ミューズでたまたま見つけたCD、「ジュリアー二 ギター協奏曲全集」というのを買いました。(Brilliant classics 92621) 何と言っても曲目が珍しいし、CDケースの曲目のところに、ピッチが430ヘルツなんて書いてあるので、ひょっとしたら、古楽オケがバック?なんて思ったんですね。
演奏者も知らない人だし、CDそのものの評判も聞いたことのない「めずらし系輸入CD」は、実は私よく買うんです。この機会を逃すと二度と日本には輸入されないかもしれない、という強迫観念にかられるんです。(実際そうですけどね(笑))
こういう買い方の場合、いままでの経験では、大当たりの演奏もありますが、9割がたはずれです。ま、このCDも協奏曲に加えて弦楽四重奏とギターのための作品も入っているから、はずれでもコレクターズ・アイテムくらいにはなるでしょう、ってのりで買ったわけです。
で、聴いてみたんですが、これが大当たりです。オケはやはり古楽オケ、ギターもガダニーニ1812年で、ガット弦仕様、楽譜も1808年出版のものを使っているし、正統的な古楽アプローチですね。
やはりジュリアー二の時代(ベートーベンの時代でもあるんですが(笑))の編成で聴くコンチェルトは音の融和とバランスがすごくいいですね。ピアノの場合、モダンピアノとモダンオケの組み合わせでもバランスはとれるんですが、ギターの場合、モダンギターとモダンオケで、ジュリアー二の協奏曲をやったら全くバランスが取れないんですね、音質敵にもそうだし、特に音量的な面で。
つくづく音楽はその作曲された時の楽器と楽譜で演奏するのがいちばんバランスが取れて自然だということを思います。でもこの話、どうもピンと来ない、「だって名古屋フィルだってベートーベンの時代から使われているヴァイオリンを使ってるじゃん」とおっしゃる方のために、簡単に解説を。
ベートーベンの頃(ギターではジュリアー二の時代)の楽器は全て今の楽器と名前は同じでも中身は全く異なっています。そのころのヴァイオリンはいわゆるバロックヴァイオリンなんです。バロック音楽の時代じゃないけど、どうしてバロックヴァイオリンなの?とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はそうなんです。バッハの時代のヴァイオリンと基本的には同じです。(細かいことを言うと少し異なることもあるようですが)
当時のヴァイオリンは、今の楽器と比べると、ネックの仕込み角度がゆるく、弦はガット、駒は低く、魂柱は細く、バスバーは細く、弓は緩く持ち方も違い、アゴあては使わずに弾く、という感じです。同じのは楽器のガワだけでしょ?ヴァイオリンの場合は見ただけでは以上のことは分からないかもしれませんが、ギターの場合は、ボディの形状も異なります。ピアノも当時はフォルテ・ピアノと言って、やはり今のピアノとは形状(大きさも)、音色、音量とも全く異なります。
いわゆる古楽復興は70年代のオランダ、スイス、イギリスを中心に始まりましたが、現在ではバロックのアンサンブルをモダンの楽器で演奏するのは少数派になってしまいました。古典派の音楽もホグウッドのアカデミー・オブ・エインシャント・ミュージックとかブリュッヘンの18世紀オーケストラをはしりに、結構古楽オケで演奏されるようになってきました。もうコープマンが自分のオケをつれてきてコンサートをしても、聴衆は古楽オケを聴きに行くって感じじゃないですからね。時代も変わってきたもんです。
世の中がこういう風に変わって行っても、ジュリアー二のギター協奏曲をオリジナル編成で(ロマンティックギターと古楽オケ)というのはなかなか現れませんでした。なにせマイナーな世界ですから、(笑)録音そのものがないんですよね。でもそのうち誰かが出るんじゃないかとは思っていましたが、思わぬときに発見したわけです。
ソリストは、クラウディオ・マッカーリ(第1、第2協奏曲)とパオロ・プグリーゼ(第3協奏曲とギターカルテット)。ウェブで検索してみましたら、彼らは自分たちのサイトを持っていました。これによりますと、今年3月にホピーのKlassenstundeに来てセミナーをしているんですね。うーん、もう1年長くバーゼルにいたら彼らに会えたわけですねぇ。
ホピーはこのジュリアー二のコンチェルト集にCDに対して次のような賛辞の言葉を贈っています。
「このCDは美しい。オケの色彩も、テンポ+ジェスチャーも、そして正確さと詩情にあふれたギタープレイも。おめでとう。」
彼らの経歴にはナントカというギタリストに師事したというのは全然書かれていません。本当にギタリストには師事していないのか、書きたくなかったのはわかりませんが、何となく彼らのスタンスを表しているような感じはします。彼らの演奏はいわゆるギターなまりは全くなく、古楽の専門家やモダン楽器の専門家が聴いて高い評価を与えることができる演奏だと思います。ジュリアー二のコンチェルトの魅力を最大限引き出した演奏として推薦です。もう1組ミューズに残っていましたよ。(笑)
演奏者も知らない人だし、CDそのものの評判も聞いたことのない「めずらし系輸入CD」は、実は私よく買うんです。この機会を逃すと二度と日本には輸入されないかもしれない、という強迫観念にかられるんです。(実際そうですけどね(笑))
こういう買い方の場合、いままでの経験では、大当たりの演奏もありますが、9割がたはずれです。ま、このCDも協奏曲に加えて弦楽四重奏とギターのための作品も入っているから、はずれでもコレクターズ・アイテムくらいにはなるでしょう、ってのりで買ったわけです。
で、聴いてみたんですが、これが大当たりです。オケはやはり古楽オケ、ギターもガダニーニ1812年で、ガット弦仕様、楽譜も1808年出版のものを使っているし、正統的な古楽アプローチですね。
やはりジュリアー二の時代(ベートーベンの時代でもあるんですが(笑))の編成で聴くコンチェルトは音の融和とバランスがすごくいいですね。ピアノの場合、モダンピアノとモダンオケの組み合わせでもバランスはとれるんですが、ギターの場合、モダンギターとモダンオケで、ジュリアー二の協奏曲をやったら全くバランスが取れないんですね、音質敵にもそうだし、特に音量的な面で。
つくづく音楽はその作曲された時の楽器と楽譜で演奏するのがいちばんバランスが取れて自然だということを思います。でもこの話、どうもピンと来ない、「だって名古屋フィルだってベートーベンの時代から使われているヴァイオリンを使ってるじゃん」とおっしゃる方のために、簡単に解説を。
ベートーベンの頃(ギターではジュリアー二の時代)の楽器は全て今の楽器と名前は同じでも中身は全く異なっています。そのころのヴァイオリンはいわゆるバロックヴァイオリンなんです。バロック音楽の時代じゃないけど、どうしてバロックヴァイオリンなの?とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はそうなんです。バッハの時代のヴァイオリンと基本的には同じです。(細かいことを言うと少し異なることもあるようですが)
当時のヴァイオリンは、今の楽器と比べると、ネックの仕込み角度がゆるく、弦はガット、駒は低く、魂柱は細く、バスバーは細く、弓は緩く持ち方も違い、アゴあては使わずに弾く、という感じです。同じのは楽器のガワだけでしょ?ヴァイオリンの場合は見ただけでは以上のことは分からないかもしれませんが、ギターの場合は、ボディの形状も異なります。ピアノも当時はフォルテ・ピアノと言って、やはり今のピアノとは形状(大きさも)、音色、音量とも全く異なります。
いわゆる古楽復興は70年代のオランダ、スイス、イギリスを中心に始まりましたが、現在ではバロックのアンサンブルをモダンの楽器で演奏するのは少数派になってしまいました。古典派の音楽もホグウッドのアカデミー・オブ・エインシャント・ミュージックとかブリュッヘンの18世紀オーケストラをはしりに、結構古楽オケで演奏されるようになってきました。もうコープマンが自分のオケをつれてきてコンサートをしても、聴衆は古楽オケを聴きに行くって感じじゃないですからね。時代も変わってきたもんです。
世の中がこういう風に変わって行っても、ジュリアー二のギター協奏曲をオリジナル編成で(ロマンティックギターと古楽オケ)というのはなかなか現れませんでした。なにせマイナーな世界ですから、(笑)録音そのものがないんですよね。でもそのうち誰かが出るんじゃないかとは思っていましたが、思わぬときに発見したわけです。
ソリストは、クラウディオ・マッカーリ(第1、第2協奏曲)とパオロ・プグリーゼ(第3協奏曲とギターカルテット)。ウェブで検索してみましたら、彼らは自分たちのサイトを持っていました。これによりますと、今年3月にホピーのKlassenstundeに来てセミナーをしているんですね。うーん、もう1年長くバーゼルにいたら彼らに会えたわけですねぇ。
ホピーはこのジュリアー二のコンチェルト集にCDに対して次のような賛辞の言葉を贈っています。
「このCDは美しい。オケの色彩も、テンポ+ジェスチャーも、そして正確さと詩情にあふれたギタープレイも。おめでとう。」
彼らの経歴にはナントカというギタリストに師事したというのは全然書かれていません。本当にギタリストには師事していないのか、書きたくなかったのはわかりませんが、何となく彼らのスタンスを表しているような感じはします。彼らの演奏はいわゆるギターなまりは全くなく、古楽の専門家やモダン楽器の専門家が聴いて高い評価を与えることができる演奏だと思います。ジュリアー二のコンチェルトの魅力を最大限引き出した演奏として推薦です。もう1組ミューズに残っていましたよ。(笑)