ドイツにはギムナジウムという中等学校がある。かつてはギムナジウムを出ないと、大学へは行けなかった。
ギムナジウムへ行くかどうかは、小学校4年生で決められた。ギムナジウムに行かない子は職業学校に進学し、将来はなんらかの技術に優れたマイスターを目指した。
昔のマイスターは、日本の「現代の名工」のように尊敬されたらしいが、今は違う。昔のドイツでは、技能を磨くのは若いうちからのほうがよいという、私が 2011-05-06 で主張したようなことが実践されていたのだが、最近では国民所得が上がり、誰もがギムナジウムに行きたがるようになった。
それはあたかも、我が国の大学の大衆化と似ている。昔は成績の良い者がギムナジウムへ行った。今はそうでもないらしい。
思えば20~30年前、ドイツの母親たちが立ち上がり、「選ばれた子だけギムナジウムに行くのは不公平だ」という声が上がった。その結果、今ではドイツの教育制度は日本のように「単線型」になっているという。
確かに小学校4年生で将来が決められてしまうのは、可哀そうな感じもする。ドイツでも大卒の給料のほうが良かったから、わが子をギムナジウムに行かせたいのは親心だろう。
ひるがえって、日本の単線型教育はどうか?大学の大衆化は良いことなのだろうか?学校さえ選ばなければ、希望者全員が大学に行けるという。
私は希望者全員が大学に行けばよいと思う。大学というところは、学問を学ぶ以前に、社会に出る前の「猶予期間」とも言えるからである。大学を遊園地と批判する者がいる。大学生なのに分数の足し算ができないと嘆く者がいる。
そんなことなぞ、どうでもよいのである。アメリカの大学フットボールチームの選手はほとんどが分数の足し算ができない。でも、フットボールが強ければよいのである。
我が国でも、医学と芸術は大学で教えるべきではない。専門学校にするべきである。そして先述したように、若いうちから技能を磨くべきである。
昔、東京美術学校が今の芸大として国立大学になるときに、反対した人たちがいる。それが正しい。美術のような技芸は、若い才能が国に管理されることなく、自由に勉強すればよい。優れた者は才能を伸ばすし、才能がない者はあきらめればよい。
医学を専門学校にせよという議論は分かりにくいかもしれないけれども、美術や音楽なら分かっていただけるだろう。どうしてもこれらを大学で教えたいというなら、将棋の大学や囲碁の大学も造ればよい。
将棋の奨励会や囲碁の院生の集まりを、大学に昇格させてみよ。できる奴はすごくできるし、できないやつは留年というバカバカしいことが起こるだろう。
ギムナジウムへ行くかどうかは、小学校4年生で決められた。ギムナジウムに行かない子は職業学校に進学し、将来はなんらかの技術に優れたマイスターを目指した。
昔のマイスターは、日本の「現代の名工」のように尊敬されたらしいが、今は違う。昔のドイツでは、技能を磨くのは若いうちからのほうがよいという、私が 2011-05-06 で主張したようなことが実践されていたのだが、最近では国民所得が上がり、誰もがギムナジウムに行きたがるようになった。
それはあたかも、我が国の大学の大衆化と似ている。昔は成績の良い者がギムナジウムへ行った。今はそうでもないらしい。
思えば20~30年前、ドイツの母親たちが立ち上がり、「選ばれた子だけギムナジウムに行くのは不公平だ」という声が上がった。その結果、今ではドイツの教育制度は日本のように「単線型」になっているという。
確かに小学校4年生で将来が決められてしまうのは、可哀そうな感じもする。ドイツでも大卒の給料のほうが良かったから、わが子をギムナジウムに行かせたいのは親心だろう。
ひるがえって、日本の単線型教育はどうか?大学の大衆化は良いことなのだろうか?学校さえ選ばなければ、希望者全員が大学に行けるという。
私は希望者全員が大学に行けばよいと思う。大学というところは、学問を学ぶ以前に、社会に出る前の「猶予期間」とも言えるからである。大学を遊園地と批判する者がいる。大学生なのに分数の足し算ができないと嘆く者がいる。
そんなことなぞ、どうでもよいのである。アメリカの大学フットボールチームの選手はほとんどが分数の足し算ができない。でも、フットボールが強ければよいのである。
我が国でも、医学と芸術は大学で教えるべきではない。専門学校にするべきである。そして先述したように、若いうちから技能を磨くべきである。
昔、東京美術学校が今の芸大として国立大学になるときに、反対した人たちがいる。それが正しい。美術のような技芸は、若い才能が国に管理されることなく、自由に勉強すればよい。優れた者は才能を伸ばすし、才能がない者はあきらめればよい。
医学を専門学校にせよという議論は分かりにくいかもしれないけれども、美術や音楽なら分かっていただけるだろう。どうしてもこれらを大学で教えたいというなら、将棋の大学や囲碁の大学も造ればよい。
将棋の奨励会や囲碁の院生の集まりを、大学に昇格させてみよ。できる奴はすごくできるし、できないやつは留年というバカバカしいことが起こるだろう。