テレビから「これからますます便利に・・・・・というCМが流れてきました。
う~ん、これ以上便利って必要なのかなという思いがしました。
たしかにいいけれど、それと引き換えに差し出す地球環境を思ったからです。
最近時代小説を読むようになって考えるようになりました。
あの徳川家康が生きていた時代は、たかだか今から400年前です。
明治になって150年ちょつと。
戦後になって80年弱。
その当時の生活を考えると、なんというスピードで進んできたのでしようか。
AIという言葉が、新聞記事に載るようになったのはしばらく前です。
それがたちまちのうちにです。
そこへきてチャツトGPTなるものが出現。
昭和の人間としては納得できないのです。
国会の答弁を作る時にも使いたいなんて大臣が言うのを聞いて、間もなく議員がいらなくなる日がくるのだろうなと思いました。
徳川家康から400年ですよ。今後400年経ったらなんて言いません、この加速度的な進み方ですもの、もう50年したら世界はどうなっているでしょうね。
こんなにいろんなことが発達しているのに、戦争が無くならないのが不思議。
つまるところ人間がつくっている機械だけど、その人間が一番愚かなのかもしれないなあって。
昨日の信濃毎日新聞の建設標に13歳の「『便利』の価値観見直す」という投稿にそうなのよねと納得したのでした。
例えばIT技術が発達し、人間の代わりになんでもやってくれるロボットができて、便利になる未来を創造した時、それは本当に生活が豊かになったと言えるか。
便利にはなるけれど、自分で何かをする意欲を失ってしまったり、成し遂げる喜びも味わえなくなる。
便利になれば生活が豊かになるという価値観が全てではなく、不便の価値を見つめ直してください。
ほんと考えなきゃあね。
読みいただきありがとうございました。
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