くじびき はずれ の 見た世界

シニア初級者というのに世間知らず。
少年のようなつぶらな瞳?
そろそろ大人の記事を書きたい毎日です。

大和 斑鳩(いかるが)の里 c

2012年06月12日 21時08分28秒 | 奈良学

法隆寺から東へ 中宮寺から北へ斑鳩の里道を行くと三重塔が
ひょっこりと見えてくる。
聖徳太子の御子・山背大兄王創建とも伝えられている法輪寺だ。

この斑鳩の里一帯は世界遺産法隆寺地域の仏教建造物」に
指定されている地域でありながら、発掘調査の結果等から、
7世紀中頃には存在していたことは間違いないと分かっていても
この三重塔は昭和19年に落雷により焼失し。昭和五十年(1975年)に飛鳥様式で
再建された物であるがために対象物からは外されている。
なんと避雷針は太平洋戦争の金属供出で撤去されていたと言うから悲しい。

付近に聖徳太子ゆかりと言われている3つの井戸があった所から来ている三井の地名から
三井寺(みいでら)とも呼ばれ、「法林寺」「法琳寺」とも書く。

     

合成画像 左;薬師如来 右:十一面観音菩薩立像ご本尊は薬師如来坐像で本来は金堂に収められていて、
飛鳥時代の木彫如来像としては唯一・最大のものといわれていながらも金堂の老築化によって「猫が通っても瓦が落ちる、いつ倒れてもおかしくない状
況」(住職さん談)で拝観者に迷惑がかかるのを恐れられて、現在は講堂に
居候されている状態。

これもとても残念なことでご本尊の大きさ(像高110.6センチ )が講堂のご本尊
十一面観音菩薩立像(像高360.0センチ) より小さいがためにバランス上
十一面観音菩薩立像を中心に配置されているのも哀れな感じがする。

本来のご住職は30年ほど前に亡くなられていて、現在は奥様である方がご住職で
娘さんが尼僧として従事されているようで、拝観受付など男性の方もおられながらも
運営は大変なご様子で、金堂どころかとにかくお寺の建て替えには大変な費用を
要するのでとても叶うものではなく、このまま朽ちるのを見ているしかないと
嘆かれておられました。
このあたりが奈良のお寺と京都のお寺の大きな差なのだろうと果敢無くなりました。

             

法輪寺から東へ道をとると、また先の田んぼの真ん中に三重塔が見えてくる。
ここが法起寺
慶雲3年(708)創建の現存最古の三重塔でこのお寺唯一、世界遺産法隆
寺地域の仏教建造物
」に加えられており、本堂、聖天堂、収蔵庫などの
他の建物は残念ながら一つも含まれていない。

             

門を入ってすぐ右(南)には池があって蓮の花が咲いていました。

         

その池が美しくてか岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺とも呼ばれています。

法輪寺とも含めて八ヵ寺八十八面観音のお寺の一つとして、ご本尊は十一面観音菩薩像
こちらも金堂が現在は無くて収蔵庫に安置されています。

お寺の運営・維持・管理も法隆寺さんからお手伝いに来られているようで、
観光収入などにも乏しい状況が垣間見えました。

京都のように華やかでなくて良いから
平城エリア
西の京エリアだけでなく斑鳩の里桜井・飛鳥地区の文化にももっと
財源を

かつては中宮寺町という地名もあったように記憶していますが、今は市町村合併が
謳われた頃に法隆寺町と地名も変わり統一されているようです。
バス停にだけその名残があります。 【中宮寺町