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新しいことを見つけるって楽しい!

アメリカで暮らす2

2006年12月11日 | アメリカ生活

 

アメリカで暮らして楽しかったこと。

東海岸は秋がきれい。はじめていったのが11月で、「この世のものとも思えない」ほどの美しさ。あれは忘れられません。それから春。ワシントンは春が本当にきれい。町中が花に包まれます。タイダル・ベイスンの桜が有名だけど、ケンウッドの桜も素晴らしい。この町は家を建てたら桜を庭に植えなきゃいけない条例があって、街中が桜。

東海岸なら時差がないから、旅行に行っても楽です。
ボストン、NY、フロリダ。
果ての果てのキーウエストにも行きました。セブンマイルブリッジという海にかかる橋があって、ドライブしていると自分の周り360度海です。でも、私はこわかったな。車が海に飛び込みそうな気分になりました。

フロリダと言えばオーランドのディズニーワールド。
アメリカでは大きな学会がよくオーランドで開かれるので、家族連れで学会参加する人もたくさんいます。私は計3回行きまして、ミッキーマウスはもう一生分堪能した気がしています。

 

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アメリカで暮らす1

2006年12月09日 | アメリカ生活

 

アメリカで一定期間以上暮らすことを考えたとき、絶対に避けて通れないのがビザの問題です。学生ならFビザ。研究者ならJかHのビザ。それぞれのビザには決まりがたくさんあります。留学を考える人は、ビザのことをしっかり調べましょう。日本人がアメリカに行く場合、90日以内の観光などではビザ免除になりますので、ビザ無しで渡米し、向こうに行ってから学校を探したり、働く場所を探せばいいと安易に考える人もいるようですが、ビザで失敗すると、何年も入国できないことになり、単なる旅行さえいけなくなる場合もあるので、要注意です。

私はJ1ビザで渡米し、途中でH1bに変更しました。移民法はどんどん変わるので、本当に神経をつかいました。知らなかったではすまされないのです。アメリカで暮らしていた間、心の半分はいつもビザ問題に費やされていたような気さえします。日本の野球選手が大リーグに挑戦するというニュースが毎年流れますが、ビザ問題で渡米できず、断念した選手もあり、どのような職種の人間でも必ず悩む問題なのです。

90日以内の語学留学ならビザはいらないよね、、、、と考える人もいますが、語学学校の場合も週あたりの授業時間数が規定より多い場合はビザ無しでは通学できないことになっています。ビザに限らず、アメリカはすべてが自己責任で、自由な反面、自分のことは自分できちんとしていないと、大変なことになってしまいます。

私は、友人からビザの相談を受けることもありましたが、先に書いたように移民法は刻々と変わります。人の経験はあてはまらないのです。自分で必ず移民局のサイトをみて確認しなければなりません。アメリカに留学しよう、アメリカで仕事してみたい、と思う人は決してビザ問題を人任せにしてはいけません。

あるとき私はボスから契約更新しないかもしれないと言われたことがあります。もしそうなれば即刻国外退去しなければなりません。そのときは幸い次の仕事がすぐ見つかったので事なきを得ましたが、その間真剣に帰国を考え、本当に大変な思いをしました。日本にいると仕事をしなくても学校に行かなくてもこの国にいていいでしょう?なんにもしなくてもいていいんですよね。それがどれだけありがたいことか、、、。ある日本人の人が大学に通っていましたが、病気になって通学できなくなったんです。でも通学しないと不法滞在になってしまう。だから病気をおして大学へ通っていました。

海外で暮らすって、楽しいこともいっぱいあるけど、厳しいことがたくさんあって自分を鍛えられますね。

(ボルチモアのCross St Market)

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動物に関わる仕事がしたい

2006年12月08日 | 仕事・研究

 

動物が好きという人は多いです。
動物が好きなので動物に関わる仕事がしたいという人も大勢います。それでは動物に関わる仕事ってどんなものがあるでしょうか。

ペットショップ、獣医、アニマルヘルステクニシャン、トリマー、動物園の飼育係、製薬会社の研究所、野生動物保護員、と畜検査員、酪農家、食品会社、まだまだありそうですが、一番動物を身近に感じ、かわいがることができるのはどれでしょうか。

わたしは「自分で動物を飼うこと」かなと思っています。
でもそれを生業として仕事とできる人は残念ながら少ないでしょう。

私は動物が好きです。
動物の行動を観察するのは楽しいし、動物の体のしくみや、病気について知ることにとても興味を持っています。好きなこ とが仕事ですから、幸せですね。でも動物に関わる仕事に就き、しかもそれを一生の仕事とするのはけっこう難しいようです。趣味の範囲で終わってしまう場合 もよくみます。もし仕事としてやっていこうと決心するなら、「かわいい」とか「好き」とかいう次元を超えた強い目標意識が必要です。

でももしそれがかなわなくても、、上に書いたように「自分で動物を飼う」ということは誰にでもでき、しかもそれが一番動物をよく知る道なのですから、がっかりすることはないと思います。

私たち人間は動物の命なくしては生きられません。動物に関わるということは「命」といつも向き合うことです。そのこともいつか書きたいと思います。

(雪の上の小鳥の足跡)

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そしてアメリカへ

2006年12月07日 | 英語

 

アメリカに行くための準備、その後の生活のセットアップ、アメリカでの仕事、というテーマはまた別の機会に書こうと思っています。私は小さい子どもを二人連れていったので、学生の海外留学とは少し違う経験がありました。でも今日は英語についてです。

アメリカに着いた日、ボスが空港まで迎えに来てくれました。家の手配なども日本からしていったのですが、最初の日はホテルに泊まることになってい て、空港から約1時間くらい、ボスと話したのが私の最初の「英語を使う」体験でした。旅行でアメリカに行ったことはありましたし、海外旅行で使う簡単な英 語はそれほど問題ないという程度でしたが、「1時間」知らない人と英語で話すのはとても大変でした。でも本当に大変だったのは、生活と仕事が始まってか ら。

渡米3日目にはラボのミーティングに出ていましたが、とにかく全然聞き取れません。家では「電話をひく」とか「アパートのオフィスでレントの書類を書く」とかいろいろ用事がありましたが、ほんとに「しどろもどろ」。今から考えても、あの英語力でよく行ったなと思います。

で、結論を言いますと、私が日本で英会話教室に週に一回通ったり、独学で勉強してたことは、ほんと~に役に立たなかったということです。その理由 は、「絶対量」が足りなかったから。「継続は力なり」といいますが、英語に関しては細々とただ続けていても、だめです。あるとき、集中して、ある程度の時 間を英語の勉強に使う。あるいは、継続と言うならせめて一日3時間は英語に接する。毎日15分ずつラジオ放送を聴いているだけじゃあダメなんです。

私の周りには日本から留学してきている人がたくさんいました。英語が得意な人ばかりじゃありません。でも絶対量をこなした人は、ぐんぐん力が伸びて いました。私はと言うと、今だって流暢になんかしゃべれません。こんな私でも何とか英語を使ってアメリカで仕事をすることができたのですから、英語の習得 に遅すぎるということはありません。でも、もし私が高校生のとき、あるいは大学生のときにもっと一定量の英語をこなしていたら、と思います。若い時代は自 分の力を伸ばすときですね。

ところで、何も英語圏で暮らさなくても英語は習得できるとよくあちこちに書いてあります。ホントにそうだなと思いますが、住んだからこそ理解できた こともたくさんあります。会話って英語力だけではないんですよね。アメリカ人の生活まるごとを知って初めて理解できることもあります。そういう意味で、短 期間でも「住む」ということで得られるものは大きいと、私は思っています。

(ロックフェラーセンターのクリスマスツリー)

 

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私の英語修行遍歴その2

2006年12月06日 | 英語

 

私は研究職なので、卒業後も英語は避けて通れませんでした。英語の論文を読まなければなりませんし、学会などのシンポジウムも英語で行われることが たびたびあります。それで私はこつこつ細々と英語の勉強をしていました。百万人の英語(今はもう放送されていません)やNHKの英語放送も聞いていまし た。が、話せないのは相変わらず。国際学会でもとりあえずにこにこして単語でやりすごしていたような気がします。その後、8年働いた研究所を辞め、大学に 移ることになりました。その大学で2年を過ごした後、外国で研究することのできる研究費を得ることができ、アメリカの農務省に赴任することになりました。 その話が具体的になる前、私はとにかく英語をもっと勉強しなければいけないと思い、「英語の達人」のサイトを次々のぞいて、ヒントを得ようとしました。

最初に私がやったのは、中学3年の英語の問題集です。
そういうレベルだったということもありますが、中3の英語がきちんと身に付いていれ ば、ある程度はしゃべれるものだ、とどこかに書いてあったんですね。それでまずそれに取り組みました。結果、「けっこうわかってないもんだ」と自分の英語 力にあきれました。その後、アルクのスピーキングマラソン入門編をやったり、イーオンの英会話クラスに通ったりしました。その中で効果があったと思うの は、ディクテーションです。耳で聞いた英文を紙に書く。その繰り返して、ずいぶん聞けるようになったと思います。アルクのスピーキングマラソンは、かなり 繰り返して取り組んだし、自分ではよくやったと思うんですが、それが即「話す」ということにつながりませんでした。英会話教室もしかりです。けっこう時間 をかけたと思うのに、「話す」ということにつながらない。悩みました。その頃受けたTOEICが600点弱です。論文だけはたくさん読んでいるので、後半 のリーディングはまあまあできたけれど、前半のリスニングはさんざんなできでした。

それでも今までの私にしたらこの渡米直前はよく勉強した方です。自信はないけど、なんとかなるさとアメリカに発ちました。つづく、、、。

(写真はNYのメトロポリタン美術館)

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わたしの英語修行遍歴その1

2006年12月05日 | 英語

私が初めて英語を習ったのは中1の時です。
学校の授業とNHKラジオの基礎英語。でも理屈抜きに覚えるということがとにかくできない私に は、英語は非常に難しい科目でした。中3になって通信添削を始め、高校に入ってからもラジオ放送は続けていましたが、成績は中くらいで、苦手意識が強く、 特に英作文は全然できませんでした。大学受験では今でいうセンター試験の英語さえクリアすればいいということで、あまり時間を割かず、結果は200点満点 の118点。マークシート方式ですからこの点数は実力より高かったと思います。私は直感がきく方で、高校の定期試験でも友達に「ヤマ」をかけてと頼まれ、 全問あてたことがありますし、この英語の試験でも最後の長文は読む時間がなく、問題だけを見て解答し、それがけっこう正解していたのでした。

大学に入ってからは英語から遠ざかりました。もちろん大学の講義に英語がありますから、最低限は勉強していましたが、ほんとに最低限。「和訳」中心 の勉強でした。しかし、大学院の入試に英語があることがわかって、私はほんとに焦りました。高校時代、それから入学してからこのかた、誰も「理系には英語 が大切なんだよ」とアドバイスしてくれる人はなかったんです。私は付け焼き刃で「試験に出る英単語」を 全部覚え、それから院入試の過去問の英語問題をあるだけ解いて、そこに出てくる「専門用語の英語」をまるごと覚えました。まあ若かったので、そういう力わ ざができたんですね。結果的に、院入試の英語の点数がまあまあよかったため、奨学金を頂くことまでできました。あの頃、育英会の奨学金は家庭の収入ととも に、院試の英語の点数で順位が決まったんですよね。

さて、ではどうして「理系には英語が大切」なんでしょうか。
理系に限らず、最新の情報はほとんど英語で発信されます。私たち研究者は日常科 学論文を読みますが、それらの情報が日本語の教科書に載る頃にはすでに何年も経過してしまいます。また、インターネットの世界でも、英語のサイトは大きな 割合を占めています。日本語だけで情報収集すると言うことは不可能です。これは研究者だけでなく、大学の学生がレポートを書くために何か調べようというと きにも当てはまります。また、仕事をしていると、海外の人たちとコミュニケーションをはかる必要がどうしても出てきます。私の場合は、海外に同じような研 究をしている人たちがいます。メールでディスカッションしたり、「これがほしいんだけど、送ってくれない?」と依頼することもあります。学会で会って話す こともあります。いろんな場面で英語が必要なんですね。

しかし今でこそ私も苦にならずに英文メールを書いていますが、1999年に渡米する前はアメリカから送られてくるメール一本に四苦八苦。意味がわか らなくて困り果てたり、返事を書くのに何時間もかかっていました。とにかく高校時代からの英語難民ですから、ちょっと勉強したくらいではだめなんです。こ の続きはまた明日書きます。

(写真は冬になると現れるワシントンDCの屋外スケートリンク)

 

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大学・大学院での研究室選び

2006年12月04日 | 大学でのひとこま

 

私が学生の頃、獣医学科は今のような6年一貫教育ではなく、4年の学部を卒業した後、2年の修士を修了してはじめて国家試験の受験資格を得ることが できるというシステムでした。研究室への配属は4年生になってから。4年生の夏休みに修士の入学試験があるので、それに合格したら配属になるという流れ だったと思います。

私は大動物をやりたいと思っていたので、臨床繁殖学講座を選びました。でも私の出身大学はいわゆる都会にある大学で、牛は数頭しかおらず、大学の周 りにもそう畜産農家があるわけではなかったので、牛の臨床ができるとは思っていませんでした。でも他の研究室に比べたら、大動物に関係する仕事ができると ころだと思っていました。私はそこで早期妊娠因子の研究をすることになりました。研究室の仕事は全部先輩が教えてくれます。動物の世話、実験器具の洗い 方、細胞のとり方、顕微鏡の使い方。私が所属した研究室にはゼミがなく、英語の論文の調べ方、読み方も全部先輩に習いました。その頃はそのことに不満もあ りませんし、そういうものかと思っていました。私は無事修士論文を書き、卒業して、国家試験にも合格して獣医師となりました。

卒業してから私はある研究所に勤めました。
そこで大学での専門と全く異なる感染症の研究をすることになりました。若かったので、怖い物知ら ず。言われるままに新しい実験に取り組みました。卒業した翌年、上司の指示で「分子生物学」的な実験をすることになりました。大学時代にも一番苦手として いた分野です。しかし、「一番若いから」という理由で、私がやることになり、それから四苦八苦して勉強を始めました。ある時、「このまま一人でやっていて もだめだ。何とかもう一度大学に戻って勉強したい」と思い、上司に相談したところ、内地留学のような形で大阪大学微生物研究所に通ってもよいと言うことに なりました。私が26歳くらいの時のことです。微研に行くようになって、私はやっと「大学院の2年間でもっとトレーニングを受けることができたはずだっ た」ということを知りました。

研究室を選ぶとき、将来自分がどんな職業に就くのかわかりませんし、はっきりした目標も見つかっていない場合が多いと思います。「なんとなく」先生 がおもしろそうだから、とか、楽そう、とか、「就職がよいから」とかいろいろ考えるでしょうが、1年か1年半、あるいは大学院に進んであと2年、どういう 研究室で過ごすかということは本当に大切です。私のように、後で専門がどんどん変わる場合もあるので、研究の中身というより、自分をきちっと鍛えてくれる ところに身を置く方が自分をのばせるのではないかと思います。もちろん、素晴らしい巡り合わせで、研究テーマを卒業後もいかせる人もあるでしょう。が、そ うでなくても、この年齢の1年は本当に大きいもの。よくよく考えて研究室を選んでほしいと思います。

ところで私の話ですが、私は学生時代、博士を取るつもりもなかったし、大学の先生になろうなんて思ってもなかったのです。もしそんなつもりなら、最 初からもっとアグレッシブに研究の道を邁進していたかもしれませんが、このブログのタイトル通り、寄り道まわり道しながら、ゆっくり進んできたんですね。 そして今とっても楽しく日々生きていますから、本当はえらそうなことは言えないんですが、でも、もし可能であるならば、大学の2年生くらいの時、もう少し 大学の研究室についてよく考えてもよかったなと思っているのです。

(写真はブタの小腸の組織)

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獣医師という仕事

2006年12月01日 | 仕事・研究

 

私は小学校5年生の時獣医になろうと思い立ったのですが、そのときは獣医=動物のお医者さんと考えていました。6年生になったとき、その頃ネパールで医療活動をされていた日本人医師、岩村昇先生に会い、「国際協力の仕事をする」という目標ができたのですが、その後も獣医学科入学まで「臨床の仕事」しか頭にありませんでした。

大学に入ってわかったのですが、獣医師の仕事には、いわゆるペットのお医者さん(小動物の臨床)以外に、製薬会社で安全性の試験をしたり、公務員と して食品衛生の仕事にかかわったり、今の私のように、基礎研究の分野で働いたり、という多種多様な進路があるのです。今は獣医師ブームのようで、獣医学科 はどこも軒並み高い倍率になっていますが、今獣医師を目指す人の多くは、小動物の臨床志望であるようです。が、私は大学に入ってから、基礎研究のおもしろ さに目覚めました。「新しいことを知る」ということがとても楽しくて、本を読んだり論文を読んだり実験をすることで自分がどんどん成長していくのを感じま した。

私は小さいとき、体が弱くて学校も休みがちでした。
ベッドで寝ていることが多いので、本ばかり読んでいましたから、国語が得意でしたが、理 数系はからきしだめでした。5年生くらいの時、あまりにも算数ができないので父親に毎日九九を言わされて、げんなりしていました。中学に入っても、理屈が 納得できず理科でこけまくってました。私が数学と理科に目覚めたのは高校に入ってからです。中学では習わなかった、理屈を習ったとたんに視界がぱあっと開 けたようにわかるようになりました。それまでは獣医学科を目指していると言っても、学力試験に数学と理科があるのにどうするのか、、、という感じでした が、高校生になってからは俄然理数系が得意分野になりました。またちがう時に書きますが、私の唯一の弱点は英語で、これが後々苦労の種となるのですが、そ の時はなんとかやりすごしていました。

獣医学科に入ったら、4年生くらいで研究室配属になると思います(獣医学科は6年制なので)。私はそこで「臨床繁殖学講座」を選びました。その頃私 は大動物(特に牛)の仕事がしたいと思っていましたから、他の研究室は考えませんでした。しかし後になって、「研究室の選択」というのはもっといろいろ調 べ、考えてやらなくてはいけなかったと思いました。そのことについてもまた違う機会に書きたいと思います。結果的に私は卒業後は研究職の道を選ぼうと決意 するようになっていました。

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