リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

懐かしの楽器たち(17)

2021年09月10日 22時47分23秒 | 音楽系
さて21世紀に入ってから購入したりお譲りした楽器は「懐かしの楽器たち」ではありませんので、リュート系の楽器についてはこのくらいにしたいと思います。

あと楽器として懐かしいのは小学校に入った頃のヴァイオリンですが、これはもはや影も形も残っていません。多分これがヴァイオリンを弾いている私と思われる唯一の写真です。



どの子が私なのでしょうか。父親が作った写真アルバムに貼ってあった写真です。まさかよその子供の写真を貼る訳はないので、この写っているだれかが私なのでしょう。そういや記憶があるようなないような。

しかしヴァイオリンは小学校の3年生頃に「足を洗う」ことになりますが、この短い間、もっとも当時の私としては人生の1/4くらいは費やしたわけなので長かったのですが、得られたことはとても大きなものがあります。

当時の貧乏人の倅ではあり得ないことですが、絶対音感(もっともナンチャッテレベルですが)と自在に楽譜を読む力を得たことはその後の音楽生活で大きな力になりました。

懐かしの楽器たち(16)

2021年09月09日 14時48分16秒 | 音楽系
松尾淳氏の楽器は私の生徒さんも何人か使っていますが、とても精緻な作りで音が出しやすい楽器です。すでに紹介しましたように私もリウト・ア・ティオルバートを1990年頃に購入しましたし、スワンネックのドイツテオルボも1999年に購入してコンサート、録音で使っていました。



三重県関町でのひとこま。バッハの1006aプレリュードを弾きました。

これらの楽器は音が軽く出て弦高も低く、とても弾きやすい楽器でした。弦長の長いバロック・リュートでは弦の総張力が高いためネックがそったりブリッジのあたりが少し浮き上がったりすることがあります。その結果弦高が上がり弾きにくくなるのですが、松尾氏の楽器はそいういったことがほとんどなく、7フレットでの指盤・弦トップの距離が3mm台前半という驚異的な値をキープします。

この楽器を使った録音が少し残っています。

ヴァイス:ソナタ第46番イ長調よりプレスト(前半のみ)

2001年3月の録音。自宅録音です。ダウンロード、試聴制限はありません。

この2本は欲しい方がいらっしゃったのでお譲りしました。

懐かしの楽器たち(15)

2021年09月08日 15時06分36秒 | 音楽系
88年にルーデスに注文を出したもののその後手紙を出してもちっとも返事がありませんでした。今みたいに何度も電子メールを出して催促することはできなかった時代です。

実はアンサンブル用にリウト・ア・ティオルバートが欲しかったので90年頃に松尾淳氏に作ってもらっていました。ところが94年の春頃、もうすっかりあきらめていた頃です、ルーデスからここ数カ月で楽器が完成するという手紙がきました。ということで前回のスペイン旅行に相成ったなったわけです。

さて1995年のコンサートの録音です。まだ出来て間もない楽器としてはとてもよく鳴っています。

シェドヴィル(伝ヴィヴァルディ)/ソナタト短調

マンチーニ/ソナタト短調

スカルラッティ/ソナタハ長調(ソロ)

スカルラッティ/ソナタヘ長調(ソロ)

演奏:ムジカ・レセルヴァータ
(リコーダー古橋潤一、チェンバロ岡田龍之介、リウト・ア・ティオルバート中川祥治)1995年1月29日スタジオ・ジミア(愛知県名古屋市昭和区)

なお、録音のダウンロードはできません。またお聴きいただけるのは今月一杯とさせて頂きます。

とても綺麗な録音ですので、スマホやパソコンの小さなスピーカーではなく、きちんとしたオーディオに繋いだりいいヘッドホンで聴いていただけると嬉しいです。(そうしないとリュートの通奏低音の音がきちんと聞えません!)

デジタル録音の落とし穴

2021年09月07日 10時28分34秒 | 音楽系
ネット配信やストリーミング音楽では圧縮されたmp3形式多いですが、ひところのmp3に比べると随分音がよくなってきました。昔のLPレコードを大した性能ではないオーディオで聴いていた時代と比べるとはるかにいい音になったと思います。当ブログでときどき公開する音源もmp3です。

もちろんアナログのLPレコードも初期プレスのものを100万以上かけたオーディオで聴いたら多分ハイレゾよりいい音がするのではないかと思います。昔、まだCDが普及する前に名古屋市には輸入物の初期プレスのレコードばかり扱っていた店もありました。Kレコード店というお店でしたが、そこの親父は不愛想でものすごく頑固者でしたけど、音の良しあしはよくわかっていたのでしょう。

最近昔のカセットラックを整理していましたら、1990年に作曲し、それをメタルテープ録音したものがありました。当時の学校の演劇用の音楽を作曲したものですが、この曲のコピーはデジタル化してパソコンのSSDドライブに保存してあります。まぁそこそこの音がしているので、当時の音質はこんなものだろうと思っていました。

ところがそのメタルテープを聴いてみましたら、まさに驚きのひとこと。使用したアナログシンセの音の実にマッシブなこと!実体感があります。アナログシンセをデジタル的にモデリングした音源からは絶対に出ない音です。それもそのはず、このメタルテープによる録音は複数のシンセの出力をミキサーでまとめてそのまま2チャンネル(ステレオ)で録音したものだからです。

ご存じのようにたとえハイレゾであってもいくらかの音はデジタル化のためにカットされています。ところがアナログの場合はまったく「そのまま」ですから出音の次元が異なるわけです。楽器の現物から直でアナログ録音したものはここまでいい音がするとは思いませんでした。途中からデジタル信仰に宗主替えしてしまったので、忘れてしまっていました。

この素晴らしい音を聴いていただくには、カセットデッキをオーディオセットに繋ぐのがベストですが、次善の策としてSequoiaに24bit96khzでデジタル録音したものを16bit44.1khzでエクスポートすることでしょうか。いずれ皆さまにもぜひ聴いていただきたいと思います。


懐かしの楽器たち(14)

2021年09月06日 14時20分17秒 | 音楽系
1988年にイタリアのウルビーノで開催された古楽講習会に参加しましたが、そこである受講生が持っていた楽器がとてもよく鳴るのに感銘を受け、製作家の名前を聞きました。

製作家はルーデス・モレーノ・ウンシージャという女性でした。早速手紙を書き(その頃はまだメールという便利なものはありません)リウト・ア・ティオルバートを注文しました。彼女は当時スペインのエルエスコリアルというところに住んでいましたが、現在はスイスのバーゼルのすぐ近くのフランスの街に住んでいます。

楽器が完成したのが1994年の秋ごろでした。完成間近になって彼女は近所に配送業者がいないので、取りにきていただくしか方法がないと連絡がありました。それならということでお正月を挟んで家族4人でスペイン旅行も兼ねて取に行くことに。もっともスペイン旅行と言ってもあまり日が取れなかったので、もったいないことにほとんど弾丸旅行でしたが。



ルーデス女史のスタジオ近くのホテルで出来たばかりの楽器を弾いているところです。

帰国して間もない95年1月29日には早速この楽器を使ってコンサートをしました。チェンバロ岡田龍之介、リコーダー古橋潤一各氏と私とで「ムジカ・レセルヴァータ」としてコンサートを開催しました。(現在のムジカ・レセルヴァータとはメンバーが異なります)会場は現在では閉館している名古屋市昭和区のスタジオ・ジミアです。録音が残っています。とても音がいい会場で、かつ専門のスタッフに録音していただいたのでとてもきれいな音です。

岡田氏と古橋氏のご厚意により、次回に何曲か録音を公開致します。

SONY DAT WMD-DT1発見

2021年09月05日 21時46分15秒 | 音楽系
本棚の上の方にずっと置いてある箱の中を何げに開けてみましたら、SONY DAT WMD-DT1とDATテープが出てきました。WMD-DT1を買ったことは覚えていましたが、すっかり存在を忘れていました。



WMD-DT1電池駆動が可能なポータブルDATプレーヤーで、長さは11cmあまりです。購入したのは1993年ですからもう28年も前です。今ではすっかり過去の存在になってしまったDATですが、当時は最新の記録メディアとして将来を有望視されていましたが、テープを使っていることで特別なハードウェアが必要なことから、結局は普及せずに消えて行きました。

このWMD-DT1のテープを入れるメカはなかなか凝っています。電動式ではなく手で開けます。


ふたを開けたところ。


テープを入れました。

ふたを開ける様はなんか昆虫が羽を広げる感じで、よてもよく考えられたメカです。これが電動だと故障している可能性がありますが、手動式でかつ精密に作られているので開閉動作はとてもスムーズです。ただ残念なことに電池ケースのふたがひっかけるツメが折れていますのできちんと閉まりません。電池駆動させるためにはふたを手で押さえていなければなりません。(笑)

純正ACアダプタもありますので、そちらで駆動してみましたら全ての動作が可能でした。完動品ですね。28年の眠りからさめて完全に動作するとはすごいです、SONYさん!一緒に出てきたDATの録音テープのうちのひとつを聴いてみましたら、ホント綺麗な音でした。その録音は1995年名古屋市昭和区のスタジオ・ジミアでのコンサートでした。リコーダー古橋潤一、チェンバロ岡田龍之介の各氏と私によるアンサンブルです。この録音については後日一部公開したいと思います。

梱包用の箱、付属品全て揃っていて、美品で完動品です。これはメルカリで高く売れそうです。ちなみにDATデッキも別にもっていまして現在修理に出しているところです。


懐かしの楽器たち(13)

2021年09月04日 14時17分47秒 | 音楽系
いいことづくめのデュルビースワンネックですが、実はいくつか問題もあります。音量が大きなのはいいのですが、少し大味なこと、とても華奢な作りでそれゆえ故障が多いことです。実際何回もナットより上部のひねりがある部分が折れるというアクシデントに見舞われました。弦高も上がって弾きづらくなってきました。

この楽器はパーツの接合部にマージンが少なく板も薄目なので非常に修理技術が要ります。日本人の某製作家に修理を頼んだ時はしぶしぶ受けてもらいました。でも次は割に合わないのでもう受けないと言われました。

ひねり部の修理はその都度なおしてもらってきたのですが、どうも材質的な問題があるようで、あるときとうとうもう修復不可能なレベルで折れてしまいました。そこで九州の松尾淳氏に修理というか再生をお願いするはめになりました。

某製作家が2回目の修理はもうやらないとおっしゃるので、それ以降は松尾氏にお願いしてきちんと修理してもらっていたのですが、さすがの氏もすぐにはできない、とおっしゃいました。

私は何年待っていいです。とにかく置いていきますからそのうちなんとかしてくださいと無茶ブリをして楽器を預けました。

その後松尾氏は毎日楽器を眺めてどう修理をしたらいいかずっと考えていたそうです。結局ペグはそのまま使うがナットより上部は取り換えることとし、表面板の反りは、表面板をはずして2年くらい重石(実際は石はつかっていません)の下に敷いておくことにしました。

3年くらい経って修理が完成しましたが、弦高はみごとに普通の高さになり弾きやすくなりました。そしてネックより上の部分も新しいものに取り替えられていました。音は気持ち変化している感じがしましたが、特に違和感を感じるレベルではありませんでした。その後特にトラブルはなく、2013年に欲しい方がいらっしゃったのでお譲りしました。

懐かしの楽器たち(12)

2021年09月03日 21時25分01秒 | 音楽系
正確な年代は忘れましたが、90年代に入ってからだと思います。今村泰典氏からデュルビー作のスワンネックバロックリュートを譲っていただきました。

当時デュルビーのバロックはもう1本持っていましたが、バスが充実した楽器が欲しかったので氏に格安で譲っていただきました。

82年に入手したデュルビーバロックはセバスチャン・シェレのモデルですが、ボディが深く、明るい音が鳴るデュルビーの中においてはしっくり目の感じの音が出る楽器でした。今村氏に譲ってもらった楽器はホフマンモデルで浅めのボディであることもあり、音量があり派手な音がする楽器でした。

90年代は何回も山梨の古楽コンクールに出ましたが、全てこの楽器を使っています。コンクールの会場が800名のキャパがありかつあまり響かないところで、リュートには誠にハンディがある会場です。リュート以外の出場者は2人(メロディ楽器または声楽+通奏低音)なのでこちらとしては余計に大変です。

結局コンクールは4回出まして、2勝2敗。2回本選に選ばれ20分~25分程度のプログラムで演奏しました。残念ながら2回とも入賞はできませんでした。2回とも1位は空位でしたから3番目以下だったということでした。本選が7人だったので3位くらいは楽勝だろうとタカをくくっていたのですが。(笑)

でもこのデュルビーの楽器のお陰で800席のホールでもそれほど音がさみしくならずに済みました。広くあまり響かないところで演奏すると、どうしても大きな音を出そうと力みがちになるのですが、あまり力まずに演奏できたのはこの楽器のお陰です。

このコンクールは今もやっているのかな?少し前に聞いたところでは規模が随分縮小され、スポンサーも会場も普通の会議室みたいなところに変わって開催されていたようです。リュート部門はもうありませんでした。

雷電

2021年09月02日 17時12分04秒 | 日々のこと
自動車雑誌ベストカーのWEB版に局地戦闘機雷電の記事がでていました。

ベストカーWEB版の記事

記事で紹介されている機体は実際に記事で紹介されている博物館で見たことがあります。


2017年に撮影

このずんぐりむっくりの胴体の雷電戦闘機は子供の頃から大好きで、そのうちプラモを作ってみようかなと思ってはいますが、なんか塗装がめんどくさそうなのでなかなか手を出せません。

先月行った河口湖自動車博物館飛行館で終戦直後の厚木基地のカラー撮影のビデオを見ました。厚木基地の第三〇二海軍航空隊所属の雷電が米軍監視の元、日本人兵士がスクラップ場まで手で押していく行く映像はなんか哀れでした。

日本は敗戦国なので1945年までに日本人が作って来た航空機はほとんど残っていないのが現状です。でも現在残っている分だけでも産業遺産としてきちんと評価し後世に伝えていきたいものです。

金メダル噛み

2021年09月01日 13時17分47秒 | 日々のこと
世の中様々な話題が目白押しでもうさすがに登場しなくなりましたが、某政令都市の市長さんの金メダル噛みの話。

あの市長さんは失礼ながらあまり品のいい方とはお見受けしません。某市の音楽関係の方からは、文化芸術に全く理解がないという声も聞こえて来ます。私個人的にはあの方の方言(昔タモリがエビフリャーといってからかっていた方言ですね)はとても汚く乱暴で押しつけがましく聞こえます。日本の東西の方言の大境界線のそばに住んでいますので、ネイティブの方も桑名に来ることも子供の頃は多く結構耳にしていました。

懐かしの楽器たちのシリーズでも紹介しましたギター製作家加納木魂氏のお母さまもその町の方言でお話をされていましたが、若い頃私が加納氏のスタジオを訪問すると「よー来てくだしゃーしたなも」みたいにとてもゆっくりと豊かな抑揚をつけて声を掛けていただいていました。それまでは私は名古、おっと某市のことばはいつも「たーけーたーけー(たわけです。アホーアホーという意味です)」って言っているみたいな印象でしたのでこんなに美しい響きの言葉なのかと驚いたものでした。

で、その市長のことばはその汚い方のことばです。最近ではもうその方言で話す人ってほとんどいないみたいというか聞いたことがありません。でもわざわざそういう方言で言うのは庶民らしさをアピールするつもりかもしれませんが、そのセンスに問題がありそうです。

さてメダル噛みの話に戻りますが、私はそもそもメダルを噛むこと自体が下品なことのように感じます。もともとあまり品のよくない行為を品のよくない市長がやったもんですから、あれだけ嫌われたのかも知れません。そのあとのセルフフォローもよくありませんでした。

これがもし市長以外の人物、例えばキムタクが金メダリストと合って、そのメダルを噛んだらどうでしょうか。メダル噛みの下品さはかなり軽減され、それどころか逆にそのメダルの価値が上がり、当の金メダリストも大喜び、になっていたかも知れませんが、そもそもキムタクだったらそんなことはしないでしょうねぇ。