Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ラジオの収録

2013年02月28日 | 浜松・静岡

 久しぶりにラジオの収録。沖縄にいたときは、那覇市や沖縄市のコミュニティーFM、ずっと昔はFM東京の民族音楽の番組などで何回か話をしたことはありました。久しぶりだからちょっとは緊張するかなと思ったけれど、やっぱりラジオのパーソナリティーはすごい。言葉だけでなく、表情などから、私からいろいろなものを引き出してくれるから、緊張なんて全く「できまんでした」。
 私が収録したFm haro!は、遠州地域のコミュニティーFMで、140万人に届いているというかなり広域を網羅したFM。残念ながら、静岡市や名古屋市までは届かないのだけれど、今は日本各地のコミュニティーFMのいくつかはネットで聞くこともできます。Fm Haro!もその一つ。
 出演した番組はロック向上委員会Zというロック音楽を中心にした番組ですが、パーソナリティーのバグース長谷川さん、チャンティック亜沙美さんはものすごいインドネシア通です(名前みればわかるよね)。だから、ザ・インドネシアというコーナーがあって、ロックのメインコーナーだけでなくこれもまた面白い!日本語とインドネシア語のチャンプルでラジオ番組が行われているのはたぶん日本でこれが唯一じゃないでしょうか?日本中のインドネシア好きの方、これをネットで聞くことをおすすめします。浜松の面白さを垣間見れます。
 今回は3月16日の静岡のワヤンの告知やら、30分以上さまざまな話をしてきました。静岡市までは届かないけれど、浜松やその周辺の方が興味を持ってくれればいいなと思います。放送は明日の金曜日、番組は夜8時から。コーナーは9時頃ですが、ぜひ、始めから聞いてみてください。私もこの番組を知ってから、浜松外に移動せずに金曜日も浜松でラジオっ子になってます。


浜松とガムラン・アンクルン

2013年02月27日 | 大学

 先週、東京で久しぶりにガムラン・アンクルンの練習がありました。アンクルン本来の曲ならまだしも、5音音階で2オクターヴを使える曲を、違う音階でしかも4音音階1オクターヴの曲に置き換えるなんて、そりゃあ、わけわかんなくなりますよね。原曲を知っていたらなおさらで、ゴング周期は同じでも、時にはいったい何の曲をやっているのかわからなくなっちゃうし。その気持ちはよーくわかります。右から左へ、左から右へと、4つの鍵板を行ったり来たりだもの。でも浜松の大学ではそんなガムラン・アンクルンでさまざまな活動をしようと考えたのです。
 私が最初にガムランを始めたのは、当時、大学で民族音楽学を教えてくださった教員の持っていたガムラン・アンクルンでした。大学にあったわけではありませんでしたから、毎週日曜日に先生のお宅の書斎でガムラン・アンクルンをたたいていた時のことを今でも覚えています。途中の記憶がすっかり抜け落ちてもその経験だけは一生、脳裏での再生が可能なはずです。
 私にとってガムラン・アンクルンは原点です。アンクルンから、グンデル・ワヤン、そしてクビャルへと活動を広げていった時代でした。だからといって、自分の思い出探しに浜松の学生達を巻き込もうとしているわけではありません。クビャルの演奏に慣れてしまうと、時にアンクルンは「複雑怪奇」なガムランになってしまうのかもしれませんが、私のように最初にアンクルンを演奏したものにとってはそれがガムランでした。それでいいんじゃないかと思います。楽器博物館に置かれたクビャルに興味も持った学生が、クビャルに向かいたければきっといつの日かそれがかなうはずです。1980年代の東京がそうだったように。
 種を蒔いて、大切に育てていけば、いつの日か花が咲き、豊かな実りがあるのです。それには本当に時間がかかります。もうだいぶ前に亡くなった植物学者だった祖父は、10年先、20年先に自分の研究成果がどのように結実するかという話をして私を驚かせました。「なんて気の長い人なんだろう」って。だから植物学者にはなれないとあきらめて、音楽学者になったのかもしれません。でも、やっぱり、私も祖父譲りの性格だったのでしょう。10年とはいわないまでも、「いつか、いつか、きっと花は咲くよ」、って気長に思えるようになったのですから。ガムラン・アンクルンといえば「浜松」という時代を夢見て、ゆるやかに前に進んでいこうと思います。ゆっくり、ゆっくりね。


「さわやか」ではないが…

2013年02月25日 | 浜松・静岡

 先週、沖縄に集中講義に行った時、夜にテレビを見ていたら、静岡では「ハンバーグ」が有名であることを知る。浜松にいるときはテレビを見ないのでほとんど知らなかった静岡情報を沖縄で得たのである。静岡の街の人々に「美味しいハンバーグのお店といえば」と聞くと多くが「さわやかのげんこつハンバーグ」と答えるらしい。まあ、テレビだからそう答えた人の映像を使えばいくらでも脚色はできようが、ゴン中山も登場し、このハンバーグを絶賛。そこまで「旨い」と言われると、やはり気になるものだ。
 静岡大学で教えた後、「一人お疲れ様会」で、新静岡駅のそばの「さわやか」なる洋食屋に行ってみた。まず待っている人の数に驚く。軽く30分待ち。ここまで来たのだからもう1時間待ちだった食べるしかないでしょう?
 ということで、やっとのことでありついたのが、このげんこつハンバーグである。まず、「でかい」。しかも中はまだレア。とはいえ、これ、かなり旨い。たぶんこれまで食べたハンバーグのトップ3に入る。しかし、なぜ店名が「さわやか」なのかがわからない。肉の食べ過ぎで少なくても「さわやか」な気分には全然にならないが、この店名とハンバーグのミスマッチがまたいい。ちなみに帰って調べたら、「さわやか」の本社は浜松にあることが判明。しかも浜松にだってお店あるじゃん。ということで、いつでも行けるということがわかり、ちょっとありがたみが薄れる。


癒されたいのは同じです

2013年02月23日 | 那覇、沖縄

 モノレールの久茂地駅の階段に書かれたコピー。この下には宮古島への宣伝文句が続く。このコピーは本島に住む、あるいは那覇の街であくせくと働き、クタクタになって家路につく「沖縄県民」にも向けられたコピーと解釈してもいいだろう。しかしこれを見た本土からの観光客は「贅沢だよ。那覇だって十分に癒されるじゃん」なんて言って笑ったりするのであろう。
 沖縄はリゾートの島から癒しの島へとその様相を少しずつスライドしつつある。いつの間にかバリ島がすっかりそんな島へと変わってしまったように、沖縄もまた同様に姿を変えようとしている。都会の喧騒、日常の煩わしさから開放されて、固定化されたイメージの亜熱帯の沖縄の風景、味、香り、スパの優しい手触り…そんなものを楽しみながら人々は癒されて、そして「日常」へと戻っていくのだ。
 そんな「外からのまなざし」に釘を刺すような一言が、「ウチナーンチュだって癒されたいんだ!」。実に感動的である。しかし、それが「宮古島」であることにより面白さを感じる。本島の人々は本土の人々が癒される「本島」ではもはや癒されない。そりゃそうだ。そこは「日常」なんだから。だから人々はより「南」へと視線を向ける。
 当たり前のことだが、住んでいる人々にとってはそこは「日常」。訪れる人にといってはそこは「非日常」。そしてもう一つ。そこを訪れて、住んでいるうちに「非日常」は「日常」へと変わっていくってこと。沖縄を一時、仕事で訪れるたびに、今、ぼくは沖縄のことをいろいろ考えるようになった。「日常」が「非日常」へと再び戻ってしまったからなのだろうか?しかし、そんな簡単にリセットできてしまうものなんだと考えると、少々寂しい気もするが…。
 


浜松手拭い

2013年02月19日 | 浜松・静岡

 床の間の手拭い飾りを交換しました。今度は京都のお店の手拭いではなく、浜松の染めの手拭いです。モダンなデザイン!モチーフはおわかりの通り、ピアノです。長い間、ピアノを作ってきた街ですから。
 ピアノの鍵盤と同じように白地に黒だけで染められています。最近はこんな単色の手拭いをなかなか目にすることはできません。以前は藍色一色で絵や文字が描かれていたものですが。
 この時期に会う縦に飾れる手拭いがないので春になるまでしばらくこのピアノの手拭いで楽しむことにします。眺めていたら、ちょっぴり、ピアノの音楽が聞きたくなってきました。


楽しく苦戦中

2013年02月18日 | 浜松・静岡

 静岡で3月16日(土)にワヤンを上演するのですが、現在のところかなり苦戦してます。芸能そのものの知名度がまったくない、だいたい我々のことをほとんど知らない場所で自主公演をするというスリリングな挑戦ですから予想はしていたものの、やはり公演まであと一か月を切り始めると案外、心配になってくるものです。
 しかしそんな状況の一方で、いかに広報活動を展開するのかを考えるのも楽しいもの。いろいろな方に連絡先を提供してもらい、素敵なデザインのチラシをはじめての方々に送ったりしています。今回はメンバーのうち静岡県に住んでいるのは私一人。だからがんばらなくてはならないわけです。
 定員は60人で考えていますが、さて何人来ていただけるでしょうか?今週末は、静岡大学にガムランを教えてに行く予定ですから、このときに静岡にて広報活動に従事したいと思います。そうそう、3月8日のFMハローにもゲストで出ます。でもこれ、掛川まで聞こえるらしいんだけど、静岡まではぜんぜんなんだよね。初静岡公演、これから定期的に公演できるように試行錯誤しながらがんばります。静岡でチラシをおかせてもらえそうなお店、ご存じの方は教えてくださいね。
 なお公演の情報は、以下のブログでご覧いただけます。http://blog.goo.ne.jp/wayangbali/e/eafc7c5301d796f6592b2bf03b477445


鍋とほうきとヴァイオリン作りのおじいちゃん

2013年02月16日 | 

 ロンボックでゴングの調査をしているときに出会ったおじいちゃん。普段は、アルミ製の鍋やほうきを作っていますが、楽器も作ってます。彼の一押しはヴァイオリン。結構作るがたいへんらしい(そりゃ、あたりまえだろう)。しかもおじいちゃん、ヴァイオリン上手。くわえタバコで弾いてくれました。
 ロンボックの伝統音楽のアンサンブルのいくつかにはヴァイオリンが入っているものがあり、西洋楽器がいつの間にか加わっていったようです。ちなみにこのおじちゃん、演奏家でもあり、自分の演奏グループを持っています。
 ゴングの調査で行ったのに、このおじいちゃんからは何らゴングの情報は得られなかったけれど、最後は鍋とほうき(写真の後ろに写っているのはほぼ彼の「作品群」)をくれたし、ヴァイオリンも弾いてくれたので得した気分でした。ちなみに鍋とほうきは大きすぎて日本に持って帰るのがたいへんなので、運転してくれたロンボックのおじさんにあげました。すごく嬉しそうだったし、とっても感謝されました。


ングラ・ライ空港の国内線ターミナル

2013年02月15日 | バリ
 バリの空港は今、工事の真っ最中です。国際線もいつの日かとんでもなく豪華になりそうです。でも働いてる人は変わらないでしょうから、中身はそれほど期待できないでしょう。
 現在、国内線のターミナルが新しくなっています。以前の2階が待合室の建物はもうありません。でも今の国内線ターミナルは(たぶん)仮の姿だと思います。だって、ほんとにひどいもん。新しく作られたときにそっちに移るんでしょう(と信じたい)。
 これから利用する人にご案内。15~20番のゲートがあるんですが、その先になぜかまだ通路が続いています。ゲートがないからほとんど誰も行きません。写真の通路がそれです。誰もいないでしょう?(手前にはものすごく人がいるんですよ。) ところが、その奥にコンビニ(サークルK)やら本屋が集まっています。誰もいないところに店が集まってるなんて信じられないよね。ということで、コンビニでパンや飲み物でも買いたい人、一番奥まで歩いていけば、チェックイン後に安い買い物ができます。でも、こういう状態で店としては抗議しないのかしらね?

ロンボック・プラヤ空港の人だかり

2013年02月14日 | 
 ロンボック島の空港は最近まで州都のマタラムの近くにあったのが、マタラムからはとんでもなく遠いプラヤに移転した。マタラム市内までは車で約1時間かかるし、周辺には何もない。畑がひたすら続く場所にポツリと空港があるのみである。まあ、日本の地方空港も似たりよったりかもしれない。国際空港のわりにはフライトもさほど多くない。国内線の出発・到着を合わせても一日40本なんてないはずである。
 ところが、この空港の外にはものすごい数のロンボックの人々がいる。写真は乗客が出てくる場所だが、もう黒山の人だかりなのだ。実はこの人たち、特に友人、家族を待っているわけではない。ただなんとなく空港にピクニックにきて、なんとなくここにいるらしい。外にも飛んでくる飛行機を楽しみにしながらゴザに座ったピクニック中の家族がいっぱいだ。
 考えてみれば、今の那覇空港ができたとき、沖縄の人たちは飛行機に乗るわけでもないのに、一度や二度は空港に遊びにいったものだ。私なんて子どもが小さかったから、飛行機を見るためだけに結構な数、空港に家族ででかけた記憶がある。日本人だってそうなのだから、インドネシア人だって同じである。しかし、それにしても空港には何もなさすぎるから、飛行機が飛んでこない時間は、ぼんやり空港の中や出てくる客を眺めるくらいしか、最後はすることがなくなるのだろう。正直、超有名な芸能人が来るのかと期待したのだが…。

鳥肉料理よく食べました

2013年02月12日 | 家・わたくしごと
 本日、帰国しました。今回は主にイスラム世界での調査でしたし、バリにいた二日間も東ジャワ料理のワルンで食事をしていたので、とにかく鳥肉料理をよく食べました。牛でもいいのですが、牛は鳥より高いし、作り方に問題があると硬いので、やはり鳥ですね。鳥料理はロンボックの名物です。
 バリに戻って半日あったのですが、入ったワルンはなぜか鳥料理のワルンでした。最終日、デンパサールで初めて入った店でしたが、なんだか鳥料理屋の引力に体が反応してしまっているようです。
 写真はロンボックの帰り、空港の傍のワルンで食べた鳥料理でした。料理の名前は忘れました。調査を終えた瞬時、一気に疲労に襲われ、それまでメモ魔だったのが、もうペンを持つ気もおきなかった時に食べた料理です。美味しかったことと、15,000ルピアだったことは覚えています。
 今日のフェイスブックにもちょっと書きましたが、やはり年齢のせいか疲れやすくなっています。少しずつ調査の方法も年齢に合わせて変更していかなければと思った6日間でした。そういうことを学べたことも大きな成果です。寒い浜松と酷暑のロンボック、バリとの気温差が最も大きな要因だと信じたいのですが…。