紅葉の「華やかさ」は、時として「はかなさ」でもある。そのときの心情によってその両者のどちらかが心の中からひょっこりと、そしてはっきりと顔を覗かせる。私の安堵感はすぐさま散りゆく葉の行方を思い、憂鬱な気分に襲われた。ため息をついて見る景色なんてすっかり色あせてしまうではないか。
「あの頃はどんなことを思いながらこの道を自転車で走っていたのだろう?」と通学路だったこの道を毎日走っていた学生時代のことを思い出そうとする。記憶の彼方から引きずり出したものといえば、道沿いに建つ古い木造のアパートから時折聞こえていた金管楽器の練習の音や、すぐそばに立つゴミ焼却場の大きな煙突から吐き出される白煙、そして自転車を抜かしていく電車から手を振る同級生たちの姿。しかし他には何も思い出せない。
あの頃、季節はありきたりの光景でありすぎて、私はそれに関心すら持てなかったのだろう。歳のせいなのか、それとも沖縄に住んでいるからなのか、私はすっかり季節に敏感になっている・・・。