受験シーズンも本番となってきました。多分にもれず、うちの子どももさすがに受験を意識し始めました。経験から言えば、遅すぎるかもしれません。でも、親が何を言っても、本人がやる気を出さない限り、何も始まりません。やる気が出るような、準備をどう仕掛けるかが回りの気にするところです。
政治の世界も同じことが言えそうです。もう、有権者国民はとっくに「変わってほしい」と思っているのに、本人はまったくその気がありません。「今やれば負けると思うときに解散をする人はいない」と、誰かが言いました。それは、そうだと思いますが、一方で「ハー」と深いため息が聞こえてきます。多分、彼には聞こえていません。
ぜんぜん話は違いますが、ため息はどういう時についているか考えたことがありますか?さだまさしの「無縁坂」の一説に「ためいきつけば、それですむ」という一節があります。ためいきは、何かをあきらめるときにつきます。あきらめるしか、前に歩けないとか、そんなときにため息をつきます。
今の政権にはため息しかでません。日本全国でため息をついて、「あなたでは、もう前に歩けないということがなぜわからないのか」わからせるしかないと思うのですが。
政治の世界も同じことが言えそうです。もう、有権者国民はとっくに「変わってほしい」と思っているのに、本人はまったくその気がありません。「今やれば負けると思うときに解散をする人はいない」と、誰かが言いました。それは、そうだと思いますが、一方で「ハー」と深いため息が聞こえてきます。多分、彼には聞こえていません。
ぜんぜん話は違いますが、ため息はどういう時についているか考えたことがありますか?さだまさしの「無縁坂」の一説に「ためいきつけば、それですむ」という一節があります。ためいきは、何かをあきらめるときにつきます。あきらめるしか、前に歩けないとか、そんなときにため息をつきます。
今の政権にはため息しかでません。日本全国でため息をついて、「あなたでは、もう前に歩けないということがなぜわからないのか」わからせるしかないと思うのですが。