Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

頼む、お願いがあるんだ!vs 頼む、わかって欲しいんだ!

2014年06月26日 | ワヤン上演
「頼む、お願いがあるんだ!聞いてくれないか、今すぐ聞いて欲しんだよ。」
「なんだい、こんな夜中にどうしたんだよ。わかったよ。おまえは俺の親友だもんな。聞くさ、ちょっと待ってくれ。冷たい水でも飲ましてくれよ。目が覚めないんだ。」
「実は、俺の家族が、あるグループにぼこぼこにされたんだよ。おまえ、親友って言ってくれたよな。お願いだから、俺と一緒に、俺たちを襲ったグループをやっつけて欲しいんだ。」
「おいおい、ちょっと待てよ。いくらお前は親友でも、そのグループのこと俺はぜんぜん知らんし、そもそもそんなやつらと争いにでもなったら、俺の仲間もやられちまうかもしれないじゃないか。おまえのつらさはわかるが、おれだって仲間が大事なんだ。勘弁してくれよ。」
「そんなこというなよ。この前、おまえの持ち物を自分ものだとほざいていた奴を俺がしばいてやってたじゃないか。自分の時は助けてもらって、俺のときは助けてくんないのか?」
「そういうわけじゃないんだ。ただ、俺のグループには掟ってやつがあってね。俺のところに直接関係ない話には、首をつっこまないことになっているんだよ。お前にはちゃんとお礼をしたじゃないか。」
「そりゃお前の都合だろ?」
「でもな。俺は仲間が大事なんだよ。そいつらに、つらい思いをさせたくないんだ。わかってくれよ。わかって欲しいんだ。掟はそう簡単に破ることはできないんだよ。親友のおまえのためだからって、都合のいいように解釈を変えることなんてできないんだよ。なぜって、掟は過去の過ちの歴史の中から作られたものだからね。二度と過ちを犯したくないんだよ。だから頼む、わかって欲しいんだ!」

鴨江アートセンターの何かに魅了されるのです

2014年06月25日 | 浜松・静岡
 今週の日曜日、6月29日(日)にワヤンを上演する浜松市鴨江にある「鴨江アートセンター」の全貌です。この建物の前をだいぶ前にバイクで通ったことがあったのですが、当時は浜松のことはあまり知らなかったので、「レトロ」な雰囲気の建物だな、という印象を持っただけでした。ただ、ふつうは記憶に残らないものなのに、無機質のようでありながら、歴史のたたずまいを感じる建物の外観の記憶はぼんやりと頭の中に残りました。
 学生にワヤンの会場として勧められてこの建物に出かけたとき、もう建物のそばに立っただけで鳥肌が立つような感覚に襲われ、「ここでワヤンをやろう」と決めました。なぜだろう、この建物の持つ何かに魅了されてしまったのです。この建物のレトロ感なのか、それとも自分が生きてきた記憶の何かを無意識にくすぐるのか、よくわかりません。でもワヤンをやる会場として、ここ以外には考えられない、といったそんな決意にも似た不思議な気持ちが湧き出てきたのです。これは私だけはありません。メンバーの数人もこの建物の写真をホームページで見ただけで、「あそこがいいよ」と私に行ってくれたのです。
 会場の外見にこだわるなんてことは、これまでほとんどありません。大事なのは上演する「箱」の問題です。それは演者にとっても、観客にとっても重要なことで、演じやすい、見やすい会場をパフォーマー達はアンテナを立てて常に探しています。でも中身ではなく、建物のもつ雰囲気は、なんだか演者であるわれわれのモチベーションを上げるのですね。不思議なものです。
 当日は、会場内でコーヒーを販売します。私のゼミの学生でコーヒーの大好きな女性が心を込めていれてくれるはずです。ワヤンを楽しんでいただきたいだけでなく、昭和初期に作られたこの鴨江アートセンターの建物も、おいしいコーヒーも、みんな味わってもらいたいと思います。いつもの舞台と同様に、会場内は移動自由です。座布団に座ってみる桟敷席もたくさん作ります。そんな舞台にどうぞ、いらしてください。詳細はここをクリックしてHPをご覧ください。会場でお待ちしています。

売れっ子作家のようになれれば

2014年06月17日 | 家・わたくしごと
 私の悪い癖なのですが、他の原稿を書いていたり、次の原稿のことを考えていたりするとブログの文章に手をつけることができなくなってしまいます。売れっ子作家のように全く違う話を同時に何本も書ける切り替え能力を持ち合わせていないのです。
 3か月、毎週1本の連載が7月から始まることから、やはりどうしてもそっちに気をとられてしまい、だからといって別に書いている原稿や授業をおろそかにするわけもいかず、なかなかブログに手がまわりません。でも決してやめたわけじゃないんです。
 しばしの間、暖かく見守ってください。ちなみに明日は2本分のラジオの収録です。明日、流す曲や話す内容とか、ぼんやり考えているうちに、すぐ1時間くらいが経過してしまいます。4年に一度のサッカーのワールドカップの時期なのですが、そちらにも集中できないし。原稿を書くのも仕事ですから、ちゃんと連載を全うできるようにがんばります。なんといっても連載の間、インドネシアにも滞在しているので、その分の原稿も書いておかないといけないですし。そんなこんなであっという間に一日が経過していきます…。

旧小原村にて

2014年06月07日 | 
 9月27日に豊田市の和紙の里として知られる旧小原村でワヤンの上演をする。今日はその下見ではじめて旧小原村へでかけた。浜松から豊田市まではそれほど遠いわけではない。豊橋までJR,名鉄で知立で乗り換えて豊田市まで。ここから車で30分くらい走る。豊田市駅、名前でわかるがあの「トヨタ」のお膝元。だからか車が走りやすいように道路がきれいで広い?今は平成の大合併で豊田市になって、行政町名には小原は使われなくなったそうだが、今も「小原」と呼ばれている。
 写真の神社の村歌舞伎をおこなっていた舞台が今度のワヤンのステージ。完璧。高さが70センチ程度でワヤンを見るには最適。舞台の大きさもちょうどよかった。電気がないので夜は真っ暗。しかも9月27日は新月に近いので空も真っ暗だろう。ほんとうにバリのような場所。
 以前は字ごとに歌舞伎があったそうだが、今は字単位の歌舞伎は一つもなく、保存会が「小原」という名前で歌舞伎を継承しているという。だから字ごとの神社にある舞台はもう使われることがないそうだ。そんな場所でワヤンができるなんて本当に幸せである。

冷凍ブルーベーリー

2014年06月06日 | 家・わたくしごと
 暑い季節になると食べたくなるのがアイス。というか、真冬でも食べてますが、やはり消費量は増えるわけです。でもやっぱり怖いのは糖分のとりすぎ。じゃあ氷でもなめてればいいじゃないか、と言われそうですが、それはそれで味気がない。ところがです。あったんです。アイスに代わる超おいしい食べ物が!
 そう、冷凍ブルーベリーです。
 ちなみに私の「冷蔵庫」ともいえるローソン100の冷凍食品コーナーでは100グラムの冷凍ブルーベリーが100円!で並んでいます。しかも木曜なんて10パーセント引きだぜ。
 ラジオで聞いたのですが、果物の中では糖分がかなり少ないらしいし、しかも酸っぱさがいい。100円だよ。アイス100円で買うより、ずっと楽しめるのではないかしらね。ということで、暑い夏の盛りに冷凍ブルベリーをお試しあれ。私は今のところ、朝のプレーンヨーグルトに11粒いれてます。意味はないんですが、11というのが「ミソ」です。ちょっとは目も良くなるかしらね。

同好会昇格記念パーティー

2014年06月05日 | 大学


  昨晩は夕方6時から約1時間、ガムランの練習をしたのち、大学で正式にガムラングループが同好会に承認された記念のパーティーを、居酒屋ではなく、大学12階の夜景がばっちり見える交流室で行ったのでした。他のサークル活動と重なったり、アルバイトとの関係で出られなかった学生も何人かいましたが、それでもこれまでがんばってきた学生、新たに加わってくれた学生も参加してお祝いをしました。
 私の所属する大学は、同好会、サークルという風に承認されていきます(今回、初めて知りました)。実績がなければ同好会に承認されないために昨年1年間、メンバーはがんばってきたわけです。今度はサークル昇格を目指して活動を続けることでしょう。
 今は教員だからサークルのメンバーではありませんが、20歳から大学のサークルとかかわり、その後、仕事をしてきた大学すべてでガムランとかかわり続けています。幸せな時間を送れていると思っていますし、メンバーは変わっていきますが、新しい学生たちが今まで聞いたことも、演奏したこともない楽器に目覚め、それに真剣に取り組んでいる姿を見ると、なんだか思わず笑みがこぼれてしまいます…。
 おめでとう。これからが本当の意味でのスタートです。




ぴんからトリオ《沖縄のひと》

2014年06月03日 | CD・DVD・カセット・レコード
 先週の日曜日、国分寺の実家の傍のリサイクル屋にぶらりと寄ってみたら、沖縄に住んでいる頃ちょっと気になっていた、ぴんからトリオ《沖縄のひと》のシングルレコードを見つけた。もう沖縄を離れて2年以上経つのだが、やはり「沖縄もの」は気になってしかたがない。ということで50円を払ってこのレコードを買ったのだった。実はこれ、ぴんからトリオのデビュー盤である。A面の《女のみち》は当時大ヒットで、B面の《沖縄のひと》なんて全く注目されなかった。いうなれば、何か収録しなくちゃならないから録音した一曲なんだろう。
 しかし私にとって重要なのは、このレコードが1972年5月に発売されているということなのだ。この年月は、沖縄の歴史にとって重要である。1972年5月15日、沖縄は本土に復帰して「沖縄県」になった日だからだ。ちなみにこのレコードの発売は1972年5月10日なので、復帰5日前ということになる。明らかに沖縄の本土復帰を意識したB面の収録曲だったわけだ。
 さてそんな薀蓄はいいとして、この曲、ちょっとは沖縄風な響きやアレンジがしてあることを期待したのだが、残念ながら、代わり映えしないオケの伴奏と、演歌にありがちなサビで演奏されるアルトサックスが四七抜き短音階を奏でる「ベタな演歌」だった。それに歌詞も、とある「店」で働く女性が「あの人」を待ち続ける「色恋もの」の典型である。
 しかし、その歌詞には、曲名からして当然とはいえ、沖縄が登場するのである。沖縄遠く離れて逢えない「あの人」一人を心にとどめて、せつない那覇の夜を送る女性。国際通りにある店のカウンターでほろりと涙を流すと、それがグラスに落ちるせつなさ、そして最後には、そんなつらさに耐えかねて、いっそ捨てて欲しいと未練たっぷりに独白する。そんな色恋が沖縄の灯の中にぼんやり映るような「ド演歌」の歌詞。それにしても演歌に那覇、国際通り、沖縄が登場したのは、これが最初じゃないだろうか?とにかく、演歌に沖縄が登場したことで、なんだか沖縄も日本の演歌における市民権を獲得したような気がするのであった。しかし、その後、再び、演歌の中に沖縄が登場したかどうかは定かではない。
 ところでこのジャケットだが、ぴんからトリオの前にグラスを持ってすわる背広男の2名はいったい誰なんだろうか?ある知人は、「キャバレーまわりをしているぴんからトリオと、そこで飲んでいるおやじの記念写真じゃない?」と言って私を笑わせたが、それにしても不可解なジャケットである。
 赤いスーツを着て一番左に並んだ宮史郎が亡くなったのは2年前の2012年。今はもう兄弟3名はすべてこの世にはいない。