院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

放射線に安全量ってあるのか?

2011-06-04 20:23:38 | Weblog
 私がまだ医学生だったころ、放射線科の授業で次のように習った。

(1)身体的な損傷(傷や怪我など)の場合、分散して(日をおいて、何度も小分けにして)損傷を受けると、一度に大きな損傷を受けた場合より、被害が少ない。それは、身体には修復機能があり、次の損傷までに前の損傷が修復されるからである。

(2)ところが放射線の場合はそうはいかない。遺伝子(塩基配列)には修復機能がないから、放射線を小分けにして何度も浴びても、同じエネルギーの放射線を一度に浴びても、傷害の程度は等しい。

(3)したがって、胸部レントゲン1枚でも被曝するのであり、必要性の低いレントゲンは極力撮ってはならない。

(4)とくに乳幼児の場合は、やむなくレントゲンを撮るときには、精巣や卵巣の部分に鉛のプロテクターを置いて、X線があたらないようにしなくてはならない。

 以上は40年前の知識である。X線は浴びれば浴びるほど身体に貯まっていくのであり、決して元には戻らないというので、印象的に覚えている。癌が老人に多いのは、それだけ長期間、自然放射線を浴びていたからだという説さえあった。

 だから、放射線に安全量なぞないのだ。少なくとも私の知識では。

 ところが、この40年の間に、実は遺伝子も修復されるということが分かってきた。それはDNAのコピーミスを修復する機能である。

 ただ、ここで早まってはいけない。何個遺伝子がやられると何個修復されるのか?ということがまだ分かっていない。また、コピーミスによる遺伝子の変異と放射線による遺伝子のキズを同等に考えてよいのかも分かっていない。(私が知らないだけかもしれないが。)

 だから、20ミリシーベルト以下なら安全だという議論は、まったく科学的でない。放射線の専門家の間でも議論が分かれているけれども、分れること自体がおかしい。まだよく解明されていないことは、「解明されていない」と正直に言うのが科学者の態度である。

 政治の世界では、論理(屁理屈でもよい)で相手を論破することも必要だが、科学的な議論の場合は、データがなければ分からないと(どんな派の科学者でも)言うしかないのである。

 放射線談義をしたので、ちと余談を。

 私の医学生時代、胃のレントゲン透視を主治医にせがむ患者がいた。胃の透視ならついこの前やったばかりなのにである。担当教授は次のように患者を諭した。

 「再度、胃の透視をすると、被曝量が原子力発電所の底辺労働者より多くなってしまいますよ」

 このような原発の現実は、当時としてはそうだったのだろう。そして、その現実を一般人も知っていたのだろう。原発の労働者が「苦しくてマスクなぞしていたら仕事にならない」とマスクなしで作業をしていたのは、国民がみんな知っていた。

 原発のおかげで作業員だった息子が白血病になったと訴訟を起こした親もいた。マスコミにけっこう大きく取り上げられたから、私も知っているのだが、取り上げられてもすぐに沙汰止みになった。マスクのこともである。

 今、福島原発で「決死隊」のように働いている人たちは、もしかすると40年前の原発の「底辺労働者」よりも被曝量が少ないかもしれない。今度こそは国民がみな見ているからである。