Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

9月30日に思うこと

2010年09月30日 | 家・わたくしごと
 今日は9月30日である。この日になるといつも思うこと。それは今から45年前、インドネシアで1965日9月30日に起きたクーデター未遂「9月30日事件」である。しかし、現在バリの芸能を学んだり、楽しんだりしている方々は、ジャカルタで起きたそんな昔のことは知らないかもしれない。
 しかしこの事件の余波は、その後バリにも波及する。バリの老人たちは、自らすすんでこの事件の後、バリで起きた事実について語ることはない。質問しても、はぐらかして答えないものもいれば、やっとの思いで重い口を開くものもいる。
 インドネシアの女性達の証言を集めた本が出版されている。この中にはジャンゲルの踊り手だったバリ人の証言もある。過去があるから今のバリがあるのだ。そんな過去のできごとを知りたいと思うかどうかは個人の自由だが……、

オランダからエッグスタンド

2010年09月29日 | エッグカップ
 Yahooオークションで落札したエッグスタンドがオランダから送られてきました。海外からの出品を落札したのは初めてですが、無事に到着しました。郵送料が国内より高くても、VILLEROY & BOCHのエッグスタンドのこの柄がとても気に入りました。エッグスタンドの裏を見るとMADE IN LUXEMBOURGと記されていました。
 かみさんは、送られてきた箱の中に梱包材として入っていたぐしゃぐしゃになったオランダのスーパーの広告を「懐かしいから」という理由で捨てないでとっています。オランダから送られてきたエッグスタンドによって、わが家は少しだけ「オランダ・ノスタルジー」に包まれているようです。

パラダイス荘のお話

2010年09月28日 | バリ
 ぼくは、バリで調査をしている間、「パラダイス荘」と命名した4部屋の長屋風アパート(下宿)に滞在していました。4部屋は、一番南から、チェコ人、日本人(私)、アメリカ人、日本人とすべて外国人が住むアパートで(ちょっと新大久保のアパートのようです)、4人に加えて、犬が一匹います。このアパートに住んでいるといっても、誰が飼っている犬なのかはまったく不明で、時間によって、それぞれの部屋のベランダをねぐらにしています。4人+1匹、これがパラダイス荘の住人(犬)なわけです。
 約1ヶ月ここに住んでいる間、そりゃもう、相当なドラマがありました。腹を抱えて笑える話あり、考えさせられる話あり、バリとは何なのか、留学とはなんぞや、という重いテーマの話まで。1冊の本、1本の映画が作れるくらい面白い(面白そうな)話ばかりです。
 チェコ人は朝でも夜でも、部屋とベランダでギターを弾きながらチェコ語のフォークソング調の歌を絶叫し、音のはずれたヴァイオリンを演奏します。見た目は1960年代のジョン・バエズみたいですが、それにしてはギターも歌もバエズにはほど遠い……。
 アメリカ人のバリ人の彼氏は近くから自転車に乗ってやってきます。だからぼくは、彼が自転車に乗って夕方あらわれ、明け方帰っていくとき(帰っていく時間的タイミングが実に考え抜かれ、絶妙です。)、ベランダにいたり、部屋で起きていたりすると、高田渡の《自転車に乗って》を必ず口ずさみます。
 犬は外国人にしかなつきません。バリ人には狂ったようにほえ、外国人には尻尾を振ってついてくるのです。スーパーに買い物に行くのもついてこられて、相当に閉口しました。なんだか外国人を見分けるハチ公みたいです。
 犬には洒落た名前がついていましたが、忘れました。たった一度も名前で呼んだことはありませんでした。私が部屋に戻ってくるとおなかを出して媚を売ろうと必死な犬。だからぼくは完全に無視します。媚を売るものは、人も動物も嫌いです。でも、犬にとってはどうもここがパラダイスのようなのです。だから、彼はここから出ることができないし、出てもすぐ戻ってきてしまいます。パラダイスをいったん知ってしまうと、時間を発つのが忘れてしまうのです。知っているでしょう?竜宮城という名のパラダイスでそんな経験をした人を……。ただ犬にとってのパラダイス=バリではありません。それはバリ人とは異なる外国人の姿と行動を存分に楽しめるという点で犬を決して飽きさせることのないパラダイスなんです。

CDの大人買い

2010年09月27日 | 東京
 「CDの大人買い」をご存じだろうか?タワーレコードなどで、小さなカゴに買いたいCDを入れていくスーパー方式の買い方のことで、そんな光景は「びんぼっちゃま(貧乏ちゃま⇒「おぼっちゃま」の反対語)」には夢のまた夢の話である。一枚2,500円前後のCDを7,8枚買えばそれだけで20,000円になるわけで、お小遣いを一生懸命ためて好きなアーティストのCDをやっとのことで1枚購入する少年少女たちにとっては、まさにあこがれの「大人買い」なのである。
 私は「CDの大人買い」にあこがれた少年時代をとっくに終えて大人になったものの、いまだカゴをもってCDを買った(1枚CDを買うのにカゴを持つ人はいない)経験はないのだ。その私が土曜日、東京でとうとう「CDの大人買い」をやってしまったのである。
 場所は新宿のディスクユニオン・クラシック館。行きつけのCDショップである。といってもセカンドハンド。品揃え豊富だし、中古なので安い。それでも一度にCDを2枚買うなんてことはほとんどなかったのだ。ところが、今回この店を訪れると決算バーゲンで、ほぼ全部の品物が半額!ぼくは、おもむろに「カゴ」を探した。
「中古とはいえ、ぼくは今、人生で初めてCD屋でカゴを持っているんだ。」
 なんだかある種の感動が胸の奥から沸き起こる。
 そして1時間の間にぼくは、8枚ものCDを購入したのである。パレストリーナ、ビクトリアのルネッサンス時代のミサから、フォーレのレクイエム、ワイルのブレヒトソング、ボルコムの演奏するラグタイムまでバラエティーに富んだ。それにしてもカゴに入った8枚のCDはずっしり重かった。「大人になったんだな」と実感できた瞬間だった。ちなみにお会計の合計は、3,137円だった。価格的に「大人」はまだまだほど遠いけれど……。

「おはよう」「いくら?」

2010年09月26日 | 東京
 私の友人H氏のお話。彼は1980年代に初めてバリに行ったとき、朝、小さなロスメン(民宿)で目を覚まして部屋を出ると、ホテルの従業員がはき掃除をしていて、彼に「スラマット・パギ(おはようございます」と挨拶をしてくれたという。その時、彼は一生懸命おぼえたガイドブックの後ろについているインドネシア語の会話の文章を思い出してこう答えたそうだ。
「ブラパ?(いくらですか?)」
 彼は「挨拶」が書かれた頁ではなく、どうも「買い物」に必要な会話の頁を勘違いして、答えてしまったらしい。
 ぼくは、この話を聞くと当然のことながら笑ってしまったが、それにしても冷静に考えてみると、実にシュールな会話ではないか?
 「おはよう」
 「いくら?」
 「おはよう」と声をかけた従業員はいったいこの応答に何を思ったのか。外国人旅行者にありがちな単なる誤解と思ったのだろうか、あるいは、この会話は一見すると間違っているようで、実はそこには深い意図があり、本当は会話として成り立っているのではないかと悩んだのではなかろうか?
 今度、大学で学生が「おはようございます」と声をかけてくれたときに、一度だけ「いくら?」と応答してみようかしら、なんておかしなことを考えてしまったのだった。

これはいかが?

2010年09月25日 | 
 最近、仙台に行った友人のブログに、仙台で「GABOR」なる看板を発見したという話題が記されていた。これを読んだ私は、さすが目の付けどころが違うと感心した。まあ、この業界にいてGABORを知らない者がいれば、かなりのモグリ、あるいは単に自称「バリ芸能オタク」に過ぎないのだが、看板を見つけてしまうところがすごい。たぶん、この店は入るなり、元気はつらつな店員の「ウェルカム」という威勢のよい歓迎の言葉とともに、色とりどりの花弁が天井から降ってくるのだろう、など妄想がふくらんだのであった。
 ところで、この看板に対抗して、金曜日に京都の寺町通りで発見したのが、ピンクに白抜きの看板「RANDA」である。そうそう、オタクのみなさん、言いたいことはわかりますぜ。「RANDAの」つづりは、「RANGDA」であると得意げに指摘したいんでしょう?そんなことくらいわかってまっせ。でもカタカナにしてくださいな。「ランダ」でしょう?いいじゃないですか。ゼミじゃないし、日本人なんだから、そのくらい折れなさい。
 この店、若い女性向けの靴屋である。それにしてもその店のタイトルが「ランダ」なんてちょっと想像がつかない。「よっしゃ、これだ!」とデジカメに収めようとすると、店の中から、髪の毛が茶色で、ふわふわ、ぼさぼさ系の(おしゃれな)髪をした派手な女性が出てきたのであった。これこそ「ランダ」を彷彿させるではないか。
 「GABOR」の看板が10点だとすると、「RANDA」はいいところ4点というところだろうか。しかし、「谷」なんて表札よりはずっと高レベルである。

(本日の文章は、バリ芸能関係者の方々、あるいは研究者、愛好者の方々を対象としたものであり、あえて注などは付さないことにいたしました。かなりマニアックな文章になりましたこと、お許しくださいませ。)

幻の「なは総合案内所」

2010年09月24日 | 
 あってはならないことが起こってしまった。関空から南海電鉄のなんば駅で降りて、御堂筋線に乗り換えようとエスカレーターを下っていたとき、一瞬ぼくは目を疑った。
「なは総合案内所」
 そんな看板が下の方に見えるのだ。那覇がこんなところにあるはずがない。それとも大阪には沖縄の人が多いので、那覇市観光協会はこんなところで営業活動をしているのだろうか?そんな馬鹿な……。ぼくはもう一度繰り返し同じ看板をみた。
「なは総合案内所」
 エスカレーターはだんだん終着点に近づいてきた。やはりそう書いてある。でもおかしい。あるとすれば、沖縄県の観光案内ではなくてはならないじゃないか。ぼくは、エレベーターを下りきると、その入り口の前にたって、しっかりと表示を眺めた。
「なんば総合案内所」
 ぼくは唖然とした。あってはならない大きな過ちを犯してしまったのだ。「なんば」が「なは」に見えてしまうなんて、そうそう間違えるものではない。ぼくは、身も心もすべて沖縄に売ってしまったのか?いやいや、そんなことはない。これは何かの間違いなんだ。
 その後、ぼくはしばらくの間、すっかり落ち込んでしまった。この間違いは救われない。どうすればいいんだ?どうしたら、この過ちを繰り返さずにすむのだろう?
 はたと思って「なは総合案内所」の写真を撮影しようと思ったのだが、やめた。傷口に泥を塗るようなものだと気付いたからである。

君のセンスを疑う……

2010年09月23日 | 
 コピーしたずっしり重いたくさんの文献を抱えて四条烏丸のホテルにチェックインし、食事に出かける。とにかく暑いのだ。もう9月22日だというのに完璧に夏の暑さ。しかし「残暑」と言えば、実に「雅」で京都らしい。意味が同じでも、表現によってその感じ方は大きく変わるものだ。
 さて、私は暗くなってから、お土産を買い、その足で南座の裏手にあるお茶屋が並ぶ細い路地を歩いてみた。このあたりは観光ガイドに出ていないこともあり、人通りがほとんどない。たまに芸妓さんや舞妓さんが仕事に出かける姿を見かける。
 ぼくはそんな通りで、(ちょっと場違いな)イケメン系の男性と、スラリとした女性の二人連れとすれ違った。そのとき、ぼくは、こんな言葉を耳にしてしまったのだ。
「おまえさー。お茶屋ってなんだか知ってる? これ、芸妓と舞妓が所属する事務所なんだよ。」
 あんたね。こんな風情のある街でそんな言い方ないでしょう?確かに間違っちゃいないが、君は日本人なんだ。もっと「雅」な言いまわしができないもんかね。いいかい? お茶屋はナベプロやヨシモトとは違うんだよ。

京極スタンドで乾杯

2010年09月22日 | 
 「P君、お疲れさまでした。」
 お気に入りの京極スタンドに入り、ぼくは一人で「生中(生ビールの中ジョッキ)」で乾杯した。お酒というものをほとんど飲まなくなってしまった私が、一人で「生中」を注文するなんて、奇跡というほど珍しいことである。でも、そんな気分だった。勉強することの楽しさ、研究することの面白さを感じた一日だったから。
 でもね、「生中」に「日替わり定食」はちょっと多かったな。京極スタンドの日替わり定食の量とカロリーは「あやぐ食堂」並みだもの。ということで、ぼくはすっかり飲んで、食べてしまってから、反省も兼ねて、1時間たっぷり、汗をかきかき、ねっとり暑い夜の京の街を歩いたのだった。
 
 

鴨川の亀

2010年09月22日 | 
 「研究所の前の橋を渡ると教会があって、その隣りのお店に10円のコピー機があります。」とぼくは図書室の司書の説明を受けてから、貴重な本を抱えて外に出た。研究所の前には、鴨川が流れている。
 言われた通り、橋を渡ろうとすると、川の中に飛び石が作られている。図書室の本を抱えているからちょっと躊躇した。ぼんやり飛び石を見てい見ると、「亀」の形をしているものがいくつもある。鴨川の亀!
 鴨川を眺めながら、「やっぱり来てよかった」と思った。数日前、急に大阪で仕事が入ってしまい、20日に大阪から戻ったばかり。ただ、今日、22日はだいぶ前から京大の研究所で文献の調査をするつもりでチケットを買ってあったのだ。キャンセルすると相当にキャンセル代がかかるし…と思って京都に来たのだが、研究に必要なさまざまな資料を見つけることができた。本を抱えてコピー屋に往復するなんて久しぶりだ。なんだか、とても充実した時間を過ごせている。
 ところで、鴨川の亀だが、昨日のワヤンの亀のように、なんだかウミガメみたいだ。頭より、しっぽの方がかわいいので後ろからパチリ。
 「ごめんね。やっぱり、前から写りたかったよね。でも、君のしっぽは妙にチャーミングなんだよ。」