この馬券に神が舞い降りる

だから...
もうハズレ馬券は買わない。

暇なので

2025-01-29 17:15:11 | Weblog

暇なのでフジテレビの会見を9時間半見ていました。人数的にもSMAPの謝罪会見を重ねてしまいました。(SAMPの怨念でしょうか)
1時30分過ぎまで見ていましたが、さすがに内容もないので寝ることにしました(会見している人達も「老人ばかりなので寝かせてやりなさいよ」思いました)。

長時間の会見は明らかに広報の反省点です。
①質問を想定していたようなので、パワポなり画像化した資料を表示する
②誰がどのように対応をしたのか、時系列に提示する
③質問に対する回答を打ち込み、可視化をして同様な質問を防ぐ

集まった方々は人権侵害だとかいろいろ騒いでいましたが、マスコミのパワハラとしか受けとめられませんでした(港さんや遠藤さんは死ぬんじゃないのと心配しました。)。
こういう衒いの連中ならば、前回のような形式での会見も致し方なしなのかと感じてしまいました。

事の発端となった「週刊文春」ですが、ネタ元は被害者の友人とされています。「誰?」本当に存在する人なのでしょうか(講談社の人でしょうか)。
競馬新聞で「A厩務員の友達からの聞きました」なんて記事を載せることはありません。増してや他社の予想紙をうのみにして、うちの社の予想も同様の判断をします。なんて書く予想紙はありません。なぜならば予想紙といえども「報道」というルールのもとに発行されている「新聞」だからです。過去の競走成績、調教状態、厩舎コメント(コメントとして掲載できる対象者は限定されています)は嘘、いつわりが記載されることはありません。厩舎のコメントは回復途中なんて言っていたけど、馬主に聞いたら「調教師が調子がいいと言っていたので当日競馬場に行きます」と言っていたので、これは本命ですなんて書いたらこれは「報道」ではなく情報誌です。

「マスメディアとしてどうなのか」という発言、怒号が飛び交っていましたが、「週刊文春」の記事に対して「裏」を取って参加された記者のかたはどれだけの数いたのでしょうか。一人でも「私が確認したところでは、こういう事実関係があることがわかりましたが、いかがでしょうか。」と質問される方がいれば「記者」と呼べますが、あれでは烏合の衆です。
ネットで騒いでいる人もテレビなんて見ない人が騒いでいるだけですよね。ネット記事で、よく見かけますが全く自分の正体を明かさずに書いている人がいます。そんな人がフリーランスの記者ですと名乗ってあの中にいたとすれば、なんと烏滸がましいことでしょうか。

被害者の人権のため名前は明らかにされませんでした(フォットエッセイを出すあの人でないのであれば、他に被害にあわれた女性アナウンサーがいるのか?と思ってしまいます)が、関係者は名前が晒されています。港元社長の言を信じれば、上司の女性アナウンサーが異変に気がつき、事情を聴きだしたとあります。相談に応じられた上司の女性アナウンサーは素晴らしいと思います。なんだかわからない横文字が横行し、日本人らしい組織の意思疎通がかけ、上司は部下に声掛けできないようになっています。そしてどこまで踏み込むかというのも難しい判断です。


想像すれば、どうしたいのか確認するのでしょう、女性アナウンサーの揺れていたと思います。その中で最も優先順位が高かったのが「仕事を続けたい」という意思に対して、今後も仕事を続けたいならば今回のことは公にせずに黙っておきましょうという結論になったのではないでしょうか。ポイントは聞き出したときに誰がその結論を導きだしたかです。女性アナウンサーの結論だったのか。上司の女性アナウンサーの結論だったかです。

当然、会社組織ですから上司の女性アナウンサーはアナウンス部の上司に相談したことでしょう。当時のアナウンス室の構成から相談相手が想像できます。報告を受けて、「仕事を続けたい」という女性アナウンサーの意思と「公にしないようにしましょう」という結論を尊重したと考えます。しかし女性アナウンサーは体調を崩します。休職した方がいいのではないかと持ち掛けて、上司のアナウンサーは社長に報告します。普通、直接社長へ報告ということはありませんが、港元社長はバラエティー畑出身ですから、関係性としては相談しやすかったのではないと思われます。現場からの報告に対して、「仕事を続けたい」ので「公にしたくない」というであれば経過をみましょう。となったのではないかと想像されます。

フジテレビほどの会社ですから社長がそんなところまでは普通は関与しません。箝口令が敷かれたうえでコンプライアンス部に任せ、経営陣にも共有するでしょう。本当に港社長で留まったとすれば、社長と関連性が高い社員がかかわっており、敷いては社長にも影響が及ぶ事案だったのではないかと考えます。フジテレビは2024年7月にアナウンサー外の方を室長として迎えています。この時点で女性アナウンサーとの関連性は拗れていたのではないでしょうか。組織変更が行われて、番組の改編が行われています。

一番最初に「テレビ」というものを作り出した人は失敗したのだと思います。ニュースは「報道」です。ワイドショーは「情報」です。「報道」は事実を伝え、「情報」は真実とはいえないこともあるということです。ニュースもやります、ドラマ、アニメ、バラエティー「娯楽」もやりますという中で「テレビ局は報道機関なのだから真実を伝えないといけない」というのは無理があります。「マスメディア」だから、大衆媒体だったらこんなものでしょう。それでもテレビはその正体を現している分フェアだといえます。紙媒体やネットはその正体すら明かしません。
フジテレビはプロデューサーとして成功した人が社長になるという構図があります。プロデューサーとして成功した人が社長として適任であるとはいえないでしょう。しかしその様な成功の道があり、その成功の道にたどり着いた港元社長自身のウイークポイントとなる点を責められたのかもしれません。テレビ局のなかで一番偉いのは「営業」だと思うのですが蔑ろにされているのでしょうか。アナウンサーも所詮は使い捨てのような様相が垣間見れます。一番の敵は身内の中にいるのかしれません。とにかく権力者に逆らえない社風ならば変えていかなくてはいけないでしょうね。

今後、被害者といわれる人物がネットの標的となってしまうのではないかと心配しています。でも被害届も出ていないし、あくまでも伝聞による憶測記事ですよね。ここまで来て、間違いでしたとなったら「週刊文春」の廃刊だけではすみません、文芸春秋社潰れてしまいますよ。

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