Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

SNS拡散戦略

2017年09月26日 | 東京

 今回、松濤美術館に行って驚いたのは写真の表記である。今まで日本の美術館なる場所は写真撮影は禁止が当然と考えられてきたのだが、今回のように著作権に問題がないものについては写真OK、さらにはSNSできます、という表示である。まあ、控えめな表現ではあるが、できるだけSNSにアップしてほしいというのが本音だろう。
 考えてみれば、美術館がどれだけチラシを作っても、どんなにがんばってその素晴らしさをマスメディアを通じて広報したところで、やはり展覧会に行った人にはかなわないのである。今、会場で見ている人が、その場で写真をとって「すごく、素晴らしい。」とSNSに書けば、その言葉がその友人たちに広がっていく。こうなれば、もう情報は次から次へと広がっていく。広報を人任せにしていいのか、なんて言葉はもはや現代には通じない。人任せもまた広報にとって有効な手段となるわけだ。
 私だって自分の舞台の広報の半分以上はSNSに頼っている。もちろんチラシも作るが、そのチラシをアップしてFBに内容を掲載し、シェアをしてもらえればもう何千人という人のもとに届くわけだ。そういう意味で、SNSには情報があふれている。いや、溢れすぎて溺れそうだ。だからこそ、今度はSNSの書き方が重要なのである。とにかく広報は日々進化している。そんな状況を松濤美術館のこの掲示は如実に示しているわけだ。


宇宙の樹

2017年09月25日 | 家・わたくしごと

 アジアの伝統的な図像の中にしばしばあらわれる宇宙の樹、コスモス・ツリー。インドネシアのワヤンので用いられるグヌンガン、カヨナンの図像もまた宇宙の樹のモチーフである。天に向かって高く伸びるその木は、巨大な広がりすら感じさせる。
 実は松濤美術館で見たかった布の一つにベットカバーに描かれた宇宙の樹があったのだが、実は会場に行って前期のみの展示だったとわかり「後のまつり」とがっかりしたのだが、もう一点、宇宙の樹が描かれたカシミールの肩掛けの作品を見つけた。確かにバリのカヨナンのような図像が上下左右に描かれている。
 音楽だけ考えてみれば、インドとインドネシアの音楽はその響きだけ比較すれば大きく異なっている(もちろん共通の要素もたくさんあるのだが)。しかし美術工芸作品を見れば、その文化的な関係性が目に見えるように見えるものだ。こうして新しいものに出会うたびに、未知の世界を巡るい新しい旅への欲求が募る…。


ラーマーヤナ物語

2017年09月24日 | 東京

  昨日、所用で渋谷区松濤美術館へ出かけた。東急本店から神泉駅の方へ向かって歩くと閑静な住宅街となるが、その一角に松濤美術館がある。上野や六本木にあるような膨大な収蔵品を持つ美術館ではなく、特徴的な特別展を行うこじんまりした美術館である。今回見たのは画家の畠中光亨コレクション「インドに咲く染と織の華」。インド各地のすばらしい布が展示室に所狭しと陳列されていた。実は今回の作品展、写真撮影が許可されている。これもまた著作権がない展示品に対する最近の傾向である。
 この中のいくつかの作品に興味をもったのだが、そのうちの一つがこの作品。猿や魔物が描かれているこの図柄は明らかにラーマーヤナ物語である。作品の解説を見ると、なんと19世紀末、インドネシア向けに製作されたものらしい。どうりで僕の関心をひいたわけだ。僕自身はインドネシア人ではないけれど、やはりインドネシア的なものに魅力を感じてしまうのだろうか? 


鴨江つくるDAYS

2017年09月22日 | 浜松・静岡

 僕が副館長を務めている鴨江アートセンターの一年の中で最も大きな主催イベント「鴨江つくるDAYS」が開催されています。昨日覗いてきましたが、とてもステキな空間です。日曜日の午前中にも出かける予定です。
 毎年、秋のお彼岸の時期、鴨江寺の周辺は「おかもえさん」とよばれる賑わいを見せる季節だそうです。以前は浜松駅の方から鴨江寺までたくさんの出店が出ていたと聞きました。そんな映像や写真が見てみたいと思います。今もお寺の周辺にはぽつぽつお店がでるようですが、そんな鴨江の最もにぎやかだった時期に、今年はアートセンターのお祭りも重ねてみました。
 いろいろなイベントが目白押しです。なんと1Fには「食とアート」をテーマにしたparlor COTEFさんの出展があります。パーラーですからね、やっぱり沖縄と関わる方かな、と思いきや沖縄県立芸大の卒業生でした(私の授業の受講生だったそうです)。ここではおいしいお食事がいただけます。それにかつて鴨江にあったお店で売られていたデッドストックを販売するなんて、ものすごくユニークなイベントもあります。もちろんアート関係のワークショップは終日盛りだくさん。ぜひおいで下さいませ。こちらにホームページをリンクしておきます。24日(日)までです。


ワヤンとたこ焼き

2017年09月21日 | 家・わたくしごと

 17日の豊川のワヤンは大盛況の公演だった。この演目としてはこれまでの中で最も良いできだったんじゃない、とメンバーに言われ、少しずつ進歩しているのかな、とも思っている。
 ところでこの日、浜松に戻ってどこかで「打ち上げ」ということになり、メンバーのリクエストは「浜松餃子」。ということで有名店に電話したところ、「本日は満席でございます」の返事。どこかないかな、と考えているところに浜松出身のメンバーKがちゃきちゃきと店を決め、あっという間に予約。こういうときにはやはり地元出身が心強い。
 私も知っている浜松餃子を出すお店だったが、それを撮影し忘れて、この写真のみ。しかしこのたこ焼きは、お客さんが自分で作るたこ焼きである。そして、この店の常連だった浜松出身のKは、実に器用に作るのであった。中身やわらか外側パリパリ。これ、首里城の横で売られていたたこ焼きよりうまい!ということで、ワヤンの話は僕の中で、このたこ焼きに持っていかれたのだった。おしまい、おしまい。


自分のための沖縄みやげ

2017年09月20日 | 家・わたくしごと

 実は先日、那覇に行った時に写真の食器を買ったのだった。食器というのが適当かどうかはわからないが、これは、朝パンにバターやジャムをつけて食べる人用に作られたものだという。とはいえこの道具、今の沖縄のおみやげ品ではない。ひと昔前の沖縄、たぶんアメリカ統治時代に作られたものだ。それだと朝のジャム、バターに合点がいく。
 ブログで紹介したおみやげ屋のおばあが、古いお土産を次から次へと見せてくれた。
「こんなものはもう売らんよ。」と棚の奥の方からほこりを被った箱を出してくれた。それがこのお土産品だった。この店主は竹富島出身なのだが、宮古島の特産で何か作れないかという話がかつてあったときに、宮古島の黒檀で作られたものだという。当時はアメリカ兵が多かったために、アメリカの生活に合わせて作ったそうだ。当時はよく売れたという。沖縄は、アメリカ世(あめりかよ)から日本の世に変わり、宮古でも黒檀が希少なものとなって伐採ができなくなり、もうこのお土産は作られなくなった。
 私の朝食は、パン、バター、ジャム。ぴったりだ。どうせもう売れないからと、1,000円も値を下げてくれた。とにかく使いやすい。ものすごいすぐれものだ。なんで14年も沖縄に住んでこんないいものに気が付かなかったのだろう。一旦、島の外に出ると、見えなかったさまざまな「島」が見えてくるのも面白い。


100円ショップで買ったアカバナーが…

2017年09月16日 | 家・わたくしごと

 南国の花が好きだ。バリと沖縄を渡り歩いたせいもあるが、加えて、子どものころから祖父が洋蘭を温室で栽培していた影響もある。考えても見れば、祖父の洋蘭好きも台湾で長く生活していたからなのかもしれぬ。
 浜松の住まいのベランダには現在、大きくなったアカバナ―(ハイビスカス)が鎮座している。100円ショップで購入したアカバナ―だったのだが、浜松の気候が合ったのか、それとも栽培方法に間違いがなかったのか、理由はとにかくどんどん成長し、数年でこんなに大きくなった。正直、これ以上大きな鉢植えはベランダでは難しい。
 一日だけ咲いて枯れるのがアカバナ―の花だが、この時期、毎日つぼみのどれかが開くので、寂しくなくなった。9月も中盤にさしかかり徐々に夏が薄れていく季節、ベランダのアカバナ―はそんな季節に抗うように、遠くに去りつつある「夏」を懸命に引き留めてくれているようである。


那覇のシメはこれで

2017年09月15日 | 那覇、沖縄

 やっぱり那覇のシメはここです。空港のJIMMYです。実は小録のイオンの中のJIMMYで買い物をしてきたのですが、本日は空港にも山積みでジャーマンケーキがあるじゃないですか!すばらしい。棚買いしたいくらいでしたが、体重維持というミッションがあるので見学だけであきらめました。だから実際には何も買い物していないんですが、ここに寄って帰った、ということでやはり「シメ」なのです。
 次に那覇に来るのは学会の大会の11月。発表と司会があるのでそうそう浮かれてもいられませんが、やはり帰りにはこのJIMMYでたっぷりお買いものをして帰りたいと思います。そのとき大好物のジャーマンケーキがあることを祈ります。いやいや、到着したときに空港で購入して、ホテルで食べることにすればいいですね。ジャーマンケーキを食べると頭が冴えるかもしれないので。
 この数日、私は毎朝、食後にちょっぴりジャーマンケーキを切ってコーヒーとともに楽しんでいます。おかげで忙しいわりにはとっても元気です。


時間が止まった工芸品店

2017年09月14日 | 那覇、沖縄

 国際通りは那覇観光にとっては注目のエリアなのかもしれないが、私はそんな場所に全く魅力を感じない。だいたいどこでも同じようなものを売り、とりわけ美味しいということもない(普通に美味しいと思う)観光客向けの飲食店が並ぶ国際通りは、沖縄初心者が楽しむ場所としては最適かもしれないが、私にはちょぴり騒がしすぎる。
 ところがそんな通りを1、2本入ると、静かな街並みが続いている。そんな通りで不思議な工芸品店に出会った。正直、観光客には敷居が高すぎてが入りにくく見えるし、それほど繁盛していないだろうという風情のお店である。少なくても那覇の夜の街に繰り出す若者たちは、その存在すら認識できないようなたたずまいなのだ。しかし私はなぜかそんな雰囲気に魅了されてしまい、店員が見当たらないそんなお店に入ってしまう。
 まさに私の描いている那覇の工芸品店である。売られているものの質は明らかに表通りのお土産屋の比ではない。みなこの店の主は相当な目利きであることがわかる。しかも八重山のものがひじょうに多い。それに布、漆器など、そんなあまりお土産屋でみないものが所狭しと並べられている。私のちょっぴり感動した表情は、お店の奥にいた「おばあ」にも伝わったのだろう。私はそこで小一時間、そんな「おばあ」と話をした。
 昭和7年生まれの「おばあ」は竹富島出身で、なんと八重山のみんさー織の織子だった。八重山を愛するだけでなく、沖縄の工芸を熱く語り、もう誰も買わないような古い琉球ガラスや、漆器、黒檀の工芸品など、アメリカ時代のお土産を次々に見せてくれた。もう誰も買わんから、半額でいいから持っていきなさい、と私はいくつかの小物を購入したりした。
 時間が止まっている、というのはちょっと感傷的で、文化の変化を否定する表現かもしれない。しかし、国際通りという最も沖縄観光の変化に順応して日々変わりゆく街とは対照的なたたずまいであることは間違いない。しかし、そんなお店があるから那覇は面白い。那覇に住み続けていれば、私はそんな店に気が付かずに終わったかもしれぬ。一度、離れたから見える風景というのはこういうものなのかもしれない。そう思うと沖縄を離れた自分の人生の選択は間違っていなかった、と安心するのだ。


人間ドック終わる

2017年09月13日 | 家・わたくしごと

 今年の人間ドックが本日、終了しました。昨晩、遅くに那覇から戻り、朝7時20分には検診センターに行くというものすごいハードスケジュールでしたし、人間ドックのために体調を整えるなどという余裕は全くない暴走状態での人間ドックでした。しかしながら結果は何ら異常もなく、再検査もなく、10キロ以上痩せたせいもあり、昨年の数値より悪くなったものはなく、それどころか、数値は画期的に良くなっておりました。いやあ、嬉しいです。やっぱり食生活は大事だと、つくづく感じたのでありました。
 すでに来年の予約もしてきましたが、たいへんなのは、今度はこの体重と健康をどのように維持するかです。最後に問診があるお医者さんにも同じことを言われました。
 「よくこれだけ数値を戻したし、体重を落としましたね。いやあ、これからがたいへんですよ。維持していってください。」
 そりゃそうでしょ。わかってますよ。「でも、健康になってそんな言い方ないじゃん」と思いましたが、まあ、その通りなので許します。今日から、健康維持、体重管理との戦いが始まるわけです。だから決して私を「カロリー」に誘惑しないでください。心からのお願いです。