院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

入試問題の記憶

2011-06-18 22:13:41 | Weblog
 大学入試のときの問題を覚えている人は意外に少ない。あんなに必死になって解いた問題なのに覚えていない。大学在学中でさえ、ほとんどの人がすっかり忘れている。今となっては、入試問題を覚えている同級生は私以外にはいない。

 私だって全てを覚えているわけではない。ただ、印象的な問題は覚えている。次に示すのは、とてもよくできている数学の問題である。

<問題>
 飛行機Aと飛行機Bがある。Aは双発であり、Bは4発である。個々のエンジンが一定時間内に故障する確率はどれも同じである。Aはエンジンが一つ残っていれば、墜落しないですむ。Bは二つ残っていれば、墜落しないですむ。つまり、Aはエンジンがすべて故障したとき、Bは三つまたは四つとも故障したときに墜落する。
 さて、飛行機Aと飛行機Bが墜落する確率はどちらが高いか?

 問題が上記のとおりだったか定かではない。常識で考えると、Aすなわち双発の飛行機のほうが墜落しやすいように感じる。

 だが、実はそうではない。A、Bともに、どちらが墜落しやすいかは一義的には言えないのが、この問題の面白いところである。本当のところは、航続距離によって確率が違う。

 航続距離が短いうちは、Aのほうが墜落する確率が高い。だが、もっと距離が長くなると確率が逆転して、Bのほうが墜落する確率が高くなる。だが、もっともっと航続距離が長くなると、再び確率が逆転してAのほうが墜落しやすくなる。

 なんと不思議な結果ではないか。航続距離によって確率が二転三転するなんて、よくできた問題だ。

 けっきょく私はこの問題を、時間内に最後までは解けなかった。でも、墜落の確率が何度か逆転するところまでは分かった。これには、かなり高い部分点を与えられたと考えている。

私の浪人時代(1)

2011-06-18 17:55:48 | Weblog
 昨日、勉強の仕方についての失敗談を述べたので、今日は大学受験の勉強について述べよう。

 私は国立大学の医学部を2ヵ所受験したのだが、当然いずれも落ちた。当時、医学部は今よりさらに難しかったように思う。と言うのは、ベビーブームで受験生が今の2倍くらいいたここと、医学部の定員が全国で約4000人で、今の約8000人に比べて、半分だったことである。

 大学に落ちた私は、予備校に行くことになるのだが、当時は予備校にさえ「入学試験」があった。(今もあるのかも知れないが。)

 私は予備校くらい1番で入れると思っていた。なぜなら、私より学力のある奴はすでに大学に受かってしまっているはずだから。

 そのとき私は、思いがけない経験をした。その時点で人生が変わってしまうほどの衝撃を受けた。

 私は予備校合格者2000人のうち、600番だったのである。これにはたまげた。何と言う生ぬるいことを考えていたのだろう。頭から冷水をぶっかけられた思いだった。

 その予備校は、上から100人東大、さらに一ツ橋、東工大が併せて50人、慶応、早稲田には400人くらい受かる予備校だった。全部足しても550人。600番では、これらのどこにも入れないではないか?

 私は誓いを立てて机の前に貼った。禁漫画、禁音楽、禁文学。ただし受かったら、これらを浴びるほどやる、と。

 私は猛然と勉強を始めた。予備校の授業は午前中だけしかない。昼に家に帰ると、すぐさま明日の予習。予習しておかなければ授業が理解できない。夕食をはさんで夜9時まで勉強した。

 9時まで勉強すると、さすがに疲れてくる。もう勉強を止めたくなる。だが、私はここでふんばった。「9時まで勉強なんて、受験生ならみなすることだ。ここからが勝負で、他の受験生に水をあけなければならない」と自分に言い聞かせた。

 好きな数学を9時までとっておいた。そして12時まで数学を勉強した。数学は苦しくなかった。

 こうして、ついに年間総合順位2000人中6番まで、はいずりあがった。でも1番にはなれなかった。こんなに勉強したのは、後にも先にもこの1年だけである。あんなに勉強したことはなかった。