Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

震度5

2010年02月27日 | 家・わたくしごと
 朝5時31分にドカンという感じで部屋が揺れ始めた。マンションの三階ということもあり、これで目が覚めないわけではないという揺れ方だった。大地震にはど遠いのだが、正直、今まだ経験したことのないような地震。
 ニュースでは震度5だといっている。家のエッグスタンドは左右にずれてはいたけれど、倒れてはいなかった。今日はかみさんも早起きである……。(あるいはまた寝るかな?)

落下・溝入

2010年02月26日 | 家・わたくしごと
 「ねえ、このハンガーにジャンバーがかかってなかった?」
 かみさんが私にトレーニングズボンだけがかかったハンガーを私に見せた。
 「かかってたよ。アンブロのジャンバーが。」
 私はすかさず答えた。このジャンバーは、今から10数年前、立川の高島屋で始めて自分で購入したアンブロのジャンバーで、防水機能は今やほとんどとれてしまっているものの、大事に使い続けているのである。
 「じゃあ、下に落ちちゃったのかなあ?……(しばらく間があり)……わあ、落ちてる、落ちてる!溝に落ちてるよ!」無邪気な、そして楽しそうなかみさんの大きな声が聞こえた。あわてて三階のベランダから下を見てみると、大事なジャンバーが落下し、みごとに溝にはまっているのである。どうも、風で落下したらしいのだ。
 ここでかみさん曰く「大丈夫。あの溝はドブじゃないのよ。生活排水じゃなくて、湧き水なんだって。だから田うなぎがとれるんだって大家さん言ってたもの。あの溝でとれた田うなぎを大家さん、三匹も飼ってたんだって。」
 なんだか、ジャンバーの落下が、溝の水の美しさにすり替わっているぞ。どちらにしても、ぼくの上着は昨晩、田うなぎのいっしょだったわけか……。
 

全部階段やなあ

2010年02月25日 | 
 京都の寺社の前で聞こえた一言。
 「全部階段やなあ…。」
 その声は深いため息とともに、絶望にも似た悲しげな響きに聞こえました。
 そうです。基本的に京都の寺社仏閣にはエスカレーターやエレベーターなんてありません。そういう意味ではバリアフリーにはなっていないんです。男坂、女坂などという名前がついて、坂のなだらかさが違うものがあっても、基本的に自分の足であがらなくてはなりません。要は、足腰が弱る前に行かなければ、寺社仏閣詣はできないということになります。
 この言葉を耳にしたせいか、沖縄に戻ってからかみさんに「そうだ、京都に行こう!」と誘っていますが、運動に精を出すかみさんにとって、まだまだ足腰のことなんて考える必要はないんでしょうね。やっぱり問題なのは私の方なのです。

上ガル下ガル

2010年02月24日 | 
 三条通に建つイノダコーヒーに入ろうと入り口に立ち止まった。たまたま京都出身であろう年配の女性の二人連れが通りかかった。
「ここは支店で、本店は堺町を下がったところにあるのよ」
 そんな声が聞こえた。

 そうだ!うかつだった。ここは三条通だ。イノダコーヒーは三条堺町にあると、中学生の頃から歌ってきたではないか。どうしてそんな大事なことを忘れてしまったんだろう。この店は三条通にあっても、堺町通ではないんだ。

 それにしても、「上ガル、下ガル」という表現は実に風情がある。東京の人だったら、南とか、左に曲がったところ、とか言うのだろう。ぼくはこの言葉を聞いた後、高田渡の《コーヒー・ブルース》を口づさみながら、堺町通を下がってイノダコーヒーに向かったのだった。
「三条に行かなくちゃ。三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね」

高瀬川舟入

2010年02月21日 | 
 京都の四条通りを八坂神社に向かって歩いていくと、鴨川の手前に高瀬川が流れている。といっても、四条通りから見える高瀬川は、夜になれば歓楽街のネオンに埋没してしまう。昔は大阪から京都の町にこの運河をとおってたくさんの船が出入りしていたなんて全く想像もつかない。

 中学三年のとき、幕末史の興味を持ち、このあたりを歩いたのが人生初めての高瀬川との出会いだった。四条から二条まで木屋町通りを高瀬川沿いに歩くと、幕末史と関わる実に多くの石碑が立っている。佐久間象山、大村益次郎が刺客に襲われた場所とか吉村寅太郎の寓居跡だとか、とにかくお店の脇や、高瀬川沿いに大小の石碑がひっそりとたたづんでいるが、ほとんどの人はそんなものに気がつかない。

 15歳のときから、すでに数十回この道を歩いていたが、まったく気づかなかったことが一つ。実は一つ目の舟入が残っているということである。坂本龍馬は木材商酢屋の二階を海援隊の京都本部として使い、そこから「五の舟入」を眺めていたというが、酢屋のそばにあった舟入はとっくに埋め立てられて存在しない。私は舟入はもうすべてなくなったものと思い込んでいたのだ。

 実は注意深く歩かないと「一の舟入」が現存していることには気がつかない。なぜなら日本銀行の建物が邪魔をしてよく見えないのである。日本銀行の敷地内、あるいは銀行のビルの上からならよくわかるのだろうが、さすがに日本銀行の敷地には入れない。今回、高瀬川側から「一の舟入」を初めてのぞいてみた。たくさんの船が幻のように目の前を通り過ぎていく。高瀬川の水音がこころなしか大きく聞こえるようだ……。
 

いいものみーつけた

2010年02月20日 | 
 仕事を終えて京都大学の近くの古本屋にぶらりと寄ってみた。そこでおもしろいものを見つけた。戦前につくられた世界中の染織見本を集めた本の頁を一頁分500円で売っている。なんと、すべては印刷ではなく版画である。信じられない!どうやってこんな本を作ったのだろう?
 一枚ずつ薄いビニールにいれられて数十枚が段ボールにいれて売られている。丹念に見ているうちにジャワのコレクションとセレベスやニューギニアに混じってバリのイカットのサンプルも見つけた。これは額にいれて飾っても素敵である。
 京都に来て「いいものみーつけた」である。京都とは何も関係ない「インドネシア」だけどね。

サーブ340B

2010年02月19日 | 
 今日、出張ではじめて36人乗りのサーブ340Bに乗りました。わくわくしたのは、空港の外を直接歩いてタラップを上って飛行機に搭乗した時。最近乗る飛行機は小さくてもB737なので、それでも130人くらいは乗れるのです。36人乗りなんて初めての経験。こういう気持ちは久しぶりで、まさに童心にかえる、というのはこういう気持ちを言うのですね。

 実は、私が最初に飛行機に乗ったのは、1970年に大阪万博に行ったときです。父が奮発して息子二人を伊丹行きの飛行機に乗せてくれました。たぶんJALだったのではないでしょうか。当時は大阪までのエコノミーでもお弁当が出ました。しっかり覚えています。というのは、私は飛行機酔いで激しくおう吐して、お弁当が食べられなかったからです。隣で弟と父が食べていたかな…。とにかく苦しくて、伊丹空港に到着するやいなや。私は医療室に連れて行かれ脱水症状を緩和するための点滴を受けました。お父さん、あのときは本当にごめんなさい。でもどうしようもなかったんです。

 しかしショックなのはそのあとの出来事でした。すっかり元気を取り戻した私は、飛行機の中で出たお弁当を食べようとしたのですが、なんと父は、空港のゴミ箱に私のもらったお弁当を捨ててしまったのです。夏のことですから、当然のことです。今ならそう思います。しかし、万博の記憶はさることながら、私はその弁当がゴミ箱に捨てられる瞬間の光景をいまだに明瞭に記憶しているのです。その中にはお菓子のチェリーが入っていました。ぼくはどうしてもそれが食べたかったのです…。今はこんなに飛行機が好きになっちゃってね。不思議なものです。そう、昔、昔のお話ですもの。

日常へと戻す時間

2010年02月16日 | 家・わたくしごと
 先週の土曜日、名古屋でワヤンの上演があった。日曜日には車で東京に移動して、3月のワヤンの練習。その後は沖縄に持って帰るワヤン人形の整理などをして、昨日、那覇に戻ってきた。
 実はこの数日、気になっていたのが出版社に送る原稿。まだ1文字も書いておらず、だからといってワヤンの上演が気になってそれどころではない。しかしこういう時に限って、練習やリハーサルの合間に控え室で、ほっと息をついたりすると原稿のことを思い出してしまう。別にワヤンの上演が特別な時間というわけではないのだが、やはり非日常世界を語るわけで、数時間おきに、自分の日常世界とワヤンの非日常世界を行き来してしまう。
 「集中、集中」とそんな現実を振り払ったおかげで、無事ワヤンのパフォーマンスは終了し、ワヤンの中にも「原稿」の話は一度も出てこなかった。しかし終わったとたん、もう現実から逃れることはできない。パソコンを持ってきていなかったので、帰りのバス、飛行機と書く内容を考え続け、昨晩、家に帰って一気に書いた。要するに昨晩は、自分を日常へと戻す長い一日だったわけだ。今回、演奏者として参加した誰だって皆、私と同じような状況なんだろう。「非日常から日常へ」という儀礼世界から日常世界に回帰していくような「移行」がスムーズにできることも、ダランとして、ガムラン奏者として必要な技量である。

もう一つお恥ずかしい話ですが…

2010年02月15日 | 東京
 先週の金曜日、那覇空港からフライト時間を勘違いしたことで、東京から車で2人の知人と浜松に向かうはずの待ち合わせの時間に間に合わなくなり、空港から京急で品川まで行き、新幹線で浜松に向かうことになったのだった。しかも新幹線の時間は、友人が全部調べてくれた。
 新幹線は実に久しぶりでいったいどのくらい乗っていないだろう。飛行機は毎週乗っているんだけどな。ちゃんと品川駅の自販機で新幹線キップを購入して(新幹線のキップの自販機というのも初体験だった)、ホームで電車を待った。なんだが妙に嬉しい。
 浜松に停車する新幹線に乗って、荷物もちゃんと上の棚において、席にすわる。そして僕は何をしたのか!そして驚愕の行為が……。
 「あれ、このシート、どうしてシートベルトがないんだろう? イスが壊れてシートベルトが切れちゃっているのかなあ。これだとCAにおこられちゃうから、ボタンを押してCAを呼ばなきゃ。」
 そう思って肘掛の横のボタンを探すが、CAコールのボタンがない。あれ、これB737みたいに上にボタンがついているのかな、と思い天井を見る。
 「わからないなあ。とにかく隣の人に聞こう。」
と思って左を見たときに、品川駅のホームをすべり始めた風景が窓越しに見えて、これが新幹線だったことに気がついたのだった。周りに座っていた方、本当にごめんなさい。完璧に不審者でした。でもね、私、セレブだから飛行機しか乗らないの。ちょっと勘違いしただけなのよ。

お恥ずかしい話ですが…

2010年02月12日 | 家・わたくしごと
 お恥ずかしい話ですが…。飛行機の時間を間違いました。朝5時半に起きて準備をして家を出たのは6時25分。空港には7時15分について8時過ぎの羽田行きに乗るつもりだったのです。カウンターに荷物も預けて、さあ出発というところでカウンターのおねえさんにこういわれたのです。
「12時40分のフライトですけど、早いですね。」
「えっ? 8時10分じゃないですか?」
と聞きなおしたところ、「いいえ、12時40分でございます。」とにこやかに言われました。

 やってしまった!完全にフライト時間を間違えてしまったのです。「スーパー特割」みたいなキップを2ヶ月以上前に買っていて、一度も時間を確認しなかった私が馬鹿だったんだ。とにかく東京についてからの予定を約束していた知人と調整し、さびしく空港から、たった一人だけ私が乗っているだけのモノレールで帰路についたのでした。