Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ワヤンを見ながら思い出すこと

2014年03月31日 | 家・わたくしごと
 土日で撮影した人形の数は200体を超えましたが、この写真は一日目に撮影した写真を並べていった様子です。大学の撮影スタジオは大きく真っ白な空間なので不思議な感じがします。これでもまだ70体くらいだと思います。最後はこの三倍になりました。
 実のところ、名前が思い出せなくなってしまったワヤンが数体あったのはショックでしたが、それでもほとんどのワヤンは30年近く前のどんな時に誰にどのように注文したのかをワヤンをみただけで鮮明に思い出します。
 私の人形は自分の師匠のラジェグさんが制作したもの、ギャニャルのダラン、レンドラさん制作のもの、スカワティのアグス・パルタさんの制作したもの、ナルタさんの制作したもの、そして自分の作品が主なものです。それ以外にもペジェンのラオスさんや、デンパサールのクンバルさんなど、いろいろな方に作っていただいています。ラジェグさん、レンドラさん、パルタさん、ラオスさんはこの世にはいません。
 お金がないときになけなしのお金で購入したワヤンを見ると、不思議とそんな時代のことが蘇ってきます。自分の作品はつたないけれど、やはりなにか自分の分身のような気がします。師匠のワヤンの彫刻は決して上手とはいえないけれど、それでも人形を見るだけで師匠のダイナミックなワヤンが目に浮かびます。200体以上のワヤンを見つめながら、そんな時代のさまざまなことを思い出して、そんな記憶をかみしめて、幸せな気分に浸れた二日間でした。でも、ワヤンもきっと喜んでいることと思います。

ワヤン人形の撮影

2014年03月30日 | 大学
 金曜日と土曜日、二日間にわたり大学の写真撮影スタジオに写真家の友人とデザイナーの友人に来ていただき、私の所有するワヤンの人形の撮影をしていただきました。事前に東京で打ち合わせをしたのですが、専門用語やさまざまな材料の名前が出てきてもわからないまま当日を迎えた次第です。しかしそこはプロの方々、大学に送られてきた材料や機材であっという間にワヤン用の小さな撮影場所がスタジオの中に作られました。
 私のワヤン人形はかつて、沖縄と東京、今は、浜松と東京に分かれて保管されています。東京から近い公演、浜松から近い公演によって、持っていく楽器もワヤンの枠も人形の箱も違います。人形は頻繁に使う人形を除けば、いつもトランクに入れて新幹線を移動しています。そんな風に分散保管していたせいか、今、自分が何体人形を持っているかわらなくなっています。1983年、最初に買って依頼、すでに34年が経って、自分で作ったものもあれば、いろいろな人からその人が得意とする人形を購入してきたからです。
 今回、撮影した人形の数は約200体。まだ撮影していない人形や、北部バリの人形なども加えるとあと50体ほどの人形がありました。それにしても、この作業を一番喜んだのは、ワヤンの人形たちだったのだろうと思います。真っ暗な人形箱の中から取り出されて、こんな風に久しぶりに桜の季節の春風にあたるなんて本当に久しぶりだったことでしょう。一演目で使うワヤンの数はせいぜい20体ですから、使われないワヤンの数の方が圧倒的に多いからです。
 このワヤンのデータは今、作りはじめたワヤンに関する本の中に、収録する予定です。もちろんすべてを入れることはできないけれど、ただ収録するばかりでなく、デジタルで収録した強みをいかして、デザイナーの方々と相談しながら、バリのワヤンの特徴を表現できればいいと思っています。

新都心にて

2014年03月27日 | 那覇、沖縄
 先週の土曜日、仕事が早く終わったので、久しぶりに沖縄県立博物館によって「三線のチカラ~形の美と音の妙」という企画展を見た。三線の歴史やら、琉球王朝時代の三線を使った音楽、三線の型、作り方、音の違いなどが展示品によって紹介されている。翌日に御座楽のコンサートが開かれるようだったが、そんなせいなのか展示室には土曜日だというのに私と監視員以外、人っ子一人いない。ただ、リピートされる三線の音が会場に流れるだけ。
 楽器を見る、しかも素人では区別がつきにくい三線の型を並べた展示は、それなりに興味がなければ500円を払っては見まい。この展示は沖縄以外の博物館でやってもあまり意味がないのではないか?つまり言い換えれば、沖縄県でやるからこそ意味を持つ企画展だ。沖縄には大勢の三線愛好者がいるのだから。
 沖縄を離れて早二年。月並みな感想だが、離れてみてその地の良さがわかるものだ。博物館を出てからアップルタウンの二階からぼんやり街を眺めた。この先はシュガーローフ。でもそんなことはとうの昔に忘れ去られて、今、ここは新都心。新しい街。博物館も美術館も、免税店もショッピングセンターもなんでもある街。ところで、ここは誰の街なんだっけ?誰のためにつくられた街なんだっけ?どうして「ここに」作られたんだっけ?よくわからなくなって、なんだか息苦しくなる…。
 

ジャワに寝返ったか!

2014年03月18日 | 家・わたくしごと
 今年のわが家のカレンダーはこれ。もう2か月たってしまったので、3月と4月の頁です。
「バンバン・グデ・ラウィのカレンダーはどうした? こ、これはバリではなく、ジャワのカレンダーではないか!きさま、ジャワに寝返ったか!裏切り者めが!」
 戦国時代じゃないんですから、まあまあ、そういきり立たなくなっていいじゃないですか。
 確かにこのカレンダーはバリのラウィさんが編集したバリフリークにはなじみのカレンダーではなく、ジャワの伝統的な占いプリンボンとウク暦、それに我々が使っている暦が併用されたカレンダーです。ですからバリの細かい暦はここには書かれていませんし、バリの寺院の儀礼であるオダランの日程もわかりません。でもね。
「こっちの方が綺麗じゃありませんか?バリ暦のカレンダー、ビジュアルはラウィさんの証明写真だけじゃん。」
 とはいえ、私にとってはウク暦がわかればコト足りるし、実はバリの五日週は書き込まれています。月齢は一目でわかりませんけど、普段持ち歩く手帳に書き込まれているから問題なし。ということで、ジャワに寝返ったわけじゃありません。簡単にいえば、美しいワヤンの絵に「負けた」って感じです。ちなみに、大学の研究室はバリ暦のカレンダーですからご安心を。

卒業式日和

2014年03月17日 | 家・わたくしごと
 今日は大学の卒業式。そんな日にぴったりな春めいた陽気の一日になりそうです。着物を着た卒業生に雨はかわいそうですから。
 私がこの大学に勤務して早2年ですが、赴任してきた年に私のゼミに入ってきたたった一人の男子学生も今日、卒業式を迎えます。どんな教員かどうかもわからないのに、勇気をもってよく来たと思います。(でも引っ越してしまったので実家からわざわざ来るかな?)
 今日の式に来るにしても、来ないにしても、しっかりとした卒論を書いて、就職も決まって卒業。おめでとう。マイペースな学生でしたが、これからも社会の荒波に溺れることなく、ひょうひょうと生きてもらいたいと思っています。そんな生き方を僕も少し真似させてもらいます。少々、溺れ気味の日々が続いていますから。

来年度の手帳は?

2014年03月14日 | 家・わたくしごと
 手帳はいつも年度で新しくします。昔は1月~12月手帳でしたが、やはり大学は年度で動いているのでその方が便利のような気がしたから。さて、今年の手帳、またもやリバティー柄です。ちょっと気分を変えて緑、赤、オレンジ、青などはっきりした柄を選びました。ちなみに今年度の手帳が左のリバティー柄。
「お前、いい歳してこんな手帳持つなよ」
 言いたいでしょう?どうぞ、どうぞ。でも私はこれでいいんです。これがいいんです。なんだかこんな手帳に予定を書き込むなんて楽しいじゃないですか。黒のシステム手帳を持っていた時期もありましたが、なんだか手帳に予定を書き込むたびに重く、暗い気分になったものです。この手帳に変えて10年近く、予定が埋まってもあまり気にならなくなりました。花壇に花が咲き乱れる感じかしらね?
 
 

雨が降って…

2014年03月13日 | 家・わたくしごと
 沖縄の友人たちがフェイスブックにアップする記事を読んでいると、なんだかこの浜松の寒さが信じられないくらいです。数日前なんて、天気予報の最低気温が1度。何が苦手かといえば、とにかく寒さです。寒い季節が大嫌いだからです。
 今日は朝から雨。ベランダに出てみたら、ちょっぴり「ぬるま湯」につかったような気分です。今日は朝から夜まで大学で仕事や会議が続くけれど、この「ぬるま湯」のせいか、あまり出勤するのが億劫ではないようです。
 去年の今頃のことが思い出せないのです。こんなに春を待ち遠しいと思ったこと、これまでの人生にあったかどうかも記憶がありません。花粉症と交換条件みたいな春の到来だけれども、それでも、それでも、ぼくは春が欲しいのです。暖かさを切望しています。4月にまた一歳年を重ねてしまうとしても、さわやかな春の風が待ち遠しいのです。
 

New Spring Version~一足先に春

2014年03月10日 | 家・わたくしごと
 いつもバタバタしてばかりで落ち着きのない生活を送っていましたが、昨日、久しぶりに東京丸の内のビルの中にこの数年にできている雑貨屋巡りをしてみました。もちろん仕事のついでだったのですが、ちょうど学会の仕事で、東京駅前の丸の内郵便局でお使いを頼まれたことがきっかけでした。
 最近、浜松の駅ビルの本屋の旅行書コーナーで、東京のガイドブッグを眺めたりしています。東京で生まれ育ったはずなのに、知らないうちに新しい東京が満載で、見るだけでもうれしくなってしまいます。「へえ、高校の頃から行ってる定食屋が観光ガイド出てる!」とか、「このクラシック喫茶知ってる」、「ここよくいく古本屋」なんて喜びがある一方で、全く新しい「東京」が生まれていることに驚きを隠せません。新しい東京といえば、丸の内ショッピングもその一つでした。以前は普通のオフィスビルだったのにね。もうびっくりです。
 さて、その丸の内ビル街の雑貨屋巡りですが、期待を裏切りませんでした。これも欲しいな、あれもいいな、なんで浜松でもう買っちゃったんだろう、とか一人でわくわく、ドキドキしながらの1時間半でした。いろいろ買ってしまったのですが、この手ぬぐいもその一つ。ちょうど「春」が欲しい季節。今回は早く新緑を見たいという欲求なのか、緑がベースの手ぬぐいです。桜、緑、鶯(雲雀)?わが家にはちょっぴりぬるめの風がゆるやかに香る「春」が、一足先にやってきたようです。 

名古屋公演終了

2014年03月09日 | 家・わたくしごと
 約1年ぶりの名古屋公演、無事終了しました。いらしてくださったお客様には心から感謝致します。お楽しみいただけたでしょうか?今日は写真がありません。やはり本番前でなかなか写真を撮る余裕がなかったうえ、打ち上げは一度座るとなかなか動きずらく、カバンの中のカメラを取りにいくのを断念してしまいました。山ちゃんの手羽先、おいしかったですよ。
 公演で嬉しいのは終了後のひと時。観客やスタッフとしていらして下さった名古屋の知人たちに久しぶりにお会いできること、初めてワヤンを見てくださった方々との新しい出会いがあること、予想していなかった方々がお客様としていらしてくださって「ありがとう」とにこやかにあいさつできること。
 来月の公演は再び名古屋。今度はジャワのジョグジャカルタスタイルのワヤンと物語を半分ずつ上演するという、たぶん日本で初めて実験的試み。さらに最終場面はジャワのワヤンと同時に上演します。つまり二つのクリル(幕)を並べて上演するのです。詳細は後日アップさせていただきます。今日はこれから東京で会議です。沖縄でできなかった移動が浜松では可能なのですが、ちょっと予定、欲張りすぎかもしれませんね。その分、移動時間にゆっくり休みます。

東京でソーダ・グンビラ soda gembira

2014年03月04日 | 東京
 ワヤン公演のあと、東京の打ち上げ会場は、バリ料理がおいしいと知られる表参道のブリマデ。今回はアルコール抜き、ソフトドリンクで突っ走ろうと決意。メニューをながめたら、
 「ソーダ・グンビラがあるじゃないか!」(心の中の密やかな呟き)
 もうそれだけで歓喜の渦の中に巻き込まれ、ほとんどワヤンのあとの興奮も冷めやらない状況の中で、テンションは最高潮に達し(絶対、表面的にはそんな風に見えていない)、それを隠ぺいすべく、
 「ぼくはソーダ・グンビラね」(右手で眼鏡をちょっと上げながら、勝ち誇ったような表現で)
と、エリートっぱくーーこの日はエリート女子社員風の方がもう一人いたからなのだが、冷静沈着なふりをして、店員の目を見ずに注文をしたのだった。目で本音は隠せないものだ。絶対に見破られてはならない!それでは僕の負けだ。
 周りがビールとアラックで盛り上がる中、運ばれてきたのがこの写真の私が愛するまさに「すさんだ心を癒す一輪の清涼飲料」なのである。そうだ、思い出した。このスタソーマ物語で使われるセリフを言うときはソーダ・グンビラを思い浮かべればいいんだ。もう「噛む」ことは絶対にない!
 味はどうかって?決まってるじゃないか!最高だよ。最高。ビンタン・ビールの100倍は酔ったね。しかもそのおかげで腰痛もかなりよくなったし。打ち上げ幹事のみなさんに感謝。このテンションで名古屋公演に突入だ!えっ、ワヤンのネタにソーダ・グンビラが出てくるかって?いやいやいや、そりゃわかんないね。
 ブリマデさん、一つだけリクエストを言わせていただくと、ソーダの量がちょっと少なかったな。インドネシアのF&Nのソーダの量があるともう少し楽しめるんだけど。だってこの飲み物「ソーダ・グンビラ(楽しいソーダ)」なんだから、たくさん楽しませてほしいもの。そして幸せな気分になりたいもんね……。