院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

歌は世に連れ

2011-06-28 11:59:23 | Weblog
 レコードはラジオ以前からあった。クラシック、邦楽のレコードはあっただろうが、流行歌というのはあったのだろうか?あったとしても、ごくローカルな歌に限られていたのではないか?

 それなら、ラジオ放送が始まったころの音楽番組とはどのようなものだったのだろうか?調べれば分かるだろうが、私には調べるエネルギーがない。だから、この記事はすべて推測である。

 私は初期のラジオ放送で流されたのは、クラシック、邦楽以外では日本民謡ではなかったかと考えている。これにより、それまでローカルだった民謡が全国区になった。東北の民謡が九州で聴かれるようになった。

 すなわち、ラジオ放送初期の流行歌に該当する歌と言えば民謡だったと思う。相馬盆歌や佐渡おけさなど今でも知られている民謡は、ラジオによって全国区になったのだと思われる。

 戦後、NHKのど自慢が始まった。当時のことは知らないが、私が少年のころでもレパートリーには民謡が多く含まれていたように思う。故三橋美智也さんや故三波春夫さんや故春日八郎さんが活躍していたころにも、民謡はのど自慢の一分野をなしていた。

 歌謡曲と言っても三橋美智也さんは民謡系、三波春夫さんは浪曲系、春日八郎さんは純粋系だった。演歌というのはまだなかったように記憶する。演歌がのしてきたのは作曲家の故古賀政男さんが朝鮮のメロディーを歌謡曲に取り入れてからだと思う。

 演歌の躍進はそこから始り、黄金期がしばらく続いた。演歌に翳りが見えたのは、ニューミュージックやロック系の歌謡曲が盛んになってからだ。そのころには民謡はのど自慢からほとんど姿を消してしまった。

 そして今、演歌は老人のものとなり、やがて民謡と同じ道を辿ってのど自慢からも姿を消すだろう。すでにCD店では演歌のCDを売っていない。

 もうなくなったNHKの歌番組のナレーションが記憶に残っている。ナレーターは名ナレーターだったが、すでに故人であり、私はその人の名前を忘れてしまった。ただ、以下のようなナレーションだったことは覚えている。

 「思い出は歌に寄り添い、歌は思い出に語りかける。そして、そのようにして歳月は静かに流れてゆきます」