Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

今回も大丈夫

2009年12月27日 | バリ
 バリにきて三日目です。所用でどうしても日本にメールをする必要があってインターネットのできる場所にきました。今回もいつも宿泊するデンパサール市内のホテルを起点に各地に動いています。折りしもちょうど雨季の真っ最中。今は夜中にドカンと雨が降りますが、バイクで移動中に大雨はありません。もちろん雨宿りは頻繁ですが。
 いつものことですが、この暑い雨季の時期、クーラーなし、水マンディ、もちろん冷蔵庫なんてない部屋で生活を始めました。いつも「今年はもう耐えられないんじゃないだろうか」と思ってこういう部屋を選びます。自分を追い詰めた環境に置きたいと思うんですね。しかしだんだん年もとって、そうした環境に適応できなくなってくるのではないかと、それが心配なのです。今年も不安な気持ちで宿泊しましたが、大丈夫。まったく適応しています。よかった、よかった。初めから涼しくない環境にいれば、意外に人間はその中に適応するものですね。まだ、ぼくもまんざらじゃないね、とちょっとご機嫌でブログを更新する次第です。
 ところでクリスマスはインドネシアでした。調査地の集落に出かけただけでしたが、テレビをつけたらやっぱり帽子だけサンタさんの司会者がいっぱいでした。もう国際的展開なのでした。

よいお年を

2009年12月24日 | 家・わたくしごと
 サンタの帽子のブログを読んだ方は、「あれ? この人、どこか行くのかな?」と思った方も少なくないはず。そうなんです。ちょっくら旅に出ます。格好いいなあ、旅なんて。一度、言ってみたかったんだ。
 フィールドワークと旅はいったい本質的に何が違うのか、ということを授業で講義したことがあります。つきつめて考えれば、「おれのは、旅なんかじゃない。遊びじゃないんだよ。調査だよ、調査。フィールドワーク!」なんて眉間に筋を立てて声を荒げるようなことじゃないですよね。いったい何が違うんでしょう?せいぜい、目的ですかね。でも旅人だっていろいろな目的で旅をするわけで……。
 とにかく私は旅に出ます。向こうでブログを更新するほどマメではないので、いつものように帰国したらアップします。気づいたことを、パソコンに書きためます。それではみなさん、よいお年を。

帽子だけサンタかい?

2009年12月24日 | 家・わたくしごと
 クリスマスが近づくと、「帽子だけサンタ」がたぶん日本中に蔓延する。コンビニのバイトのおにいさん、おねえさんから、空港のカウンター職員までが、とにかく「帽子だけサンタ」に変身するのである。今日だけでも、家を出てから、那覇空港を経由するまでにいったい何十人の「帽子だけサンタ」に遭遇しただろう?
 クリスマス商戦という言葉がつかわれてから久しい。たいていのお店は(もちろん、クリスマスとは全く無関係な店だって、近くの古本屋のようにあることはわかっているが)、「クリスマス」なるイベントに乗り遅れないようにと必死に努力する。その結果の一つこそ、この「帽子だけサンタ」の出現なのである。
 しかしながら、私はこの無分別なサンタの増殖には反対である。サンタは(きっとどこかにいるのであるが)、そうそうたくさんいるものではない。だいたい、誰もかれもが一部だけサンタの格好をすることに、「本物のサンタ」は決して気持ちよく思っていないと私は確信する。だいたい考えてもみれば、これはある意味「サンタ権侵害」である。メリークリスマス!とお祝いするのはいい。もう国民の祝日みたいなものなんだから。しかし、そこまでにとどめておこうじゃないか。サンタは夢を運んでくるんだ。だからこそ、ひっそりと子供の絵本や夢の中(私の夢の中にも)に存在すれば、それでいいと思うのだ。

沖縄でパーティー

2009年12月24日 | 那覇、沖縄
 沖縄の勤務校で、私の出版を含め、CDの発売、研究に関する賞の受賞者三人のためのパーティーを友人達が開催してくれた。東京でガムランの仲間たちが私のワヤンの会と出版記念パーティーを開いてくれてからちょうど1ヶ月。二度も続けて主賓になるなんて人生初めての経験である。
 このパーティーでハプニングが。実はまったくガムランのメンバーには今回のパーティーについては知らせていなかったのだが、どこからかこのパーティーを聞きつけ、なんと演奏をしてくれたのであった。私は全く知らされていなかったために(たぶんサプライズだったのでしょう)、しっかり驚いた。でも、ありがとう。
 彼らが演奏してくれた曲は、10年前、私が最初期に教えたガムランの曲だった。その頃、まだ大学にはゴング・クビャルがなく、仕方なく最初からグンデル・ワヤン、そして徐々にバテルの編成の楽器を加えていったのだ。初めからグンデル・ワヤンを教えられた当時の学生たちはさぞ大変だったことだろう。今回の演奏メンバーの多くは、そのときに教えたメンバー。社会人になった今なお、ガムランを続けているのだ。憎いねえ、この演出。

東京の二宮金次郎像

2009年12月22日 | 東京
 二宮金次郎ってどこの人かわかるかい?
 「おいら、わかんないや。でも山の方だと思うよ。印象なんだけど、二宮金次郎は海人(うみんちゅ)ぽくないし。」
 それじゃあ、二宮金次郎ってどんな人かわかるかい? 
 「そうそう、仕事しながら本を読み続けた読書家だよ。なんだか、そんな伝記を読んだ記憶があるけど、結果的に彼のその努力がむくわれて、何になったのかは忘れてしまったね。努力の過程が強調され、その結果が不明瞭なんて、不思議な伝記だ。それともぼくだけが忘れているのかもしれないが。」
 その二宮金次郎の銅像がどこにあるかわかるかい?
 「うーん・・・どっかで見たんだ。どっかで。どこだったろう? それが意外に身近な所でね。思い出せないだよ。身近っていっても、那覇とか名護じゃないんだよ。ぼくの身体的な意味での「身近」は沖縄だけど、精神的な意味での「身近」は東京だからね。二宮の像をみたのは、後者の「身近」の方さ。」
 で、どこだったのさ。
 「そうだ。思い出したよ。東京駅のね。何とかって、大きな本屋のビルがあるだろう?そうそう、八重洲ブックセンターさ。あの入口で見た。なんだか、本を読まないと偉くなれないぞって入口で言われてるみたいでね。あんまりいい気分がしなかったのさ。だから覚えてるんだ。そうだ、薪を背負ってた。やっぱり山の方の人なんだよ、彼は。でもなんだか不思議な光景さ。都会のオフィス街に、ぼくらと同じ目線で立ってるんだからね。銅像ってのは、上からぼくらを見下ろさなくちゃいけないんだよ。それもハトの糞まみれになりながらね。上野にいるじゃないか。わんちゃん連れてる銅像がね。あんな風にだよ。でも、ぼくがみた二宮金次郎はあまりにも「ぼく」とかわらない位置にいる。だからかもしれない。ぼくがあんなにも彼と目を合わせないように、その脇をそっと通りぬけた理由は……。」

いきづま連

2009年12月21日 | 東京
 東京で研究発表などがあり、それに合わせて東京のガムラン関係の忘年会が二件ありました。両日ともにかなりの盛り上がり。普段は飲まないにもかかわらず、「こんなに酒飲んでええんか」というほどいただきました。
 昨日はなんだか、いくつかのキーワードで忘年会が大盛り上がりでした。その一つが「いきづま連」。だれが言い出したんでしょうね(たぶんこの手の話はホセ氏だと思いますが、もう記憶にありません)。とにかく「行き詰った」連合って感じでしょうね。このところ忙しくてねえ……なんてことから始まったのかなあ。
 それがだんだん「いきづまった妻」の話になり、それが省略されて「いき妻連」になり、その組織が設立されることになり、そこにいる既婚女性たちが「はい、私も入ります」と手をあげて、誰が会長になるかということになり……。
 これ、飲み会の醍醐味ですね。意味があるのか、ないのか、そんな話で盛り上がれるガムラン界、素敵な世界です。もう一つ「カヨナン祭り」とかいうキーワードもあったと記憶していますが、内容は全く覚えておりません。ちなみに昨日は、私の出版記念パーティーでいただいたお酒の数々を飲むことを目的にした忘年会でした。皆さん、ほんとうにありがとうございました。お酒。本当においしく頂きました。今日から沖縄に戻って、インドネシアに調査に出るまでしっかりお仕事がんばります。そんな気持ちにさせてくれたのも東京のみなさんの温かい気持ちのおかげです。

ムルギ・ランチ

2009年12月18日 | 東京
 ムルギ・ランチといえば?そうです。ナイルです。アフリカ大陸のナイルじゃありません。銀座のナイルです。インド人のおじさんが経営するカレー屋さん。古い時代から銀座に店を構えているそうです。20代後半、ナイルによく出かけました。その頃のナイルはとにかく古い店で、木造だったと思います。床も扉もすべて古い木造で、ギシギシしていました。でもそんな店が好きだったのですね。
 この店でムルギ・ランチ以外のものを食べたことは今までありません。インド系のおじさんが料理を持ってきて、鶏肉を切り分けで骨を取り出してくれるというスタイル。先週、久しぶりに一人でぶらりと立ち寄りました。味もスタイルもいまだに変わりません。建物は変わってしまったけれど、そう、昔のまま。
 いいな。「昔のまま」っていう響き。変わり行く社会の中で、世界の中で、そして自分もそんな中で変わっていく中で、「昔のまま」っていう響きが心地よいのです。忘れられていたものが「昔のまま」出てきたのではなくて、この社会や世界の中で、「昔のまま」であり続けられるというとてつもない力に感服です。一つ欲を言うと、値段も「昔のまま」だとよかったんだけどな……。

原稿締切と校正原稿はなぜ重なる?

2009年12月16日 | 家・わたくしごと
 私は始終原稿を書いているわけではない。書くためには文献を調べなくてはならないし、現地に調査も行くし、資料を整理しなくてはならない。そうした作業が一段落すると論文の執筆にかかるのである。もっともたいへんなのは(たぶんどの研究者もだろうが)、この最後のプロセスである論文執筆なのである。書き始めると、私の場合は朝から晩まで、内容のことが頭から離れなくなる。それこそ、お風呂でもお手洗いでも。
 ところが、こういう時期に限って、以前書いた原稿の初校校正が、出版社からひじょうにタイトな日程で送られてくるのだ。こうした状況が、このところ妙に重なるのである。さすがに本を書いたり、本の校正したりしている時期は他の論文を書いていなかったので、こういう問題は起きなかったのだが、ここにきてまたバッティングしてしまった。
 不器用な私は、たとえ校正に没頭しようとしても、執筆中の論文のことで頭がいっぱいで、集中しているつもりでもどこかで「ポカ」をやらかしてしまう。その結果、印刷されてから、自らの不注意に気づくのであるが、それはもう後の祭り。今回も校正の返却期限が迫り、そして原稿の締切期限も迫っているのだ。競馬のゴールシーンのように各馬がゴールになだれこむような美しい状況ではなく、馬は一頭なのである。切り替えないといけない。売れっ子漫画家みたいにしっかりとチェンジしなくちゃいけない……。運とタイミングが悪いだけで、ぼくはぜんぜん売れっ子じゃないんだけど。

悲しき風景

2009年12月14日 | 東京
 夜遅く、駅のホームで電車を待つ。ふと、駅のベンチで涙を流している女性、その横でそんな女性には目を合わさずにボーッと何かを見つめている男性の二人連れの姿が目に映った。けんかをしたんだろうか、それとも別れ話でも切り出されたんだろうか……そんなことを考えながら、悲しすぎる二人のことを忘れようと、その場所から少し離れた場所に移動した。
 電車に乗り込み、ドア際に立った。ちょっと二人連れが気になって、さっと車内を見回したがその姿はなかった。終電まではあと一本。きっともう一電車分、あのベンチで時を過ごすのだろう。私はそんな二人のことを忘れて、ぼんやりドアの窓越しに向かいのホームを眺めた。ドアの向こうのホームのベンチでは、さっき見た二人とは対照的に、若い男女が楽しそうに話をしているようだ。
 夜の電車のドアは二つの風景を映し出す。一つは窓の向こう側の外の風景、そしてもう一つは鏡のように車内を映し出す風景である。電車のドアが閉まる瞬間、あの二人が電車に乗り込んできた。しかも、私が立っているすぐそばに。二人を直接見たわけではない。にもかかわらず、鏡のように窓が二人を映し出すのだ。若者と向かい合って立ちながら、男性の右袖をつかんで、かすかなすすり声とともに涙を流す女性、背の高い男性は、つり革につかまって電車の天井を黙って見つめる。悲しき風景……。どうすればいいんだ。この二人から目を逸らしているのに、窓には二人がくっきりと映っているのだ。見たくないよ。見たくない。だから、私は目を閉じた。降りるまでの5分もの間……。

エレベータではありません

2009年12月11日 | 東京
 旦那さん、いいっすか?電車のドアはエレベータのドアと違って、押さえている限り閉まらないなんてことはないんですぜ。
 早く来いよ、なんて言いながらドアを押さえて、階段をのぼる同僚を手招きしたって、容赦なくドアは閉まっちゃうんだよ。