リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

絶対に認めない!?(1)【少し追加語句あり】

2023年03月09日 17時10分59秒 | 音楽系
先日のコンサートの打ち上げで、遣欧少年使節が秀吉の前で行った演奏のことに話題が流れてきました。当然私は自説を得意げにブチあげました。どのくらい説得力があったのかはわかりませんが、一応共演者のみなさんには関心をもって聞いていただきました。

ウチに戻ってもう一度M川先生による2017年発行の御著書を読み見直してみました。この本は先生がお亡くなりになる前に読んだものです。

29ページにはこのような記述があります。

「わたくしのこの仮説(秀吉の前でジョスカンの「千々の悲しみ(皇帝の歌)」を演奏したという説=中川註)にたいして「ジョスカン・デ・プレが活躍した年代と、天正遣欧少年使節のヨーロッパ旅行の年代とは、あまりに隔たりすぎている」という異議も一部にはあるようです」

まぁ、音楽学者でなくてもこの位は知っていて当然だとは思いますが、M川先生はとても思い込みの強いお方のようで、同書の引用部以降「皇帝の歌」の正統性?を支えるための「傍証」を次から次へとされています。

モラーレスという作曲家が作曲した「ミサ・千々の悲しみ」の出版が何度も重版されたという話や、ジョスカンは16世紀いっぱいは広く演奏されていたと仰います。

あげくの果て「瀧廉太郎(1879-1903)の荒城の月や花などは、彼の死から1世紀以上たった今日においてもさかんに愛唱さつづけているではありませんか」とおっしゃる。ですから「千々の悲しみ」はジョスカンの死後ずっとヨーロッパ中で愛唱されていたということですか!?ちょっと強引すぎません?