また最近バッハのカンタータをよく聴いています。平均律はさすがにちょっと飽きてきたんですね。1年くらいずっと車の中では必ず平均律というパターンだったので、さすがに聴く頻度は減ってきました。ホントは平均律第三巻が聴きたいところです。
レオンハルトとアーノンクールのCDで、90番台始めから110番くらいまでのをアマゾンでゲットして聴いています。(第5集はあと1セットとありました)以前もバッハと言えばカンタータ、というような内容を書いたと思いますが、200を超えるバッハのカンタータは量的にも質的にもバッハの作品の核心でしょうね。でもちょっと残念なことにバッハと言えば、トッカータとフーガとかメヌエットとかシチリアーナとか思い浮かべるのが一般的認識かな?ナントカという関西の芸人さんが「タララ~、鼻からぎゅーにゅー」とか60年代のシュープリムスの「ラバースコンチェルト」が一般に浸透してます。もっとも鼻から牛乳はもう廃れたかも。(笑)
でもこの3曲、皮肉なことにいずれも偽作の疑いが出ているか、偽作またはバッハ以外の人の作なんですね。有名なラバースコンチェルトの元曲、メヌエットはペツォールトの作曲だということがはっきりしているし、シチリアーナはバッハの息子の作らしいです。トッカータとフーガニ短調はまだ決定的ではないですが、偽作の疑いが出ています。これらはポピュラリティは確かにあるんですが、バッハならこの曲って感じではないと思いますね。やっぱりカンタータとか受難曲ですね。バッハがもっとも油が乗っていた時期にすごい勢いで書いたライプチヒ時代の曲なんぞは、これだけのクオリティの曲を1年も2年もの間毎週書き続けていたということなんですが、ほんとに信じられない才能です。
リュート弾きがカンタータに参加するのは、リュートが指定されている198番だけなんですが、(受難曲はいい場面でリュートが指定されていますが)別に一般的なコンティヌオ楽器として入っても結構行けるのがあるような感じがします。ただ音量的な問題があるので、オブリガートの楽器がない曲の方がいいかもしれません。
ヨハネ受難曲のアリオーソでは、バッハはあえてリュートの音が小さいということ自体を生かした曲作りを心がけたようです。相方の弦楽器はヴァイオリンではなく、ヴィオラ・ダ・モーレが使われ、非常に劇的な音楽のあとの静寂なリュートのアルペジオが、バスが歌う「思い見よ、私の魂よ、不安をこめた満足、・・・」のアリオーソを支える訳です。この静寂さ、音の小ささ自体に意味がある作りなんですね。もっともヨハネの第4稿では、リュートのアルペジオの部分はオルガンに取って替わられているんですけどね。ヨハネが第4稿で演奏されたバッハの晩年にはライプチヒではいいリュート弾きがいなかったので、やむなくオルガンで演奏したとリュート弾きとしては思いたいですね。可能性としては、思ったほど効果的ではなく、やっぱりくっきりと聞こえていた方がいいじゃん、というのかもしれませんが。(笑)
レオンハルトとアーノンクールのCDで、90番台始めから110番くらいまでのをアマゾンでゲットして聴いています。(第5集はあと1セットとありました)以前もバッハと言えばカンタータ、というような内容を書いたと思いますが、200を超えるバッハのカンタータは量的にも質的にもバッハの作品の核心でしょうね。でもちょっと残念なことにバッハと言えば、トッカータとフーガとかメヌエットとかシチリアーナとか思い浮かべるのが一般的認識かな?ナントカという関西の芸人さんが「タララ~、鼻からぎゅーにゅー」とか60年代のシュープリムスの「ラバースコンチェルト」が一般に浸透してます。もっとも鼻から牛乳はもう廃れたかも。(笑)
でもこの3曲、皮肉なことにいずれも偽作の疑いが出ているか、偽作またはバッハ以外の人の作なんですね。有名なラバースコンチェルトの元曲、メヌエットはペツォールトの作曲だということがはっきりしているし、シチリアーナはバッハの息子の作らしいです。トッカータとフーガニ短調はまだ決定的ではないですが、偽作の疑いが出ています。これらはポピュラリティは確かにあるんですが、バッハならこの曲って感じではないと思いますね。やっぱりカンタータとか受難曲ですね。バッハがもっとも油が乗っていた時期にすごい勢いで書いたライプチヒ時代の曲なんぞは、これだけのクオリティの曲を1年も2年もの間毎週書き続けていたということなんですが、ほんとに信じられない才能です。
リュート弾きがカンタータに参加するのは、リュートが指定されている198番だけなんですが、(受難曲はいい場面でリュートが指定されていますが)別に一般的なコンティヌオ楽器として入っても結構行けるのがあるような感じがします。ただ音量的な問題があるので、オブリガートの楽器がない曲の方がいいかもしれません。
ヨハネ受難曲のアリオーソでは、バッハはあえてリュートの音が小さいということ自体を生かした曲作りを心がけたようです。相方の弦楽器はヴァイオリンではなく、ヴィオラ・ダ・モーレが使われ、非常に劇的な音楽のあとの静寂なリュートのアルペジオが、バスが歌う「思い見よ、私の魂よ、不安をこめた満足、・・・」のアリオーソを支える訳です。この静寂さ、音の小ささ自体に意味がある作りなんですね。もっともヨハネの第4稿では、リュートのアルペジオの部分はオルガンに取って替わられているんですけどね。ヨハネが第4稿で演奏されたバッハの晩年にはライプチヒではいいリュート弾きがいなかったので、やむなくオルガンで演奏したとリュート弾きとしては思いたいですね。可能性としては、思ったほど効果的ではなく、やっぱりくっきりと聞こえていた方がいいじゃん、というのかもしれませんが。(笑)