7年(1602年)、
二品中務郷伏見宮貞敦親王の第7王女、慈覚院宮高祐尊智女王を初代門跡に迎え
以後門跡尼寺として存続しているそうです。

元々は400mほど東にあったのを門跡になる頃に現在の位置に移築したようで、その場所は何度も発掘調査が繰り返されています。

如意輪観世音菩薩半跏思惟像一番最初に訪れたのは小学校の3・4年生だったように思います。
社会の教科書に載っていた如意輪観世音菩薩半跏思惟像は子供心に
深い衝撃と感銘を受けさせました。
以来、何度か訪れては心行くまでお姿の前に坐して時を忘れました。

門を潜って拝観料を支払ってすぐにボランティアガイドさんの微笑みが
とても温和な感じの白髪混じりのシニア紳士で「もしお時間があれば」と
花が終わってずいぶん経った藤棚を指さして「珍しくはありませんか?」

               

豆の鞘のようなものが沢山ぶら下がっています。 藤の実(種)なのだそうです。
秋になると色が変わって自然と落ちて来るそうですが、花は見ても実は気にもして
いなかったので新鮮な驚きでした。

もちろん食い意地の張り切った僕のこと 「食べられますか?」と尋ねて苦笑されたのは
ご想像の通りです。

暫くはお寺の縁起や聖徳太子が実在したか否かの説、お寺のいろんなことまで詳しく
お話いただきました。

昔の記憶と、高校生の頃に訪れて以来『何か違う・・・』とずっと心の奥で引っかかっていた
疑問がやっとここで解決するとも思ってもみなかったのですが

           

今の本堂は上の写真のように南に向いて建っていて、如意輪観音様も南に向いて
居られます。  お堂もコンクリートの柱でガッシリと建っています。

僕のご幼少の砌(ミギリ)に訪れた時は、確か木造のもっとずっと狭い建物で朝日を
背にしておられたのが眩しかったように記憶していました。

そうだったんです。
本堂は高松宮妃(宣仁親王妃喜久子さま)の発願で1968年(昭和43年)に建立した
新しい物だったのです。
なんだか胸につかえていたモヤモヤが一気に晴れました。
知らない人にはどうでもいいことでしょうが、40年くらいの間「何か違う」と思い続けていた
のですから嬉しくて、「やっぱり記憶は正しかった」とヤッタ! の気分でした。

         

昭和41年当時、建て替えのために解体される前までの中宮寺本堂は西向きに建っていた
そうです。
仏像や仏壇は元来①に南向き ②が東向き が正しい向きで西や北向きにはまず
お納めしないのが習わしなので、建て替えの際に向きを変えられたのでしょう。