院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

中日新聞がESDに関する国際会議を軽く批判

2014-11-15 04:39:56 | 環境

(ESDに関する国際会議に出席された皇太子ご夫妻。京都新聞より引用。)

 石油や石炭などの資源は有限です。そもそも地球の大きさが有限ですから、無限に開発することはできません。

 先日も述べた「持続可能な開発に関する教育」(ESD)について話合うユネスコの国際会議が11月12日まで名古屋の国際会議場で行われました。原理的に「持続可能な開発」というのは語義矛盾であると私は述べました。あらゆるマスコミは語義矛盾を指摘しませんでした。

 しかし、中日新聞はこの国際会議を軽く批判していました。地元で行われた会議だからでしょうか?

 まず、35か国がスピーチしましたが、一国あたり2分しか与えられませんでした。そのため、多くの国が大したことは言えなかったそうです。

 また、「環境教育」と言っても読み書きの教育さえ満足に行われていない国もあり、国情があまりに違うので噛みあわなかったとも中日新聞は指摘しました。

 中日新聞は、原子力発電が日本でどのように受け入れられたかを地道に追った検証記事を掲載したり(2013-02-17)、見どころのある記者がいる新聞社だと思います。

(未開発国が「読み書きの教育」を始めたら必ず文明に侵されるでしょう。文字が発明されたころには人類はとっくに農耕文明を開花させ、貿易にまで手を染めていたと考えられるからです。このブログで何度も述べてきたように、農耕の発明が環境破壊の始まりだと私は考えています。したがって、読み書きの学習は環境破壊をかえって広げるという自己矛盾を内包しています。)

(読み書きができなければ飛行機は作れません。飛行機を飛ばすには文明の力が必要ですから。つまるところ、鉄、石油、飛行場、道路、都市といった環境を破壊したインフラがあっての飛行機です。だから、国際会議の参加者が飛行機で来日すること自体が、皮肉にも環境破壊を喧伝しているようなパラドキシカルな意味合いをもってしまうのです。)

サラリーマンが現金(預貯金を含む)以外の財産を得にくい理由(現代の奴隷その6)

2014-11-14 04:52:19 | 経済

(三井本館。ウィキペディア「三井不動産」より引用。)

 ここで言う現金(預貯金を含む)以外の財産とは、株などの債権、土地家屋、貴金属などを指します。株は一瞬で1割2割値上がりすることがありますが、じつは土地家屋や貴金属の値上がりも(じわじわとではなく)一瞬で行われることを忘れないでおきましょう。

 バブルの前、それでも年々給料が上がっていきました。隣りや上の階の音が聞こえるマンションやアパートなどの集合住宅がイヤで、私は狭くても一戸建てを切望していました。今の昇給なら来年は買えるかもしれないと思いつつ、来年になって昇給したときにはすでに、土地家屋はさらに手が届かない価格に上がっているのでした。

 その仕組みは、私がサラリーマンであることにあると気づきました。日本の経済がよくなると経営者がまず儲かります。経営者は儲かった分を給料を上げて被雇用者に還元しようとします。

 経営者は被雇用者の給料を上げるときに同時に、現金以外の財産も買うのです。経営者たちが買えば土地家屋や貴金属などが一瞬で値上がりします。サラリーマンが昇給するのはその少し後です。このタイムラグがあるために、サラリーマンにはいつまでたっても土地家屋が手に入らないのだと分かりました。単純すぎる構図かもしれませんが、そういう部分はあると思います。

 サラリーマンが土地家屋を買おうとするとローンを組まなくてはなりません。30年ローンとして、返済が完了するまで借金の2倍を返さなくてはならないといいますから、サラリーマンは銀行にも搾取されるわけですね。

 最近どこぞの経済学者が過去200年間の経済の動きを分析して、労働よりも財産のほうが利潤を生んでいるという結果を発表しました。資本主義経済では、やはりそういう結果になるのだろうなと嘆息した次第です。

(これだから、無産市民たるサラリーマンはいつまでたっても最下層に置かれるのでしょう。)


※今日、気にとまった短歌

  勝手口開けてサンダル突っかけて生ごみ捨てれば見事な月だ  (横浜市)丹羽口憲夫

株式会社はもう古い?(現代の奴隷その5)

2014-11-13 00:07:14 | 経済

(旧東インド会社、アムステルダム本社。ウィキペディア「オランダ東インド会社」より引用。)

 株式会社という仕組みは、東インド会社以来350年の歴史があります。株式会社とは、経営者と投資家を分離した初めての制度です。分離することで成功を納めたので今日まで続いてきたのでしょう。

 これまで投資家が株式会社に投資してきたのは、経済が350年間右肩上がりだったからです。なぜなら、右肩下がりの経済に、損すると分かって投資する投資家はいないからです。

 前回ご紹介した『グローバリズムという病』という書物は、先進国の経済はすでにピークに達した、それを端的に表すのが人口減少だと主張しています。それでは、先進国の株式会社はこれからどうしたらよいのでしょうか?じつは未開発国に手を伸ばす必要があります。未開発国はまだ人口増加を続けています。

 本書によれば、未開発国を巻き込むのが「グローバル企業」であり「経済のグローバル化」ということです。私見では、おおむかしの植民地政策が形を変えて現代に現れたものと見なせます。もっとも、著者は株式会社の賞味期限切れを主張し、「グローバル化」はうまくいかないだろうと予想しています。

 そのため、わが国の株式会社はローカルルールを捨てる必要はない、というわけです。(著者はそこまではっきりとは言っていませんが、私見を混ぜるとそうなります。)

 私はさらに著者が言っていない理由から、日本の株式会社がグローバル化できるか、するべきかという点に疑問をもっています。というのは、多くの株式会社が実質的に「個人」(同族)だからです。例えば、ヤンマーディーゼル(株)や日本メナード化粧品(株)などは非上場です。

 上場するのは資金調達を求めているというよりも、会社の箔づけとか見栄の部分が大きいのではないでしょうか?

 いずれにせよ、日本のサラリーマンは「個人」(同族)にいいように使われてきたので、これ以上外国人(の資本)にまでこき使われる必要はないと私は考えます。

(著者は最貧国ウルグアイの大統領、ムヒカ氏の”国連持続可能な開発会議・リオ+20(2012)”での演説を参照せよと言います。演説の要点は「各世帯に車があるドイツ人と同じ生活をインド人全世帯がやるだけの資源が地球にあるのか?」という素朴な疑問です。私の文明論からは、ムヒカ大統領の批判は、人類が農耕を発明したときにまで遡ることができます。)

(きのう(2012-11-12)まで名古屋の国際会議場で皇太子ご夫妻ご来臨のもと、「持続可能な開発についての教育(ESD)」という国連の国際会議が開かれていました。マスコミの中で「持続可能な開発」という用語の語義矛盾を指摘した社はありませんでした。開発には必ず限界があります。)

『グローバリズムという病』(現代の奴隷その4)

2014-11-12 08:30:05 | 経済
   (東洋経済新報社刊。)

 上掲の本では、グローバリゼイションとはすなわちアメリカ化とのことだそうです。

 アメリカ市場は内需が限界に達してこれ以上の成長が難しくなったので、日本市場を自分たちに組入れることによって、さらなる金のなる木を捜していると、この本は主張します。

 そのためには日本が積み上げてきたローカルルールをやめさせ、自らのルールに従わせることが必要で、わが国の企業が「年功序列」をやめ「成果主義」を採り、ビジネス言語にアメリカ語(英語)を用いるのはアメリカにとってのみ好都合なのだそうです。

 それが本当だとすると、日本のサラリーマンはアメリカのために慣れ親しんだ人事制度を捨てさせられるわけですね。ただでさえ日本の最下層に置かれ、3Kの仕事ではないというその一点だけで自らを保っているサラリーマンは、アメリカからも搾取されることになります。

(上の本は、家族制度の人事制度への波及や、株式会社という仕組みの賞味期限切れなどについても述べられており、示唆的です。長くなるので次回に譲ります。)


※今日、気にとまった短歌

  それあげる。同じのひとつ持ってるし(っていうか同じの持っていたいし)  (鹿沼市)河野麻沙希

「同一労働同一賃金」という詭弁(現代の奴隷その3)

2014-11-11 05:10:27 | 社会

(いすゞ自動車タイ工場。日経新聞Web版より引用。)

 さいきん再び「同一労働同一賃金」ということが言われます。むかしは女性の労働を買いたたかないという趣旨でこの標語は用いられました。

 現在では「成果主義」を正当化するために用いられます。つまり、報酬は「成果」すなわち「儲け」に与えられるべきで、「立場」や「職位」に与えられるべきではないということですね。

 これまでのように「年功序列」で賃金を決めていると、海外の賃金体系とズレを生じ、人材の国際流通ができなくなって日本が置き去りにされるという主張です。グローバリゼーションに遅れるなというわけです。

 ちょっと待っていただきたい。中国や東南アジアはグローバリゼーションの対象ではないのですか?初めのうち、工賃が低い中国で製品を作らせ、中国の人件費が上がると東南アジアへ乗り換えてきたのは、「同一労働同一賃金」を認めていなかったからできたことでしょう?

 「成果主義」を適用しやすい分野は、プロスポーツとか囲碁将棋のような限られた世界です。この業界は天才的な人しか必要とされません。そして、サラリーマンの世界でも最上級のサラリーマンはすでにそれだけの報酬を得ています。カルロス・ゴーンしかり、原田 泳幸しかりです。

 ですが、圧倒的多数の平凡なサラリーマンに、プロスポーツ界やプロ棋界のような天才性を求めるのは酷というものでしょう。「年功序列」を待つしか楽しみのない大勢のサラリーマンを見捨てて「成果主義」をとったなら、「一将功成って万骨枯る」という結果になります。

(運も年功も無視した「純粋な成果主義」に対応できるサラリーマンなんてほとんどいません。それなのに、そうではないように思いこませられたとしたら、サラリーマンはすでに奴隷化しているのではないでしょうか?)


※今日、気にとまった短歌

  棟上げに家族四人で立ち会えり親は家を見子は親を見る  (常滑市)村田修

サラリーマンは現代の奴隷かも(現代の奴隷その2)

2014-11-10 04:05:09 | 社会


 私が小学校6年生のとき、ハナ肇とクレージーキャッツというコミックバンドの「スーダラ節」が爆発的に流行しました。

 「サラリーマン」、「気楽」、「無責任」がキーワードでした。「タイムレコーダを押せば、あとはどうにでもなる」とか「無責任なのがよい、こつこつやる奴はご苦労さん」とか、日本人の勤勉さに少し水を指しているところが受けたのでしょう。

 これらがヒットした伏線に源治鶏太の一連の「サラリーマン小説」があったかもしれません。

 むかしのサラリーマンの仕事は少なくとも3Kではありませんでした。当時、国民の半数を占めた農業者の労働は3Kでしたから、国民の志向性がサラリーマンへと向かっても不思議ではありませんでした。(農業が3Kの仕事だった象徴は、下の写真にあるような「肥えたごかつぎ」でしょう。肥料にするために糞便を寸胴な桶(肥えたご)に入れて天秤棒で運んだのです。今この作業ができる日本人はいないのではないでしょうか?)

 高度成長時代、人口は農村部から都市部へ流れ、農業人口の減少とサラリーマン人口の増加が起こりました。集団就職が行われ、地方から見た東京をテーマにした歌謡曲が何曲も流行りました(2014-08-13 に記載)。都会のサラリーマンが憧れられた時代でした。

 しかしながら現在、サラリーマンはもっとも過酷な階層になってしまったようです。決して高くない賃金はガラス張りで、源泉徴収という水も漏らさぬ徴税制度が適用されています。経営者側の都合だけで、できもしない成果主義を押し付けられて、それに反論もできず、自分はダメな社員だと思い込む。「肥えたごかつぎ」こそやらないですむものの、思考まで奴隷化させられてしまったのでしょうか?



(映画「一枚のハガキ」。allcinema より引用。)

けっきょく世襲が楽 (現代の奴隷その1)

2014-11-09 16:07:26 | 生活

KAWAGOE Net より引用。)

 日本は200年以上営業している老舗の数が、世界で一番多いのだそうです。暖簾を守るのはたいへんでしょうが、継ぐべき暖簾があるのはないよりはマシなようです。

 幼馴染の魚屋のT君は、現在、父親の店の場所で居酒屋をやっています。仕入れは築地と決まっていて、父親の代からのノウハウがあります。

 T君は大学を出て、しばらくサラリーマンをやっていましたが、いつの間にか居酒屋になりました。サラリーマンよりずっと楽で、しかも収入が多いのだそうです。

 T君は、自分の一家が食べる食材を買ったことがないといいます。つまり、居酒屋で出す食材を流用すれば、食費はかかりません。また、台所用品やトイレットペーパーも買ったことがありません。店の台所用品や客用トイレのトイレットペーパーを使えばそれで済んでしまいます。

 自営業は、自分の生活に使用するいろんな物品が客用の物品と区別できないため、(全部ではありませんが)かなりの部分を客用として、必要経費に繰り込むことができます。

 店の敷地やノウハウの継承を含めると、自営業の世襲はサラリーマンより相当有利と言えるでしょう。暖簾を引き継ぐのは大変だとはいえ、継ぐべきものがないサラリーマンより楽なのは確かです。(要するに無産市民は、古代ローマ時代のむかしからコケにされつづけているわけですね。サラリーマンは現代の奴隷です。)


※今日、気にとまった短歌

  秋霖をしづかに流し駆けてゆくマラソン選手のなめらかな肌  (成田市)神郡一成

  

団体割引と子ども料金の謎

2014-11-09 03:32:07 | 社会

鞍馬湯のHPより引用。)

 100人以上いれば1割の団体割引が受けられる動物園があります。100人には満たないが大勢の子どもがいる場合、何人以上いれば、100人いると偽って入場したほうが得になりますか?

 上記は小学生の時に見た算数の問題です。問題の意味が分かりますか?私は分かりませんでした。でも、正解を出した子どもが複数いたので、小学生の私は驚いてしまいました。

 それはともかく、団体割引というのは何のためにあるのでしょうね。八百屋さんが、1個30円のリンゴをまとめて4個買うなら100円にしておくというような発想なのでしょうか?

 もうひとつ昔からある習慣で、子ども料金というのは背景にどのような考え方があるのでしょうね。バス鉄道にも博物館にも銭湯にも子ども料金があります。子連れでも安くしておくから、どんどん大人が来てくれという意味なのでしょうか?それとも、子ども愛護の精神なのでしょうか?


※今日、気にとまった短歌

   斎場の半世紀経し邂逅は共に口開け指差すばかり  (館林市)長谷川清

イスラム金融

2014-11-08 05:11:41 | 経済

(ドバイのイスラム銀行窓口。朝日中東マガジンより引用。)

 幼いころ、本を借りてもそのまま返せばよいのに、お金を借りるとなぜ利子がつくのか理解できませんでした。いまでも「公定歩合」とは何なのか、すっきりとは説明できません。

 イスラム教国ではコーランが利子を取るのを禁止しているため、有利子ではお金を貸せません。ただし、利潤は求めてもよいので、イスラム銀行は借り手の事業の協力という形でお金を貸します。それによって借り手が儲けたら、その一部をイスラム銀行が回収します。

 以上はベンチャーキャピタル(元金)と似て、たいへん分かりやすいシステムです。

 金融工学の粋をつくした(サブプライムローンを含んだ)金融商品が失敗したとき、イスラム銀行も損をしましたが、それは外国の取引先が損をしたからで、イスラム金融の仕組みから出た損ではありませんでした。そのため、金融先進国がイスラム金融に注目し始めたそうです。

 株式、債券、ファンドといった金融資産は、素人にはとっつきにくいものばかりです。これから勉強しようと思っています。


※今日、気にとまった短歌

  終電の一駅ごとに目を開けてまた眠りゆく黒髪静か  (杉並区)竹内亮

高利貸という賤業を銀行も始めた

2014-11-07 03:43:02 | 経済

(どこの駅にもある消費者金融。ウィキペディア「サラ金ビル」より引用。)

 むかし「サラ金」(サラリーマン金融)と言い、いま「消費者金融」と言います。

 「サラ金」は2つあったグレーな法定利息の高いほうを採用して大儲けしました。批判を受けて、上限利息は一本化されました。「サラ金」の時代はバックには隠れて大手銀行がついていました。(上限利息が一本化されて)「消費者金融」と名称をが変わってからバックの銀行は堂々と名乗るようになりました。

 信用がなくて銀行が貸せない人に「消費者金融」は高金利で貸します。銀行と消費者金融の棲み分けが行われるようになったのです。国際的に信用がない国の国債は利息が高く、信用がある国の国債は利息は低いのと同じことです。信用がない人は信用をお金(高い利息)であがなわなくてはなりません。

 大手銀行は「カードローン」というものをしきりに宣伝するようになりました。「カードローン」は「サラ金」や「消費者金融」と同じです。金利が異常に高いのです。

 「サラ金」も「消費者金融」も「カードローン」も要するに高利貸です。高利貸は江戸時代明治時代からあって、守銭奴として賤業と見なされてきました。いま銀行は素知らぬ顔をして名称だけ次々と変えて高利貸をやっています。

(銀行が「カードローン」を薦めるのは、借り手が行員に顔を見られないようにするためです。「サラ金」も「消費者金融」も借り手が顔を見られないで済むように自動化に努力してきました。借り手の後ろめたさを知ってのサービス、というより策略です。)

子ども用絵本の絵

2014-11-06 05:41:04 | 教育
           

 上の2つの絵はいずれも絵本の表紙です。

 しゃれたデフォルメがなされており、素人ではこのようには描けないでしょう。こうした(写実的ではない)絵は、私が幼いころの絵本にも採用されていました。

 しかしながら、このような絵をよいと思うのは大人の感覚で、私が幼いころは「なんとひしゃげた人物画で、下手な絵なんだろう」と思いました。そのため、内容に感情移入ができませんでした。

 上の絵本のような大人好みの絵を、子どもに与えるのはいかがなものでしょうか?買うのは大人だから、大人好みの表紙にしてあるのでしょうか?でも、読むのは子どもです。絵本には、子どもが容易に感情移入できる絵こそがふさわしいのではないでしょうか?


※今日、気にとまった短歌

  「My Way」をどなるが如く海に向け少女歌える山下公園  (みよし市)三輪一智

鉄道ジオラマに物申す

2014-11-05 05:12:04 | 工業

(鉄道ジオラマ。楽天市場より引用。)

(リニア鉄道館ネタはこれで終わりにします。)

 模型というものは精巧であるほど意味があるのだと思います。

 リニア鉄道館のジオラマは、あまりすばらしいものではありませんでした。車両は専門の会社が精巧なのを提供しています。ジオラマ制作者の腕の見せ所は、周りの家とか寺とか山の木々などではないでしょうか?

 上の写真のジオラマにくらべて、リニア鉄道館のジオラマは家や木々のレベルが落ちました。

 友人の鉄道模型マニアは、列車のヘッドライトが気に入りませんでした。なぜかというと、電圧を上げて列車が速くなると、それに倣ってヘッドライトも明るくなってしまうからです。(現実にはありえないことですから)友人はライトの電源を別系統にしました。

 そこまで凝るなら、なぜ鉄道ジオラマには架線がないのでしょうか?架線を支えるフレームはあっても、なぜ架線そのものを作らないのでしょうか?

 リニア鉄道館のジオラマにはフレームさえありませんでしたけれども・・。


※今日、気にとまった短歌

  公園のアヒルが病気かもしれぬ幼子の話いとしみて聞く  (半田市)堀崎ひさ

プラモデルに凝らなかった理由

2014-11-04 04:22:53 | 技術

(青函連絡船、旧交通博物館展示品。みんからより引用。)

 幼いころ父親に万世橋の交通博物館によく連れて行ってもらいました。本物の車両や自動車のほかに模型の鉄道や船舶が展示されていて、幼い私は模型のあまりの精巧さに驚きました。(交通博物館は2006年に閉館しました。)

 同じころセルロイドに変わって新しいプラスチックが身近になりました。最初に接したプラスチックは鉛筆のサックでした。冬の教室にあったダルマストーブの煙突にそれを押し付けると、溶けて妙な臭いが発せらました。悪童たちは喜んでサックを溶かしました。

 プラモデルというものが発売されたのは、そのころです。私もやってみましたが、要するに細部がすでに出来上がっているパーツをセメダインでくっつけるだけなのですね。

 仕上がりも上の交通博物館の模型に比べて、あまりにチャチなので、魅力を感じませんでした。私がこんにちまでプラモデル作りに凝らなかったのは、そんな理由からです。

 名古屋のリニア鉄道館の鉄道模型を見て、思い出しました。

「超特急つばめ号」の記憶

2014-11-03 05:39:53 | 技術

(「超特急つばめ号」、リニア鉄道館展示物。)

 幼いころ私が最初にあこがれた列車は「超特急つばめ号」です。SLが客車を引くのですが、東京大阪間8時間を実現しました。

 絵本にあった「つばめ号」の最後尾はパノラマ車になっていて、バルコニーに出て後方をじかに眺めることができました。(絵本に描かれていたのは戦前の「燕」のことかもしれません。戦後の「つばめ号」にパノラマ車が付いていたかどうか確認していません。)

 ともかく、幼い私がパノラマ車への憧れを述べると、年上の従兄弟は次のように語り、私を幻滅させました。

 すなわち、当時の客車はトイレの汚物を線路に撒く。それが霧状になって列車後部に巻き上げられる。そのため、パノラマ車のバルコニーの手すりには汚物が塗られたような状態になっており、手でつかむことができない。

 年上の従兄弟は一昨年に亡くなりましたが、ぜんぜん意地悪な人ではなかったので、自分の知識を述べただけだと思います。でもそれが本当のことだったのかどうかは分かりません。(常識的には、汚物が飛散してくるような場所にバルコニーを設けないだろうと考えられます。)

 きのう、名古屋のリニア鉄道館に行って上の機関車を見て、思い出した次第。


(「つばめ号」最後尾のパノラマ車。ウィキペディア「つばめ(列車)」より引用。)

懐かしい仮装・日本エレキテル連合

2014-11-02 05:49:59 | 芸能

(日本エレキテル連合。Yahoo! ニュースより引用。)

 「日本エレキテル連合」の仮装とギャグに懐かしさを覚える年配者が多いのでないでしょうか?

 あのまったく雑な仮装から、むかしの宴会芸を思い出します。テレビはまだ普及しておらず、娯楽が少なかったあの時代、素人の有志が宴会であのような仮装をして笑いを取りました。

 ああいうちょっと品がない仮装が出そうな宴会には、亡父は幼い私をなるべく連れていかないようにしていました。幼な心には面白かったのですが・・。

 そんな50年もむかしの素人の宴会芸が、いま公共放送で人気があるとはちょっと驚きです。

 「ダメよダメダメ」というセリフも、年配の人なら聞き覚えがあるでしょう。森進一さんが人気絶頂のころの「年上の女」という歌の中にあります。(46,7秒くらい後に出てきます。)

 「日本エレキテル連合」は、やっていることが古くさいのですが、その古さを知らない若者には新鮮に映って受けているのかもしれません。私たち世代が上の人間は、あんなウイットのかけらもない素人芸がギャラを取ってテレビに出てもいいものか?と考えてしまいます。