Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

余韻を楽しむ

2011年08月01日 | 玄関飾り
 祇園祭りの山鉾巡行が終わってから、もう2週間がたってしまったなんて、時間がたつ早さに驚いてしまいます。
 わが家の玄関に飾られる手拭いは、祇園祭りから戻って、「祇園祭り」の素敵な手拭いに入れ替わりました。ちょっと遅かった、と言われればそれまでですが、実は、この手拭いは今回の京都で買った新しいものです。
 でも、この手拭いのおかげで、2週間がたった今も、山鉾巡行のハレの儀礼空間の余韻を楽しむことができます。だから、夏の間はきっと、この手拭いがわが家の玄関を飾ります。でも沖縄の夏っていつまでのことを言うのかな?

飛び立とうよ、4月だもの

2011年04月20日 | 玄関飾り
 玄関の手拭い飾りが4月に入替えられた。基本的にわが家の手拭いはすべて京都のRAAKで買ったものだが、これは昨年、羽田空港国際線ターミナルが開港したとき、このターミナルビルにRAAKがオープンしたことから限定で発売したデザインである。
 4月は年度初めの月であり出発の月。もちろん今の日本では、出発したくてもそれができない人々がたくさんいることはわかっている。しかしだからこそ、気持ちだけでも飛び立ちたいではないか。限りなく広がる青空に向かって…。
 

2月の玄関飾り

2011年02月09日 | 玄関飾り

 わが家の玄関に飾られる手拭いが2月バージョンになった。なんとチョコレート柄の手拭いである。こんな柄を手拭いにデザインすることを考えた人もすごいと思うが、「2月=チョコレート」という図式が日本人(私も含めて)に出来上がってしまったことに驚いてしまう。
 日本にいると、銀座や赤坂は別としても、ふつうは「デパ地下」くらいしか、チョコ屋なるものと出会わない。ゴディバとかノイハウスとか、とにかく非日常の高級チョコレート屋のイメージである。だいたい日本人はチョコ屋なるものに寄ってショーウィンドーを指差し、「今日は、この二つ」みたいなチョコレートの買い方をする人はさほど多くない。そういう意味で高級チョコレートは、バレンタインデーに利用されるための食べ物のような気がしてならない。
 オランダで生活していて驚いたのは、スーパーで買い物をした帰りの老人がおしゃれなチョコレート屋によって、一つ、二つのチョコを買ってかえる。店屋の店員は、それをチープな紙袋に入れて渡してくれる。帰りにつまむのか、帰ってお茶とともに食べるのか?とにかく高級なるチョコも日常生活の中に溶けこんでいた。
 京都で買った手拭いに描かれたチョコが高級かどうかはとにかく、面白いのは、そのチョコの種類である。たくさんの抹茶チョコがちりばめられているではないか。ヨーロッパで発展したチョコも日本文化の中で「日本のチョコ」へと変容し、日本人に受容されていくのである。なんだかそう考えると、「日本手拭いに抹茶チョコ」はそんな日本におけるチョコを表象しているようにも思えるのだ。


1月の玄関飾り

2011年01月20日 | 玄関飾り

 わが家の1月の玄関に飾られた手拭いは、RAAKの「ポチ袋」です。残念ながら今はもうポチ袋を渡す側になってしまって久しいのですが、やっぱり、お正月は「ポチ袋」。小学6年のとき、もらったお年玉を使って、吉祥寺のレコード屋で買ったビートルズの赤盤を思い出します。
 RAAKは京都にある染物屋さんで、手拭いをはじめ、私が好きなデザインのさまざまな商品が売られています。東京では新宿の丸井に入っていましたが、最近、羽田空港の国際線ターミナルに出店しました。東京に行くことが多い私にはありがたい一方で、やっぱり京都で買いたいというのが本音です。
 ちなみに今年の祇園祭の山鉾巡業の前日、京都のホテルを予定できました。今年は日曜日が巡業にあたるので、前日の土曜日はどのホテルもほぼ満室。今から7月中旬が楽しみです。

 


モミジと紅葉(もみじ)

2010年10月29日 | 玄関飾り
 昨日、沖縄は台風の影響で午前中から暴風警報が出たために大学の授業は休講。といっても私は仕事があるので学生と一緒に帰るわけにはいかない。それでも4時過ぎに助手の車で送ってもらって家に帰る。
 家では玄関の鉢植えの移動でかみさんがバタバタしていた。暴風雨なので大きな鉢植えが倒れてしまうのである。特にわが家の玄関には高さが植木鉢もいれると1.5メートルはあるタイワン・モミジが置かれているのだ。夜になって、とうとう大きな鉢を玄関の中に移動することにした。
 鉢植えを運んだとき、玄関であることに気がついた。玄関が「W(ダブル)モミジ」なのである。ちょうど今週、玄関飾りの手拭いの柄を「紅葉(もみじ)」に変えたばかりだったのだ。しかし、タイワン・モミジは外来種で、名前は和名にはモミジとついているが、常緑樹で紅葉しない。お互いに友達に会った気はしないのだろうが、ちょっとしたアクシデントによって、緑の「モミジ」と秋の「紅葉」が出会ったわけだ。一晩、仲良くできたかな。

那覇はまだ風鈴の季節

2010年09月16日 | 玄関飾り
 今日から東京は急激に気温が下がって、すっかり秋めいた季節がやってきたそうです。朝の気温は20度だそうで、羨ましいと思うばかり。まだまだ沖縄はクーラーが必要な季節。昼間の日向はお肌の大敵!
 13日にインドネシアから一ヶ月ぶりに自宅に戻ると、玄関の手ぬぐいがかわっていました。なんと「夏」らしい風鈴なのでしょう。8月に出る前はまだ梅雨の季節の手拭いでしたが、かみさんは、キジムナーフェスタ出演や東京への帰省、子どもの学校のテニスの父母会などでとても忙しくてかえられなかったのでしょう。(「君が自分でやりなさい」、という天の声がどこからか聞こえてくるぞ!)
 この手ぬぐいは、京都の有名な手拭い屋さんで、京都に行くたびに買っているもので、季節に合わせたいろいろな絵柄があります。わが家にも、今後、秋に向けた手拭いがいくつかストックされているはず。でも、当分、那覇は「夏」だな……。

鯉のぼりから菖蒲へ

2010年05月13日 | 玄関飾り
 玄関の手ぬぐい飾りが、鯉のぼりから菖蒲に変わった。5月ごろから咲く花。沖縄は梅雨に入って湿度の高い日々が続き、なんとなく肉体的にも精神的にもだるい毎日が続くのだが、へとへとになって玄関を開けて最初に出会う菖蒲の花は、なんとなく私をホッとさせてくれる不思議な力を持つ。
 沖縄のどこかで菖蒲は見れないのだろうかと考えてみるが私のわずかな沖縄の知識では、この花が咲いている場所を思い起こすことが出来ない。それとも沖縄には咲かないのかな。
 梅雨が明けると次の手ぬぐいに変わる。だって、ついこの前、夏を表象する手ぬぐいをちゃんと京都で買ってきたから。しばらくわが家の玄関の季節は、手ぬぐいの絵柄で味わえるはずだ。それにしても、かみさんが近所の雑貨屋で、手ぬぐい用の額をよく見つけたものである。
 

今年はもうお別れだね

2010年05月08日 | 玄関飾り
 5月5日の子どもの日が終わると、なんだかそれまで元気よく泳いでいた鯉のぼりが、松の内を過ぎても玄関先にかかっている正月飾りのようにみえてくるものだ。同じ鯉のぼりであるはずなのに、何か生気の無い、うつろな表情で流れに身をゆだねながら浮遊しているような鯉……。
 そんな鯉はしばらくすると真っ暗な深海のような川底――どんな川にもそんな鯉のぼりたちの魂がほぼ11ヶ月にわたって身を潜める隠れ場所があるものなのだ。それを僕らは知らないだけ。魂の抜けた「鯉の布」もまた、箪笥や衣装ケースの真っ暗闇の中に、たいていはきれいにたたんでしまわれる。中には忘れられて、これっきり太陽の光のもとに戻れない鯉だっているはずだ。そんな鯉の魂は、永遠に川底で生き続けているにもかかわらず。
 わが家の玄関の鯉もまた、そんな季節がやってきた。一ヶ月、おもいきり飛んで、跳ねて……でも今はもう一枚の額におさまった手ぬぐいに描かれた鯉にすぎない。もう鯉の魂は深い川底へ戻っていったのだから。でも君はこれっきりじゃない。また11ヵ月後には、こうして沖縄のこの場所へ戻ってくるんだ。しばらくの辛抱さ。ゆっくりお休み。

正月飾り

2009年01月06日 | 玄関飾り
 今年のわが家の正月飾りである。なんと絵は春らしい浮世絵の影響を受けた(?)ゴッホの絵に変わったのだった。このところ、かみさんが忙しく玄関飾りの変化が乏しかったのだが、やはり日本人にとっては、バリ人のガルンガン、ニュピにあたるお正月。やはり玄関も装い新たに、そして気持ちも新たに今年の出発である。
 それにしても絵が変わるとだいぶ玄関の雰囲気に変化を感じるものだ。絵もアムステルダムのゴッホ美術館で購入したもの。荷物になるのにどうして旅先でこんな大きなポスターなんて買うわけ、とそのときは思ったものだったが、このように飾られると、やっぱり持ってきてよかったと感心してしまう。
 そんなお正月飾りを見ながら、「今年はまたオランダ行きたいなあ。」と改めて思ってしまう。今はユーロが安いし、審査中の助成金が通ればなあ・・・なんて取らぬ狸の皮算用。

梅雨の玄関飾り

2008年05月27日 | 玄関飾り
 沖縄は数日前から梅雨に入った。そのとたんものすごい蒸し暑さで、とにかく家にいても研究室にいても汗が噴出してくる。東南アジアの音楽研究者がこれしきの暑さに負けてどうするか!とクーラーのリモコンに手を触れずにこれまでがんばってきたが、そんな努力もむなしく、除湿のスイッチを入れてしまった。10分もすると今度は快適すぎて、授業で使った本を図書館に返すために外出するのも面倒になる。いかん、いかん・・・。
 さて梅雨入りすると同時に、わが家の玄関飾りは、カエルとスイレンの立体的な飾りで縁取られた写真立てがお目見えした。なるほど、梅雨にカエルとスイレンとはなかなかイキな計らいである。たしかに季節感たっぷりといえる。この写真立ては、オランダの大学町ライデンにある動物をモチーフした小物を売る店でかみさんが購入したもので、久しぶりに写真立てを見るとそんなライデンの町並みが蘇って来る。大学から駅に行きときよくこの店の前を通り、たまに店屋を覗いたものだ。
 この写真立て、実はまだ写真が入れられていない。つまり写真立てとしての機能はまだ果たしていないことになる。しかし、重要なのは梅雨とカエル、つまり写真立ての飾りなのである。写真が入るとその縁取りの意味が薄らいでしまうではないか。ということで、わが家では梅雨が明けるまでの当分の間、写真ではなく、写真立てを楽しむことになりそうである。