要するに布教会派の思惑があるので、スペインものなんか演奏するわけがないということです。そもそもスペインものの音楽を少年たちが持ってくるはずがないでしょう。
先にあげた3つのポイントを踏まえて、じゃぁ誰の作品の可能性がある?ということを考えていくのが正しい筋道なのではないでしょうか。この先まだまだ各論が出てはくると思いますが、それはそれでいいと思います。この先からはもう決定的な資料がないですからファンタジーの世界でもいいのです。でもまずいきなり「皇帝の歌」という結論を出して、あとづけ理由をいっぱいくっつけていって正当化していく手法は、あまりに非科学的な話ではありませんか?
この話をしていて思い出すのは、数年前のN経新聞のコラムです。フェルメールの「ギターを弾く女」を紹介していたのですが、絵の少女が弾いているのはルネサンス・ギターだと書いてありました。それは明らかにバロック・ギターですが、そのことを新聞の編集部を通じて著者の先生に伝えてもらいました。私が古楽を専門にしている者であるということも伝えてあったのですが、編集部経由で頂いたその回答には、弦の数からして充分ルネサンス・ギターの可能性が高い、といった内容でした。えらい先生はなかなか大変なんですね。
先にあげた3つのポイントを踏まえて、じゃぁ誰の作品の可能性がある?ということを考えていくのが正しい筋道なのではないでしょうか。この先まだまだ各論が出てはくると思いますが、それはそれでいいと思います。この先からはもう決定的な資料がないですからファンタジーの世界でもいいのです。でもまずいきなり「皇帝の歌」という結論を出して、あとづけ理由をいっぱいくっつけていって正当化していく手法は、あまりに非科学的な話ではありませんか?
この話をしていて思い出すのは、数年前のN経新聞のコラムです。フェルメールの「ギターを弾く女」を紹介していたのですが、絵の少女が弾いているのはルネサンス・ギターだと書いてありました。それは明らかにバロック・ギターですが、そのことを新聞の編集部を通じて著者の先生に伝えてもらいました。私が古楽を専門にしている者であるということも伝えてあったのですが、編集部経由で頂いたその回答には、弦の数からして充分ルネサンス・ギターの可能性が高い、といった内容でした。えらい先生はなかなか大変なんですね。