院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

「遊び」と「仕事」

2013-09-10 06:12:10 | 読書
 原始時代、それもまだ農耕が発明されていなかったころ、人類は野を駆ける獣をとり、生えている植物を食べてエネルギーにしていた。

 獣を狩ることは腹を満たすのに必要だったから、それが「仕事」だったかと言えば、そうでもない。昔のイギリス貴族がキツネ狩りで遊んだように、獣をとることは「遊び」の要素を含んでいた。まあ、「遊び」とは言っても、狩りに失敗すれば空腹に耐えなくてはならないから、その「遊び」には切実さがあり、その分いまの「遊び」よりずっと興奮するものだった。

 原始時代には「遊び」と「仕事」は分けることができなかった。この二つが分かれたのは農耕が発明されてからである。農耕によって人類は余剰を持つに至り、やがて貨幣と身分制度が生まれた。その延長線上に現代がある。

 原始時代には「仕事の生きがい」という観念も「遊びには金がかかる」という観念もなく、両者はともに快楽の源泉でもあり、苦難の元だった。

 現代は「遊び」と「仕事」が奇形的に分化したために、「悩み」が「仕事」に帰せられ、「快楽」が「遊び」に属すると解釈されるようになった。

 以上は私が考えた小難しい屁理屈である。下の本は、小難しい議論抜きで「仕事」の本質に迫っており、なかなか読ませた。著者は、そういう言葉は使っていないけれども「制度の奴隷」や「金という評価方法」について平易に語り、ほのぼのとした気分になる。



 私はこの本を読むまで、森博嗣という名を知らなかった。著者は元国立大学の工学部の教員で、研究生活を送っていたらしい。工学博士である。理科系人間だからか、考察は論理的で建前主義を許さない。仕事に不満を持っている人や、仕事に就いていなくて引け目を感じている人には一読の価値がある。