画家マルセル・デュシャンが、1917年のニューヨーク・アンデパンダン展に、男性便器を「泉」(上の写真)と名付けて匿名で出品し、展示を拒否されたことは有名な話である。
デュシャンはそれに抗議し、物議をかもしたが、デュシャンの行為はその後のコンセプチュアルアートの先駆けとなった。デュシャンは従来の一点しか存在しない絵画を「網膜的絵画」と批判し、自らも絵画制作をやめてしまった。
デュシャンは芸術作品は一点だけである必要はなく、またそれを芸術かどうか決めるのは作者ではなく見る側だとも主張し、「泉」の前1913年に自転車の車輪を「出品」して、これをレディ・メイドと呼んだ。(「泉」を「噴水」と訳す人もいる、「噴水」のほうが「噴出孔」は何かと連想が及んで面白いと思う。)
私はデュシャンの主張に賛同できない。1970年ころ、名古屋の愛知県立美術館で前衛作品展が開かれた。お調子者がそこにゴミの山を出品して芸術作品だと言い張った。主催者側は不潔だと撤去を申し入れた。出品側は拒否し、それが芸術作品と言えるかどうか集会が開かれた。団塊世代の名古屋人ならご記憶かもしれない。
集会を開いた人がアホなら、出席した人もアホだと思った。同じアホだった私も集会に出て双方の言い分を聞いていたが、「暇な人たちだなぁ」と思った。むろん私も含めて。
芸術作品には驚異的な技術が伴っていなくてはならないというのが私の考えである。ダビンチのモナリザはもちろん芸術作品である。同じ観点から、昭和の写実的な映画看板も芸術作品だと思った。ただし、ダビンチも無名の看板画家も、自分を芸術家だと思っていなかっただろう。
芸術作品は時代の関数である。ダビンチの時代に、もし写真技術が発明されていたら、ダビンチのような先進的な人なら真っ先に写真技術に飛びついていただろう。当然、モナリザという写実画も生まれなかった。
モナリザに対して、世紀の名画だとか、謎の微笑だとか、モナリザの絵には謎のメッセージが隠されているなぞと、現在あれこれ論じている人たちは、愛知県美術館に集まってゴミを作品かどうか論じていた人たちと同類に思えてくるのだ。
(現在開催中の愛知トリエンナーレの出品作も、ほとんどがゴミの山だと私は思う。なぜなら、それらは超絶技巧を必要としないから。)