明治の人の手仕事

2009年03月23日 | お片付け
 出勤間際に娘に「シーツがあったら」と言われていたのを思い出し、物置をのぞいた。しばし見なかったことにしていた物置は、物であふれていた。

 片付け魔の心が騒ぎ、土曜日の夜と日曜日朝から小屋にこもった。一番の場所ふさぎは空き箱である。孫子に送るためとはいえ、こんなにいるかあというレベル。まあもったいないような箱が次から次にと、到来するから仕方が無いけれど。収集者が私でないから安易に処分はできない。別の小屋に住所を移転する。

 処分できるのは自分のものしかないから、実家の父の残した古いカラオケのテープの類やら、カセツトテープ(もらわなきゃあよかった)・・・・どう考えても使い道はなさそうと英断する。

 本当は今後も絶対使わないだろうナベとか、花瓶とか・・・・。まさか新品を処分するわけにもいかないけど・・・場所ふさげなんだよね。収納する場所が山ほどあるっていうのも問題だわね。

 もうひとつこの頃気になっていたもの、母の嫁入りふとんの「がわ」。本家の嫁の務めに「来客用のふとん」の準備がある。暮し方が変ってきて、かっての布団では、硬いの重いのの時代になったので、仕立て直しをしたのだった。

 母の嫁入りふとんは銘仙とでもいうのだろうか、きれいなてざわりのよい本絹であったので、その時もったいなくて処分できずにいたのたった。

 
 そして母に了解を得、縫い目をほどくことにした。。

 裏返して、その縫い目を見て、その美しさに感動。こんなきれいな手仕事見た事がない。そろった縫い目に均等なひつけ縫い。

 針をもたなくても、何不自由なく暮せたことをこの年まで幸せと感じなかったが、これを見たらなんともショックであった。不器用な私は何年やっても到達できまい。
 
 蚕を飼い、糸を紡ぎ、はたを織り、着物に仕立てるというのは、戦後暫くの間まで、確実にあった。戦中の物のない時代、そうやって嫁入り支度をしたという実家の母の話も思い出した。

 そこまでいかなくとも、家族の衣類の仕立ては主婦の仕事だったはずである。
そういう時代の名残のような手仕事を見ながら、糸を解くのがためられるようであった。

 裏返せば、それは仕立てられたその日のような鮮やかな色をみせる。
 
 娘の幸せを一針一針に願いを込めただろう。60年の時を超えてその思いを大切にして、もう1度日の目をみせよう。

 お金を出せばなんでも買える時代・・・・なんともありがたい時代ではないか。
針仕事の得意でない私は・・・本当にそう思っちゃいました。

 ところで・・・・何に再生できるのだろう????

 
                依田 美恵子

    軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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