Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

人形遊びのような…でも練習

2013年01月31日 | 家・わたくしごと
 一人で生活していると、当たり前だけれど家で誰とも話さない。だいたいラジオをつけながら本を読むか、食べる、飲む、寝るで一日が終わる。たまに一人でブツブツ言うこともあるが、そんな自分にハッと気がつくと、なんだか情けなくなって口をつぐむだけだった。
 ところが、ある日からぼくは突然、喋り出した。そう、毎日、ワヤンの練習をすればいいのである。浜松に置いてあるワヤン人形箱に入っている、普段はつかわない、キャニャールのダランが作ってくれた予備の従者の人形を持ち出して、これを両手にもってしゃべりまくる。しゃべる早さや口を動かすタイミング、声色の練習、一人なので思う存分、誰にも迷惑をかけずにできるのである(近隣の家に声が聞こえていないことを祈るが…)。
 それにしてもこれは面白い。今日一日の予定やら、今、考えていることを何でもトゥアレンやムルダがしゃべってくれるし、ちゃんとどちらかがそれに答えてくれる。これをしばらく続けていると、いつか「自分」はどこかに飛んでいってしまい、気がつくと30分以上もそんな「練習」を続けている。いつの間にか上演するワヤンの筋とはまったく違う話が展開しているし。
 これは、たぶん子どもがよくやる「人形遊び」と同じだ。外から見るとかなり「危険人物」に見えるのだろうが、こうして一人の楽しみが増えるのは幸せなこと。研究室は芸術大学と違って防音していないから研究室では練習できないし、大学でもそれほど人と話さないから、今、帰宅が楽しくて仕方がない。別に「暗い性格」ってわけじゃないんだよ(決して明るい性格じゃありませんが)。新しい「一人遊び」兼「練習」に夢中になっているってこと。若い頃、自分の師匠のダランに、できるだけ人形を持って練習しろと言われたが、まさに20年以上たった今、それをひたすら実践しているのである。

1月の床の間

2013年01月29日 | 家・わたくしごと
 もう1月が終わるのですね。なんて月日が流れるのは早いんでしょう?もう悲しくなるくらいです。また2ヶ月すると年をとるのだわ。職場では新たに入学してくる学生との年齢がどんどん離れていきます。当たり前のことなのですが、なぜか自分だけがポツリと置いていかれるようで寂しくて仕方がありません。学生たちの成長ぶりがまぶしくて仕方がないからなんでしょうね。朝からこんな悲しい気分になってどうするんですか?
 そうそう、1月はお正月でしたから、床の間の手ぬぐいは、ちょっとそれらしいものに替えてみました。写真を残しておこうと思いながらバタバタして今日まで忘れていました。あと二日で一月も終わりですが。この手ぬぐい、上に梅の花が一枝、描かれています。ちょっぴり凍える部屋の中で、早春のぬくもりが伝わってきます。
 来月(といってもすぐだけど)は、ちょっと思考を替えて、浜松で買った手ぬぐいを飾りたいと思っています。浜松は「注染そめ」で有名で、ゆかたの染物をたくさん作っています。これも浜松に行って知りました。ほんとうに美しい染物です。また新しい工芸品として飾り手ぬぐいも作るようになっているようです。実は2月に飾る手ぬぐいは、そんな浜松でデザインされたピアノの鍵盤をモチーフにした渋い手ぬぐい。入れ替えをしたら、ちゃんと写真に収めます。乞うご期待!
 

深川の風景

2013年01月28日 | 東京
 東京都現代美術館からぶらぶら深川の路地を歩いて帰った。この地域には最近、次々と巨大なマンションが建築され、古い街並みは、なんだかマンションの巨木の隙間にちょっぴり「保存された草原」のよう広がる「部分」になってしまった。そして、マンションの屋上から、投網のように覆いかぶされた電線の網の目の中に、街はすっぽりと収められてしまったのだ。見上げたことしかないけれど、上から目線に眺めてみると深川の街はどんな風にみえるのだろう?「もう、おまえたちは俺のものだ」と投網を引き上げるようなそんな気持ちになることもあるんだろうか?
 路地から見る巨大なマンションを見ているうちに、ウルトラQに出てくる怪獣を思い出した。M78星雲からやってきた正義の味方がいない時代、怪獣はひたすら東京の街に襲いかかるばかりで、手のほどこしようがなかった時代のこと。
 こういう考え方は、エントロピックなまなざしなんだろう。古き良き街並みが、都市開発の中で次々に消えていくっていうネガティブな視点…。授業で偉そうなこといっているくせに、どうして自分は「新しい街が次々に生成していく」というポジティブな視点からこの風景を受け止められないのか?でも、誰もが消えゆく過去を惜しむもの…。

久しぶりの東京都現代美術館

2013年01月27日 | 東京
 土曜日、東京都現代美術館に久しぶりに出かけた。最後に行ったのはもう6年ほど前のことではなかろうか。地下鉄の清澄白河駅に降りたのもそれ以来で、久しぶりに深川の街を歩く。2月3日まで「アートと音楽ー新たな共感覚をもとめてー」の企画展が開催されていて、会期はあと1週間。滑り込みセーフって感じ。
 いくつかの雑誌記事などでセルスト・ブルシエ=ムジュノの《クリメナン》が紹介されていて、なんとなくイメージは湧いていたのだが、やはり実際の作品を見、聴くのとは大違いだった。コンピュータ制御されて音が奏でられる電子音楽の世界とは異なり、この作品は実にマニュアルな作品。しかし、音が出る予測、瞬間、そうした時間的経緯が目で見える作品にはある種の安心感を覚えるのだ。
 それにしても水面に揺らぎながら浮かぶ白磁の器の美しさもさることながら、その器が不規則にぶつかって奏でられる音は実にやわらかくて、あたかも水琴窟のさまざまな音が響いているようで、まさに癒しの音、癒しの作品。会場に用意された椅子に座ってしばし夢心地になる。

復元された東京駅にて

2013年01月26日 | 東京
 久しぶりに東京駅八重洲口の改札を出て、復元されたばかりの東京駅のレンガ作りの駅舎をゆっくりと眺めた。確かにこうして新しくなるとアムステルダムの駅舎にそっくりだ。東京駅の方がずっと静かで、整然とはしているけれど。
 私はデジカメを構えてこの写真を撮ろうとしたときに、すぐ横に年老いた母親とたぶん私よりもずいぶん年上の娘の二人が、私と同じように東京駅をしばらく黙って眺めていた。「きれいだね」とか「すばらしいね」とか、普通は言葉にしたりするものだろうが、とにかく無言だった。不思議な沈黙によって、私の身体は凍りついたようにその場から離れることができなくなってしまった。
 しばらくすると母親の方が静かに口を開いた。
 「戦争中みたいだね」
 それは、ある種の悲しみを込めた深いため息のような響きだった。そのとき私はハッと気がついた。復元された駅舎は、その建築美だけではなく、戦争という深い傷を蘇らせる悲しい装置であるということを…。

猪鼻湖の朝

2013年01月25日 | 浜松・静岡
 はじめて浜松でじっくりと湖を眺めた。これまで湖を見るのは電車の車窓からだけ。あっという間に通り過ぎる。風が冷たいのか、どんな香りが漂っているのか、知らないまま浜松での生活ももう10か月が過ぎようとしていた。
 私が満喫した朝の風景は浜名湖につながっている北側の猪鼻湖。いわゆる奥浜名湖という地域で沿岸にはミカンで有名な三ヶ日がある。だいたい浜松に住むまで、恥ずかしながら三ヶ日の場所すら知らなかった始末である。
 今週末からワヤンの公演準備や期末試験などでバタバタと忙しくなることから、つかのまの休日。ちなみに自分の家からここまで電車と車で1時間もかからなかった。結構いいところに住んでいると胸を張るか、それとも、自分の住まいは田舎なんだと肩を落とすか…。

ワヤンの人形箱を名古屋に送ります

2013年01月20日 | 家・わたくしごと
 2月2日に名古屋でワヤン上演があるので、枠の材木やらワヤン人形の箱(クロパック)をがんばって一人で梱包しました。重いので誰か学生にお手伝いをお願いしようかとも思ったけど、やはりあまりに無関係な学生に頼むのは申し訳ないし、これ、大学とはあまりに無関係ですものね。やればできるというものです。なるべく個数も減らして二個(重い一箱と重い一本)。クロパックの中に枠の台が入っています。人形は手持ちのトランクにいれて電車で移動です。
 なぜ、人形は別に持っていくのに人形箱を送るのかというと、この箱がとても重要な舞台道具だからです。箱がなくてはワヤンの上演はできません。「箱」というには、あまりに切ない…。「あるときは人形箱、しかしあるときは舞台道具」の存在です。
 私は全部で三つのクロパックを持っています。東京にあるものは長年使っていますし、使われている木も古く、やはり使い勝手がたいへんいいものです。色もこげ茶色で貫録があります。浜松には二つあるのですが、どちらも新しい木材で作ってもらったもの。こうしたものは、木材がゆがんだり、乾燥したりと、なかなかたいへんです。私が今回使う方は、いい音がでるように、これまであちこちを削ったり、加工したりと、自分が育ててきた人形箱(クロパック)です。今しがたもセンター試験が終わってから、研究室でガンガン音を出して加工してました(隣の研究室にまだ先生がいらしたことも知らずに。ごめんなさい)。
 ワヤンをご覧になる皆様、舞台裏にある人形箱ならぬ舞台道具にどうかご注目ください。今回の名古屋(2月2日)、浜松(2月3日)、静岡(3月16日)の中部から東海地方の三公演はすべて、このパッキングした人形箱を使います。どの公演も、影側、舞台裏の両方を行き来しながら、ワヤンも楽しむことができるような上演にする予定です。
 
 

二日間のご奉公

2013年01月19日 | 大学
 今日から二日間、センター試験の監督です。全国の大学教員、職員の皆様、担当になられた方、ご苦労様。浜松のお天気は晴れ。受験生もこういう日、気合入りますね。
 久しぶりに寒いベランダに出て定点撮影。太陽の昇る場所の関係もあり、7時10分近くにならないと部屋の中に日が差しません。夏と冬、逆なら最高なのに。しかも寒いから最近、朝、カーテン開けないし。
 本日は一日、教員モードで突っ走ります。楽しみは、支給される「お弁当」くらいかな。
 

静岡県と私

2013年01月17日 | 家・わたくしごと
 今週月曜日、家でふと自分の人生と静岡県がどんな関係を持ってきたのか(なんか言い方悪い?)考えてみた。
【幼少期】
 親類が清水にいた。だからそこに泊まりにいったことがある(写真がある)。三保の松原に出かけた(気がする)。
 家族で伊豆に海水浴に行った(気がする)。
【少年期】
 東照宮を見た後、久能山のイチゴ食べ放題に行った。当時のイチゴはあまり甘味がないので練乳をつけて食べたが、食べ放題のわりには、練乳をちょっとしかくれなかった。少年のぼくは当時、「静岡の人はせこい」と思った。
【青年期】
 大学生時代、本栖湖(山梨県)のそばに大学のセミナーハウスがあって、ガムランの合宿によく言った。でもこれは山梨県だが、よくバイクで有料道路を富士宮までぶっとばして遊んだ。「酒を買いに行く」というのが言い訳。わざわざ静岡県まで買いにいくかね。アホな大学生だったな。
【社会人東京時代】
 上司が静岡出身だった。
ジャワとバリと合同で浜松でガムランのコンサート。今はなきフォルテホールだった。演奏したことより、行き、帰りのバスの中で飲みまくっていたことしか記憶にない。しかも酒を買うため、大型バスを酒屋の前に止めた気がする。
 浜松の楽器博物館に仕事で初めて行った。30代の時。
 ちなみにかみさんは長いこと浜松に本社があるYAMAHAに勤めていた。だから浜松の話をよくしていた気がするが、当時は「ふーん」と聞き流していた。
【社会人沖縄時代】
 この時期、静岡がなぜか身近になる。
 修士課程のゼミ生A 静岡出身
 研究生・修士課程・博士課程ゼミ生B 静岡出身
 修士課程でゼミ生ではないが、民族芸能研究していた学生C,D(2名) 静岡出身
 博士課程でゼミ生ではないが、民族音楽学を専攻していた学生E 静岡出身
 3年任期の音楽学の専任助手が浜松から来た。しかも今は浜松在住。
 楽器博物館、学外研修で学生と出かける。 
 なぜ、沖縄県芸大の音楽学にはこんなに静岡県人が多かった(今も)のだろう?

 ということで、この流れだと、ぼくが静岡に異動したもの不自然じゃあないな、と一人納得したのであった。なに考えてんだかね。

浜松での新しい出会い

2013年01月16日 | 浜松・静岡
 今日は浜松でとっても素敵な新しい出会いがありました。名古屋と浜松でのワヤンの公演のチラシを置いてもらおうと初めて浜松のインドネシア料理屋さんに行ったのです。大学から徒歩35分(駅から20分)、寒かったけれどもちろん歩きました。カロリー消費!
 お店の名前はAni& Ivan。スマトラ出身のご夫婦が経営しています。3時前でしたがまだランチメニューがあったのでSoto Ayamのランチを注文しました。スマトラのSoto Ayamはココナッツミルクをふんだんに使うんですね。お肉の量もたくさんです。とにかく中部ジャワのSoto Ayamとは全然ちがいます。びっくりー。とにかく美味しいです。感動的です。こういう店、浜松にあったんですね。ちょっと遠いけど、インドネシア関係の友人の皆さん、是非、行きましょう。ただしアルコール類は一切なし。いいじゃないですか。バリだってそういう店あるでしょう? 浜松でおいしいインドネシア料理を楽しみましょうね。
 さて本題は出会い。こちらのご夫婦は快くチラシを置いてくださいました。ありがとうございます。しかし出会いはまだ続きます。息子さん夫婦は2階でコミュニティーカフェ「Campur」を開いていて、しかも奥様は「うちなんちゅ」です。ね、すごくない?こんな形でインドネシアの方と沖縄の方と一度に出会えるなんて!カフェで食べたMartabakも美味しかったし。
 思い切って出かけてよかったと思います。アクション、自分から起こさなければ道は開かないんだよね。わかっているけれど、知らない街に一歩を踏み出すのをつい躊躇してしまう自分を変えなければ(今さら無理か)。こうして、ゆっくりだけれど浜松で僕のインドネシアの輪が広がっています。