リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

絶対に認めない!?(2)

2023年03月11日 10時51分03秒 | 音楽系
でも一番肝心な、なぜジョスカンの「皇帝の歌」なの?という理由に関しては全く不明です。スタートは秀吉=皇帝=ナルバエス「皇帝の歌」=スペイン王が好きな曲=ジョスカン「千々の悲しみ」というつながりかな?だとするとちょっとお粗末な話です。その言説を信じて孫引きを繰り返しすのはもっとお粗末です。

私がブログで展開した「皇帝の歌」ではない説の柱は、

1.年代的にかけ離れている(これはM川先生もお認めです)
2.少年使節の皇帝を詳細にたどった行程からみると、ローマぐらいしかゆっくりと音楽にふれる時間はなかった。(桑山みどり先生の大著「クワトロ・ラガッツィ」を参照しています)

そして3つ目に来るのは、昨年ブログでも紹介しました星野博美さんの「旅ごころはリュートに乗って」という本に載っていた、「皇帝の歌」ではない説を決定づける指摘です。
ちょっと長いですが、「旅ごころ・・・」から引用してみましょう。

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  ちなみに、 私 は この 説 に 疑問 を 持っ て いる。 以前 は 漠然と し た 疑問符 だっ た が、 リュート を 弾く よう に なっ た いま では、「 違う」 と、 ほとんど 確信 する よう に なっ た。   そう 考える 理由 は いくつ か ある。   イエズス 会 は ポルトガル 王室 から ポルトガル 領域 での 布教 を 託さ れ、 日本 での 布教 を 独占 しよ う と し て い た。 ところが 一 五 八 〇 年 に ポルトガル の 王位 継承者 が絶え、 姻戚 関係 に ある スペイン 国王 フェリペ 二世( カルロス 一世 の 息子) が ポルトガル 王位 を 兼務 する こと と なっ た。 要は 併合 状態 に 置か れ た の だ。 そして 何 が 起き た か。 これ まで ポルトガル の 領域 だ からと 参入 を 控え て き た スペイン 傘下 の 托鉢修道会 が、 フィリピン から 日本 に 渡り 始め た の だ。   ザビエル の 来日 から 三十 余年、 多大 な 犠牲 を 払い、 まさに 荒れ地 を 素手 で 開墾 する よう な 苦労 を 重ね て、 ようやく 収穫 の 時期 を 迎え た ぶどう 畑 に、 スペイン 系 の 修道会 が 鍬 を 担い で 入っ て くる。 イエズス 会 は 当然、 おもしろく ない。   イエズス 会 の 日本 布教 独占 を ローマ 教皇 に 確約 さ せる こと も、 天正遣欧使節 の 重要 な ミッション だっ た ので ある。 そんな 時代 背景 を 考える と、 イエズス 会 が 使節 に、 スペイン 国王 を 象徴 する 曲 を 演奏 さ せる わけ が ない、 と 私 には 思える。 イエズス 会 として は むしろ、 スペイン 賛美 に つながる 要素 は 積極的 に 排除 する のが 筋 では なかっ たろ う か。
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