Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ジャワのダランは凄かった…

2013年12月30日 | 
 一昨日の夜9時から時から翌朝の5時までジョグジャでワヤンを見る機会がありました。予定していたわけではなかったのですが、たまたま私の沖縄時代の教え子でジョグジャの芸術大学の留学生が教えてくれたのです。場所も宿泊しているホテルからさほど遠くない場所だったので、急遽、行くことを決めたのでした。
 といっても一晩みると言うことは「徹夜」ですが、ワヤンを見る前提で昼間に行動していたわけではないので、最後まで見ないで(というより最後までは眠くなって見れない)帰ろうと出かけたのでした。
 始まってもジャワ語ですから何を言っているのかさっぱりわからないわけです。こりゃやばいぞ、と思いながらも1時間、2時間と経過していくうちにジャワのワヤンのなんともいえない気品と歌や独特な人形の動きに魅了されていきました。何よりも一晩朗々と語り続けるダランがなんとすばらしいことか!私はこのダランがジャワ人からどのように評価されているのかを知るよしもありませんが、少なくても私はこのダランの上演するワヤンを私なりに十二分に堪能できました。そしてそこから日本でワヤンを上演する上で重要なことをたくさん学びました。まあ翌日はほぼ使い物のなりませんでしたが。

現代美術とジョグジャ

2013年12月26日 | 
 ジョグジャカルタは古都としてインドネシアから多くの観光客がやってくる。今はクリスマスから新年の休日が続く時期で、ものすごい数の観光客がジャワのあちこちからやってきて、マリオボーロ通りは本当にお土産を求めるインドネシア人でいっぱいだ。たいていの観光客はボロブドゥール遺跡とプランバナン寺院に行き、王宮周辺を散策し、マリオボーロ通りで買い物をして帰っていく。お決まりの観光ルート。
 実はそんなジョグジャには現代アートの街という顔がある。1930年代から活動が始まり、今ではインドネシアだけでなくアジア各地で注目されるビエンナーレも開催されるほどだ。音楽、芸能、工芸という伝統を継承する一方で、現代芸術という伝統とはまた違ったベクトルの下でアートが開花しているのである。
 ちょうど今、ビエンナーレが開催されている。現代芸術はたいてい「一般の民衆」からは隔絶されたところにある。ジョグジャもまたそんな気がしてならないのだが、それがいろいろな場面に出会って考え方が変わってきた。まずビデンナーレの会場はどこも無料だ。子どもであれ、そのへんを歩いている街のおじさんやおばさんであれ、物好きの外国人であれ、アーティストであれ、だれもが自由に会場に出入りできる。そういう点で入場料という壁がない。日常と現代アートの敷居がひじょうに低いのである。しかも妙にきどった「アート」が会場や受付の人々に感じられないのだ、
 今日、国立美術館で、小学校低学年であろう裸足の子ども一人に、学芸員(この女性もまたはだし、かつジーパンとTシャツ)が作品を解説している場面に遭遇した。こんなこと日本ではありえない。インスタレーション作品の解説をたぶん会場に迷い込んでしまった近所のたった一人の子どもに学芸員がつきっきりでするだろうか?
 まさにアートマネージメントとは何なのだろうということを考えさせられた。ジョグジャは街だがそこにはまだ貧困という東南アジアの現実が横たわっている。現代アートが「それがわかりたい、わかるふりをしたい一部のアート愛好家」のためにマネージメントされるのであれば、それはジョグジャという地には根付かない。大半の東南アジアにはそぐわないのだ。さまざまな階層の人々が普段着で接することのできる空間、敷居の低さ、それを迎える人々の温かい態度、もちろんそうしたアートへの姿勢をサポートする経済的援助、そんなものがなければどんなにすばらしい作品であれ、それはカギをかけられた部屋にしまわれた宝石にすぎないのだ。
 僕は「なんでこんな村の中に(街から離れた場所に)ビエンナーレの会場があるのか、はじめはわからなかったのだが、今日、二度目の会場めぐりをしながら、色々なことに気付かれた。ジョグジャにおいて現代芸術の在り様は、たぶん日本の場合と少し違っているのだ。これはほんの数日、私がジョグジャに滞在した印象にすぎないかもしれないが、いや、やはり社会との距離、人々との距離が何か違うはずなのだ。

歩ける季節

2013年12月24日 | 
 ジョグジャカルタには1週間の滞在予定です。二日程度の調査だとタクシーをチャーターして必要な場所だけを効率的にまわる方法で調査しますが、正直、こういう方法だと地理感がまったくつかめず、ひどいときは地名や村落名、集落名は記してもそれが地図上のどこにあるのかわからないままということすらあるのです。今回のジョグジャは一回目の調査ですが、今後、二回、三回と続けていくつもりなので、ちゃんと地理感をつかむため地図を片手に歩く、ベチャにのる、バスのルートを勉強するなど、自力で動く努力を楽しみながらしています。
 昨日も雨の中、留学生に教えてもらったCD,カセットテープ屋に歩いていきましたが、途中でワヤンを作っている工房を発見。入って話をしたらなんと、ワヤン・カンチルの有名なダランの工房で、あがりこんで話をしたあげく、ワヤンまで注文してきました。歩くとほんとうに様々な発見があります。雨さえ降っていなければ歩きやすい反面、この時期だから歩けるのです。太陽がカンカン照りの乾季なんてまず外をトボトボ歩くなんて考えられないからです。
 3日間、地図を片手にいろいろ歩いていると、ほんのささいな風景から留学していたころよく訪れたジョグジャの記憶が蘇ってきます。バリにはないお菓子を並べるお店の前とか、ベチャのおじさんがのんびりコーヒーを飲んでる風景とか。ロンボックで最近は毎年調査しているのでイスラムの街というものには特に驚きはないのですが、やはりジョグジャにはここにしかないような独特な香りが漂っているです。そんな香りも歩かないと思い出せないものなのです。

ジョグジャでバリ人の友人に会う

2013年12月23日 | 
 王宮で突然、自分の名前を呼ばれた。文字にすれば明らかにカタカタで書くのが適当な、そんな発音だった。数年ぶりに訪れた場所で絶対にそんなことはありえないという状況の中で自分の名前を呼ばれるのは相当に驚きである。思わず足がすくんで身体中の運動神経は一瞬にして麻痺してしまい、あたかもに蝋人形のようになってしまったそんな感覚である。
 ぼくの前にあらわれたのはバリの恩師の姪っ子さんで、トゥンジュク村出身の知人である。ジョグジャに来てトゥンジュクの人に会うなんて偶然の産物だとはいえ、あまりにも「ありえない」シチュエーションといってもおおげさじゃない。向こうもこっちもびっくりで二人で顔を合わせて思わず苦笑い。タバナンの中学校の教員をしている知人は、修学旅行の引率者としてジョグジャに来ていたらしい。たしかにジョグジャの王宮は修学旅行の団体だらけでまさに京都とか奈良の様相を呈していた。
 ほんの数分だけ立ち話をしたばかりだったが、なんだか知らない場所で故郷の友人に出会ったような不思議な感覚が別れた後もしばらく心の中に漂っていた。そんなことがあったからかどうかは別にして、この日の調査やインタヴューはなんだかうまく進んだような気がする。

ホテルの朝食

2013年12月22日 | 
 ジョグジャ二日目。今日のお話はホテルの朝食について。朝食付きというのはインドネシアのホテルでは一般的だが、安宿はたいていお茶とパン、あるいはナシゴレンというパターンであるが、私が宿泊している宿は部屋数が40くらいあり、一部屋ずつのサービスがたいへんのようでブッフェスタイルである。
 そういうとものすごく贅沢でありがたい感じがするが、そんなことはない。おかずは三品、それにクルプック、パンとマーガリン、チョコレートのフレークもある。それだけ。完璧なるインドネシア人向け。しかもチョコレートとクルプック以外は辛いのだ。
 そのブッフェがはじまるやいなや早起きのインドネシアの人々がそこに群がり、すごい状況となる。インドネシアを知っている方はその壮絶なる風景を想像できるであろう。となると、早起きの僕はこの勝負にえらく燃えるのである。その証拠写真をちゃんと後日、アップしておくのでお楽しみに。

カメラが使えないので

2013年12月21日 | 
 昨晩遅くにジョグジャカルタに到着しました。国内線は三時間遅れ。ぐったりでした。宿はいわゆるロスメンで修学旅行の中学生がいて煩くて仕方がない。朝、シャワーを使おうとしても各部屋で使っているとほとんど出ないし、もちろん冷蔵庫なんてありません。いわゆるジョグジャカルタの安宿街の一角です。でもこういう場所の方が落ち着きますね。
 タブレット型端末を買ったのですが、カメラの使い方がわからないので写真がアップできません。でも日記のようにアップしていきます。

ジャワに行ってきます

2013年12月19日 | 家・わたくしごと
 二年前にゴングの調査で数人の研究者とともにソロ、バンドゥンと調査に出かけましたが、今回のようにジャワを一人で調査をするのは初めてです。しかも、この調査はアーツマネジメントなので、研究対象の芸術組織が、音楽や芸能に限らない!
 はじめは不安でしたがネットなどで調べているうちに、美術作品、映像作品、インスタレーションなど、普段ではあまりふれない分野の調査にもちょっとずつ関心がわいてきました。まあ、当たって砕けろ精神ですわ。
 ということで、正月には戻りますが、しばらくブログ停滞します。まあ、これまでもしばしば停滞気味なので読者の方は「またかぁ」くらいの感想だと思いますが…。

自虐的表現から垣間見える自信

2013年12月16日 | 家・わたくしごと
 この一年間、もっとも楽しませていただいたカレンダーが卓上のカレンダーで、たぶん弟にもらった「島根県」のカレンダーである。このカレンダー、もしかしたら島根県の観光プロモーションの一貫で作られたものかもしれない。しかし、たいがい観光用に作られるカレンダーは、その地の観光名所を美しく撮影した写真や絵で飾るものだ。しかし、このカレンダーは違う。すべて自虐的なのだった。ちなみにすでに12月になり、このカレンダーも終わるので、すべてを紹介することとしよう。

 表紙 島根は日本の領土です。
 1月 元祖、過疎県!
 2月 広島に近くて便利
 3月 有名人が違う出身県を言っていた。
 4月 私鉄だってある。
 5月 天国に近い島
 6月 また、庭から遺跡が出てきた。
 7月 時差、ありません。
 8月 どんなにおいしくても行列ができません。
 9月 コンビニができると、ニュースになる。
 10月 人口は七十万、神様は八百万。
 11月 どこからも遠い県。
 12月 まだ有名じゃないだけ。

 いかがですか。すばらしいと思いませんか。これを見るだけで行ってみたくなる県ですね。特に12月のコピーが大好きです。「まだ有名じゃないだけ。」。いいですね。若いアーティストたちが自分の将来に夢を秘めているような言葉で、でもどこかに不思議と自信がみなぎっています。自信がなければ、美しいモノ、目立つモノを必死にアピールしようとするもので、すべてにここまで自虐的にはなれないものです。
 このカレンダーを見ながら、浜松の人が自信をみなぎらせながら、自らの市を自虐的に語るとどうなるんだろうと考え続けました。もちろん、ぼくは浜松市民になりたてのホヤホヤ、「ひよっ子」ですから、まだまだこれを語る権利はないかもしれませんが、ぜひ、浜松の方、考えてみませんか?大学の名前で売り出してみたらどうだろう?やろうよ、よろうよ。(怒られそうだね)    

BLIND FILM ~Yirma 第8集

2013年12月15日 | CD・DVD・カセット・レコード
 大好きな韓国人作曲家兼ピアニスト、イルマの第8集がこの秋に出て、一昨日手元に届きました。今回は黒のCDジャケット、中の頁もすべて黒が基調のモノクロです。どの曲も僕を裏切りません!毎回、毎回、作品は内にこもっていくような響きや音色になっていくようです。どうしてこれほど自分にぴったりな曲があるんだろうと思うほどです。
 イルマを聞いたある人が「冬ソナ」の音楽に似ているといいました。当たり前ですね。「冬ソナ」の曲も何曲か提供していますから。今のイルマはあのときほどメロディックな曲ばかりではないけれど、それでも「甘ったるい癒し系」と表現されても文句は言いません。ここまで好きだと第三者の「語り」「批評」なんてもうどうでもいいんですよ。完全に「愛は盲目」です。
 寒さに震えて、少々風邪気味なのですが、今の私にはイルマの音楽が一番の薬です。この音楽を聴きながら目をつむって、しばし遠い世界の美しい夢を思い描きます。僕の夢はモノクロではなく、たくさんの彩色が施されていますけれど。

「ハッとする」ということ

2013年12月14日 | 家・わたくしごと
 数日前、神戸である高名なデザイナーとお酒を飲みながらの話の中で、彼が「ハッとする」瞬間が、何かが切り替わる、何かがひらめく、何かをつかみとる重要な「時間」なのだ、と話してくれた。
 そういわれてみて、最近「ハッとする」ことがあったか?そう、一つあった。ちょうどデザイナーのSさんとお会いする前日に、講演の原稿を考えていて、「ハッとした」のだ。何でそんなことに今まで気が付かなかったのかい?でもしばらく「ハッとする」瞬間を経験していなかったかもしれない。
 ワインでほろ酔い気分の帰りの新幹線の中で、ぼんやり考えた。「ハッとする」ことの多い人生って豊かな人生なんじゃないかなって。ぼくはこれまでどれだけ「ハッと」してきたのだろう。そしてこの後、どれだけ「ハッとする」ことができるのだろう。みんなも思い出してごらん。一番最後に「ハッとした」のはいつのことなのかなって。そして、これから「ハッとする」瞬間ごとに「正」の字を書いていってみないかい?