Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

バリ10日目

2009年08月31日 | バリ
 バリに来て10日が経ちましたが、これがはじめてのワルネット(インターネットのできるワルンの意)でのインターネットです。バリに来てからはかなり広範囲に調査に動き、昨日はリンディキットという北部の海岸に近い場所まで行ってきました。今晩はワヤン一座とバトゥングサルに行く予定です。こんな移動の多い生活を続けているので、まだ『スプートニクの恋人』は一頁も読むことができません。
 晴天続きでしたが、この二日間は曇り空で山間部には雨が降り始めています。そろそろ乾季から雨季へと変わる季節が近づいてきているのかもしれません。 デンパサールに戻ったときに調査記録をまとめていますが、帰国後ブログにアップできるように、ブログ用の文章も書き綴っています。ですので9月中旬以降にまとめて公開します。
 ところでなぜ今日、ワルネットに来たかというと日本の選挙結果がちょっぴり気になったからです。かみさんもそれを察してか、夜に選挙のことを電話で知らせてくれました。昨日、バリの人々と日本の選挙の話をしました。バリの人々は「インドネシアもここ10年で政権政党が何度か変わったけれど、何かが変わったかな?」と言って笑っていました。バリの変化は、政権政党の新たな政策が関係しているにしても、むしろグローバル化する世界への対応とテロリズムに対するバリ人の意識の変化が大きく起因しているのかもしれません。

関空で買い物

2009年08月21日 | 
 那覇から関空へのフライトの時間というのが月ごとに変わる。国内線・国際線などの乗り継ぎの役割を果たしているために、その接続ともかかわって時間変更を繰り返しているのだろうが、それにしても17時40分のデンパサールへのフライトまで関空で3時間も時間を潰さなくてはならない。 
 必要なおみやげも買ってしまって、結局、行くところは関空内の書店「丸善」である。といっても難しい本や大きい本はほとんどなく、だいたいがベストセラー、流行もの。文学書を探そうとしても、それがなかなか難しい。太宰の人間失格と斜陽が目に入ったが、十回以上は呼んでいるし、落ち込みそうなのでやめる。
 現在、『1Q84』で話題の村上春樹コーナーができている。この小説はまだ読んでいないが、それ以外はほとんど読破しているはず。しかしひとつだけ『スプートニクの恋人』だけを読んでいないことに気づいた。何ヶ月か前、学生がこの本のことを私に話たのだが、「あれ、読んでないなあ」と思ったことをふと思い出したのである。ということでこの本を買ってバリに持っていくことにした。さて、ゆっくり読める時間をつくれるかな?

日光にもいたバリ猫

2009年08月21日 | 
 あの左甚五郎の「眠り猫」は実は「バリ猫」だった!などという根も葉もない馬鹿話を書くつもりはないのだが、今日のブログも日光の猫つながりである。龍頭の滝にある東屋風のおみやげ屋をのぞいていたら、見つけたのが写真の「バリ猫」。「バリ猫」を知らない方のために簡単に説明をすると、バリのおみやげとして、バリで生産されている(最近はロンボック島以東で製造されているという話も聞くのだが・・・)ネコの置物である。1980年代後半から作られるようになり、今は、バリの手頃で安価なお土産を代表する一品である。
 このバリ猫、いつの頃からか、日本全国のお土産屋で売られるようになっているのだ。沖縄では「カラフルな南国イメージ」として売られる理由はわかるのだが、鎌倉のみやげ屋などにも数多く置かれており、新たに登場した汎日本的みやげものなのである。日光ならば、東照宮から猫を連想できるために、バリ猫もわからないことはない。しかし鎌倉や大阪はどうだろう?大阪は商人の街から「招き猫」そして「バリ猫」となるのだろうか?
 さて私はこれから、「バリ猫」の生まれ故郷、バリへと旅立とうとしている。ふと思ったのだが、今回の調査の項目に変わりゆく「バリ猫」を観察してくることにした。日本の「バリ猫」は、ほとんどその姿を変えていないのだが、バリのお土産品は日々、進化し続けている。バリでは全く興味がわかず、これまでこの手のみやげものの前は素通りしていたのだが、今回は、「バリ猫」コーナーをしっかり見つめて、レポートすることにしよう。なんだか、ちょっぴり楽しそうで、ささやかな調査項目が加わったことで、バリに行く楽しみができた。

キッチン南海

2009年08月20日 | 
 「キッチン南海」と聞いて、神保町、すずらん通り、ルーがこげ茶色のカツカレーと連想できる者は、かなりの神保町通である。個人的には、神保町に通う若者ならば知らねばならない「食堂」といっても過言ではない。カレーだけではなく、クリームコロッケ、しょうが焼き、ひらめフライなどさまざまな定食も用意されているが、私の見るところ、半分の以上のお客は、カツカレーを注文しているような気がする。
 ところで先日、「東京でどこに行きたい?」と沖縄育ちの息子に聞いたところ、親に気を使ってか、あるいは本気でそう思ったのか「神保町」と言うので、二人で古書店街を散策。東京にはまだまだ二人で行ったところは少ないというのに、神保町はもう二回目である。
 そして昼時に連れていった店が「キッチン南海」。若者となりつつある息子にも、やはり大切なことを伝授していかなくてはならない。どうしても息子に知ってもらいたかった父親が通い続けた食堂である。雰囲気的にはちょっとかみさんとは行きづらい店であるが、息子とならばいいだろう。
 味、量とも息子はびっくり。12歳にはまだ多すぎるとみえて完食はできないようだった。お店を出て息子が一言。「お父さんってすごいね。あのカツカレー、全部食べるんだもの」。そうだ。お父さんはすごいんだ。君に残したカツカレーなんて見せられないだろう。お腹がはちきれそうに苦しかったのだが、親のプライドをかけて食べたのである。だから「すごい」って褒めてくれて、そりゃあ、嬉しかったよ。

眠り猫の本当の姿

2009年08月20日 | 
 左甚五郎の名作、眠り猫の本当の姿を知ってるかい?あの猫、実は、眠っているふりをしているだけなんだよ。だいたい、あんな大勢の観光客が猫のすぐ下に集まって、ワイワイ、ガヤガヤしている場所で眠っていられるわけなんかないしね。やっぱり眠るのは観光客が誰もいなくなって静まりかえった夜。
 じゃあ、なんで眠り猫が目をつぶって、観光客のために「かわいこぶっている」のかって?そりゃ違うさ。あの猫はね、毎日、数千回、数万回のカメラのフラッシュをたかれて、とにかく眩しいから目を閉じているだけなんだよ。あれで目なんか開けてたら、とっくに「盲目猫」になっちゃってるよ。
 もしフラッシュ撮影を禁止にしたら、あの猫、たまには面倒くさそうに目を開けてくれるかもしれない。左甚五郎の名作だもの、猫の目は開閉自由に決まってるさ。それにカメラが作られてからだってフラッシュは自動ではなかったのだから、きっと誰かが撮影した古い写真の中には薄目を開けている「あの猫」が写っているはずだよ。そんな写真があったらまさに「お宝」だと思うね。

夏休み

2009年08月20日 | 
 数日間、夏休みを申請して日光と奥日光に行ってきました。日光に行くのは、小学校6年生の修学旅行以来(かみさんも同じ)でしたので、懐かしさを感じながらも、もう30年近く前のことですから、新鮮な驚きをもって観光してまいりました。ブログの更新もそれゆえ滞っておりました。
 それにしても外国人が多いこと!京都に多くの外国人が行くのはよくわかるのですが、日光東照宮付近には中国語、韓国語、英語、ヨーロッパ言語などなど・・・びっくりです。たぶん東京から日帰りで行くことのできる「江戸時代」なのだと思います。東京から近いという点では鎌倉も日本の建築物を見るにはいい場所だと思いますが、東照宮のように派手さは感じませんね。やはり、鎌倉は日光の次なのかしら?
 さてブログ再開、といきたいところですが、明日からインドネシア調査へ出かけますので、ブログもポツポツ更新になります。たまに開けてみてください。

アンメルツ ヨコヨコ

2009年08月16日 | 家・わたくしごと
 大学は夏休みに入ったが、教員はこの時期だからできる仕事に追われるもので、この数日は研究室と家に缶詰となって原稿の仕事にかかりきりである。大学の授業がある時は、一つの仕事が集中してできないためにありがたい休みである。といっても一日中、動かずにずっと本やパソコンに向かっているだけなので、確実に健康には悪影響を及ぼしているだろう。作家は、きっと一生こんな生活をするのだろうと思ったら、絶対になりたくない仕事である。
 沖縄は毎日、ギラギラに晴れている(らしい)が、ほとんどカーテンを閉め切った部屋で仕事をしているので、昼も夜もほとんど無関係である。これでは生活のリズムというものが全く感じられないので、21日からのバリ調査のための「おみやげ」を買いにいくことにした。玄関を出るなり、強烈な太陽のビーム光線を浴び、まるで誤って昼に穴から抜け出してきたセミの幼虫状態で、目をぱちくりしながら、向かった先はくすり屋である。
 調査地の村の人びとが首を長くして待ち望んでいるみやげは、写真のアンメルツヨコヨコである。なんでこんなことになってしまったのかといえば、たまたま、私が自分用に持っていたアンメルツヨコヨコを村の人が使ったところ、効能があって、「これは魔法の薬である!」と触れ回ったことから、「今度くるときに一本持ってきてくれ」と頼まれてしまうようになったのだ。
 ちなみに彼らは日本語が読めないが、私が最初に使っていたスティクにはYOKO YOKOとアルファベットが入っていたため、村の人たちはこの薬を「ヨコヨコ」とよんでいる。今回、購入した「ヨコヨコ」は計6本。おみやげを買うのは結構めんどうな作業であるが、「ヨコヨコ」で喜んでくれるならば、選ぶ手間がはぶけてありがたい。なんといっても大きなくすり屋は、家から徒歩3分のところにあるし。

写真

2009年08月13日 | 家・わたくしごと
 最近、紙にプリントアウトした写真というものをとんと見かけなくなってしまった。かつては、一緒にでかけた友人から封筒に入った写真をもらうことがよくあったのだが、今、友人たちから送られてくる写真は、写真の「データ」であって、写真のではない。もう写真はパソコン上で見たり、プロジェクターから投影されてスクリーンに映る、まるで映画のような存在になってしまったのだ。
 時代が変わったのだ、といわれればそれまでである。確かに紙媒体の写真からデータに変わったことで、保存のスペースも不要になったし、検索方法も簡単になった。なんといっても添付ファイルでどこにでも送れることで、封筒にいれて写真を送ることなどもう実際には行われなくなったといっても過言ではない。プリントアウトした古い写真でさえ、スキャナーでデータにして保存する時代なのだ。
 今夜、家に帰ってテレビをつけると、偶然、高校生の少女が封筒に入った写真を友人からもらうドラマのシーンに出くわした。十年以上前のドラマの再放送ではなく、現代のドラマである。なんだか妙になつかしかった。まだ中学生や高校生はデータで写真はやりとりしないのだろうか。それとも、この少女が時代錯誤的なレトロな設定なんだろうか。それはそうとして、なんとなく現像された写真が懐かしくなり、本棚の一番下にしまわれていたアルバムを引っ張り出して眺めてみた。確かにわずかな写真のために、これだけ重いアルバムを持ち運びするのかと思うと、億劫になることは否めないのだが、やはりアルバムに収められた写真は、そのちょっとだけ褪せた色彩のおかげで、その時代の自分の記憶をよみがえらせることができるのだと思う。「写真データ」と「現像された写真」を天秤にかけるわけではないが、現像された写真には、その良さがまだまだあるものだ。


飲まれてはいけない

2009年08月12日 | 家・わたくしごと
 いいかい?どんなに疲れていたって、どんなにはめをはずしたって、お酒に飲まれてはいけないんだ。そんなことあたりまえだろう。お酒を飲めるのは二十歳を過ぎてからなんだし、それはもう「大人」だってことなんだよ。
 もっと強くならなくてはいけない。強がっているだけではだめだよ。もっと、心の中から強くならなければいけないんだ。そうしなければ、また同じ過ちを繰り返すだけだ。こんなことで自分に勝てなければ、いったい何ができるんだい?

RCサクセション「カバーズ」

2009年08月11日 | CD・DVD・カセット・レコード
 先日、山形にワヤンに行ったとき、運転してくれた知人の車の中でかかっていたCDの一枚が、発売禁止になったことのあるRCサクセション「カバーズ」だった。確か、相当昔にこのCDを買って、当時はこの反核、平和、反体制を訴えた過激な歌詞に感動して相当に聞きまくったのだが、清志郎が亡くなったとき、やっぱり最初に頭に浮かんだのは《トランジスタ・ラジオ》と《雨上がりの夜空に》の2曲で、いつの間にか「カバーズ」の過激な歌詞は、私の記憶から消えてしまっていた。沖縄に戻って「カバーズ」を探したのだが、誰かに貸してしまって返ってこなかったのだろうか、どうしても見つからずにタワレコで購入した。
 あらためてこのカバーCDを聞いてみると、よくぞここまで替え歌にしてしまったものだと感心するのである。個人的には、「ラブ・ミー・テンダー」を「何いってんだー」「何やってんだー」と歌ったプレスリーの名曲《ラブ・ミー・テンダー》、そして、「ぼくらは薄着で笑っちゃう」という最後のメッセージの意味がよくわからなかった(今は解決してます)レノンの《イマジン》がお気に入り。ちょっと残念なのは、ストーンズの《黒くぬれ!》に、ブライアン・ジョーンズが弾いていたシタールの音が使われていないことだろうか。
 今聞いても歌詞が過激すぎて、現在も公共メディアで流れるチャンスは少ないために、なかなか若者の耳に届くことはないだろうが、そうでなくても、「反核・反戦ソング」なんて、今の若者はきっと歴史的歌謡としか捉えないだろう。オバマ大統領の核兵器廃絶に関する発言が日本のメディアで大きく取り上げられているのを期に、この「カバーズ」にもまた陽が当ればいい。現在にも通じるさまざまな問題を明確な歌詞で包み隠さず表現しているわけだし。このCDを聞くと清志郎はものすごいミュージシャンだったのだと改めて思うのである。