リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ポン菓子

2006年05月17日 22時37分43秒 | 日々のこと
少し前のタモリ倶楽部で、ポン菓子作り機のことをやっていました。私が子供の頃、あまり頻繁ではなかったですが、ポン菓子作り機を携えたおじさんがやってきて、私たちは自分の家から米を持っていって、それでポン菓子を作ってもらいました。いくらだったかなぁ、値段はもう覚えていませんが。私の所では、「パッカン」(桑名語ですので、例によって語尾にアクセントです。ただし「ん」にはつかないので、「カ」を高く言います)と呼んでましたね。ポン菓子と言っても懐かしさは感じませんが、パッカンというと、家の前のあそこに来ていたことがあるなぁ、なんて懐かしさがぐぐっとこみ上げて来ます。(笑)

そのパッカンですが、昨日の日経新聞にポン菓子製造機を開発された方の記事が載っていました。その方は吉村利子さんとおっしゃる方で、戦時中代用教員をされてたころ、ドイツ製の穀類膨張機のことを知ったそうです。それを自分で作ろうと、図書館で文献を探し、ついには鉄が沢山ある九州の八幡に単身行ったそうです。

苦労して、1946年に第1号機を作り量産し、特許も取ったそうです。なるほど、その機械が今から50年近く前に家の近くに来ていたわけですね。現在ではその方の息子さんたちがポン菓子機の販売を受け継いでいるそうです。タモリ倶楽部でポン菓子機製造会社の方が出てらっしゃいましたが、その方が吉村さんの息子さんというわけですね。

奇しくも同じ時期に、2つのメディアで取り上げられたポン菓子製造器。昭和20年、30年代がもう歴史になりつつあるということでしょうか。