リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

懐かしの楽器たち(20)

2021年09月16日 22時38分07秒 | 音楽系
晴れて近所の県立高校に合格したご褒美に親からクラシックギターをプレゼントしてもらいました。ヤマハの1万か2万くらいの楽器でした。それでも「壊れていない」楽器が弾けたことはとてもうれしくて毎日喜んで弾いていました。

高校に入ると吹奏楽部に入りました。実は中学校でも2年生の秋ごろにできた吹奏楽部でトランペットを吹いていました。3年生の夏にはコンクールにも出場しました。

しかし高校ではトランペットではなくクラリネットを選びました。でも夏の野球部の応援やら曲の選曲やらでここは自分がいるところではないと感じ、二学期には退部しました。それでも夏のコンクールのために練習をした課題曲、兼田敏作曲の「バンドのためのディベルティメント」は今でもよく覚えています。


楽器は学校の吹奏楽部の楽器です。

吹奏楽のみんなからは、早くも受験の準備に入ったかと思われていたみたいでしたが、もちろんそんなことはなく、毎日ギターにしがみついていた日々でした。


高校1年生の冬だと思います。

録音
Carulli:Etude a minor 1968.5 の録音

ところがこのギターは2年生の秋ごろでしたか、学校の音楽室に置いておいたのを、誰かに盗まれてしまいます。どうして音楽室に楽器を置いていたのかというと、当時音楽の授業ではギターが必修でギターを弾く授業がありました。ところが音楽の先生はアポヤンドをアヤポンドなんておっしゃっていたくらいでしたから全くギターが弾けません。そこで白羽の矢が当たったのが私でした。本当は当たってほしくはなかったのですが・・・先生の代わりに見本演奏をするはめになりました。文化祭か何かで楽器を音楽室に置いたままにしておいたら翌日なくなっていたのです。

仕方ないのでまた以前の表面板がはがれかかった楽器を弾いていました。表面板は中学生の頃よりさらにはがれていましたが選択の余地はありません。しかしそんな生活も2年生の三学期になると自らピリオドを打ちます。この時期にギターの練習を絶ち大学受験の準備を始めたのです。