Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

Free Wifi

2010年08月31日 | バリ
バリで調査中です。昨日は西部のJASRI(JASI)まで行ってきました。その前日は北部のMUNDUK、夜は南部のKesimanで調査と移動の連続でした。
 ところで最近のバリでは、Free Wifiという看板をよく見かけます。観光地だけではなく、デンパサールの街中にもそういう看板があちらこちらに立っています。実は、今回の調査をご一緒した先生に教えてもらうまで、この意味がわかりませんでした。無知というのは怖いものです。
 それだけラップトップのパソコンを持つ人が増えたということですね。コンビニのいくつかにもそんな看板が立っていて、バリ人たちがコンビニの前に腰をおろして(夕方、コンビニ前に集まる日本の高校生みたいですが)、パソコンを開いています。恐るべしバリ。そういう私も、今、そのFree Wifiなる場所でブログを書いているわけです。あと、二週間足らずですが、悔いの残らないようにしっかりがんばります。

調査中です

2010年08月20日 | 家・わたくしごと
 しばらくアップできませんでした。今、インドネシアで調査をしているので、インターネットが自由に使える環境にありません。今日、はじめてネットのできる場所にやってきました。自分の部屋にはクーラーがないので、久しぶりにクーラーにあたるととても寒く感じます。日本にいるとクーラーを欲するのですが、クーラーがない状態で生活すると、それに体が慣れてしまうものなのでしょう。
 一ヶ月は、日本とくらべると厳しい環境での生活ですが、そのくらいの環境の方がぼくにはいいのかもしれません。あんまり快適だとなんだか動きたくなくなってしまうかもしれないから。
 しばらくアップができない状況が続くと思いますが、どうかPをお忘れずに。
 

のらくろ

2010年08月14日 | 
 「今どきの若者」なんて言い方をすると自分がいかにも「おやじ」の感があるのだが、その「若者」たちは「のらくろ」という漫画をを知っているだろうか?少なくても私の教えた学生たちで「のらくろ」を知っている学生は数えるほどしかいなかった。当然である。「のらくろ」は昭和6年から16年までの10年間『少年倶楽部』に連載された漫画なのだから。
 私は子どもの頃からこの「のらくろ」が好きだった。父の実家には、戦後復刻された『のらくろ全集』があり、正月、お盆と世田谷の父の実家に行き、自分の祖父母とのあいさつもそこそこにこの全集を読みふけった。行くたびに読んだので、いったい何回読んだかわからない。そのせいか、今も話の大半を記憶してしまっている。
 実は、私の父が10年くらい前だろうか、その全集を古書店で買ってきて、自分の本棚に並べた。私はもう40歳に近い頃でこの全集と以前のように接することはなかったが、今度は、私の息子が同じように、私の東京の実家に戻るたびにこの『のらくろ全集』を読むようになった。彼も私と同様、数十回、『のらくろ』を読み続けているわけだ。
 実家には、この全集とは別に、講談社が少年倶楽部文庫として出版していた三冊になった『のらくろ漫画集』もある。中学2年にもなる息子は、あいもかわらず、実家に戻ると今度はこの三分冊の「のらくろ」を熟読していた。私の実家=「のらくろ」講読、という図式が彼の東京での生活様式に組み込まれてしまっているらしい。残念なことにこの三冊本には、全集にある「のらくろ探検隊」が収録されていないのだが……。

こてさし

2010年08月13日 | 東京
 先週末、私のワヤンチーム「グンデル・トゥンジュク」の面々と西武秩父線に乗った時の出来事。「こてさし(小手指)」という駅に停車したとき、メンバーの一人H氏が、駅の柱に表示されているひらがなの駅名を見てボソリと一言。 「この駅の名前、コテカン・サンシ kotekan sangsih みたいですね。」
 バリ・ガムラン愛好者の皆さん!ガムランを熱心に続けると、「こてさし」だって「コテカン・サンシ」に見えてくるんです。パリ Parisが、バリBaliに見える程度で胸をはる方々なんて、私に言わせればまだまだ駆け出しの「ひよっ子」です。H氏のように成長するためには、ただひたすらバリ・ガムランの練習あるのみです。ちなみにH氏は、まだグンデルのサンシの声部は演奏できないとお見受けしますが、いかがでしょう?
 (コテカン……バリ・ガムランの旋律の装飾方法、サンシ……コテカンの装飾声部の一つ)

ありがとう

2010年08月11日 | 東京
 ちょっぴり不便な場所にもかかわらず、昨晩のワヤン・リステリック公演「一角仙人の物語」に来てくださった方々、本当にありがとうございました。今日は写真がありません。デジカメを持っていくのを忘れたわけではなく、ただ撮影する精神的な余裕がなかっただけなのです。
 ワヤン・リステリックは上演の大半を一人で行う普段のワヤンとは違います。影の背景を変えていく数人のメンバー、ライトの切り替え、裏方の仕切り役など、多くのスタッフとの共同制作舞台です。そういうわけで、いつものように自分勝手に上演するわけにはいきません。私が大きなチョンボをすると裏方全員に大迷惑!
 開演2時間前から緊張、緊張。段取りを何度も頭の中で復習です。その成果もあって、なんとか無事に公演を終えることができました。本当にみなさんありがとう。来てくださった方、演奏メンバー、そして裏方のみなさん、上演者のみなさんに感謝。
 これからも繰り返しこの演目が上演できればいいなと願っています。回を重ねるごとに完成度が増していくこと間違いなし。「それっきり」の舞台は多いのですが、これはぜひ完成度を高めて、多くの皆さんに見ていただきたいと思います。


子どもたちのガムラン

2010年08月10日 | 東京
 友人が自分の家の近所の子どもたちに教えてきたガムランが、盆踊りの前に初舞台を踏んだ。私は何の協力もすることもできなかったが、ガムランによる地域貢献は、私が沖縄で取り組むテーマの一つであるし、共感できることもあって、応援団?の一人として見学に出かけた。
 善福寺の近くの町内盆踊り大会で、道路を通行止めにした十字路が舞台である。バリでは簡単だが、日本では警察への届け出などたいへんだっただろう。地域全体が関わっているイベントであることがこうしたことからもわかるものだ。十字路の中心はブタ・カラ(悪霊)の生息地。ちゃんと上演前には供物が捧げられる。
 バリでは小学校低学年の子どもたちがガムランを演奏するのは珍しいことではない。しかし私の経験では、日本の場合、好奇心で一度はできるとしても、それを二度、三度と継続して演奏させるのは難しいと思っていた。子どもたちは忙しい。学校のほかに、塾にも、習い事にも行かなくてはならない。ガムランの優先順位なんて、それほど高いとは思えないのである。
 決して上手な演奏ではない。それでも子どもたちは真剣なまなざしで、演奏をし続けている。私にはそれが、本当に心から演奏を楽しむ姿、演奏の喜びの表現のように感じられるのだ。私は地域貢献という側面に関心しながらも、むしろ「演奏すること」とはいったい何なのか、という初心に戻れたような気がした。ぼくたちはいったいなぜ演奏するのか? なぜガムランを続けるのか? 帰りの電車の中で今一度、自分に問い直す。

2010年のクワガタ獲り

2010年08月09日 | 家・わたくしごと
 なぜ中学2年にもなった息子が「お父さん、クワガタ獲りに行こう」といったのかはわからないが、ぼくは東京の実家での最後の晩を迎えた息子と懐中電灯を持って2年ぶりに、夜8時をまわった玉川上水の木々に囲まれた散歩道に出かけた。
 息子は意外にもかつてここでクワガタ獲りをしたときのことを詳細に記憶していて、そんな記憶の断片が、木々の間を歩きながら次から次へと湧き出るかのようだった。
「この木で昔、クワガタをとったんだ」
「この木は前には、たくさん樹液が出ていたね」
 彼は「クワガタを獲る」という行為よりもむしろ、「過去の記憶の快楽」を楽しんでいるのだろうか?
 結局、1時間でつかまえたのはノコギリクワガタのメス一匹だけだったが、彼は帰り際満足ありげにこういった。
「まだ、東京の街にもこうしてクワガタがいるのはうれしいよね。」
 なんだかすっかりクールになっていく息子を見ながら、かつてはつかまえたクワガタを見つめながら、誇らしげに、そして満面の笑みで歩いていた小さかった息子を思い出して懐かしかった。子どもは大きくなっていく。そしてぼくは……。
 

垣花樋川(かきのはなひーじゃー)

2010年08月06日 | 那覇、沖縄
 ゼミ合宿の帰り、皆で少し涼をとろうと近くの垣花樋川(かきのはなひーじゃー)に寄った。樋川(ひーじゃー)は、湧水の水場のことで、沖縄にはいくつもそうした場所がある。青い海を望むことのできる樋川としてテレビでは見たことがあったが、行くのは初めてだった。
 木々に囲まれた急な石畳をしばらく下っていくと、眺望が開けて久高島をはじめ、たくさんの島々が浮かぶ、一面の海が広がる。その横につめたい水がわき出る場所があって、たくさんの地元の子どもたちが水場で楽しそうな声をあげながら戯れている。陽に焼けないように全身を防御する親の姿が、子どもと対照的に痛々しくも見える。
 人工的に作られたプールに行くより、自然の中のこちらの方がずっと楽しいのだろう。自然の中で遊ぶ子供たち。那覇にいるとまるで夢のような風景が広がっている。そんな風景を見ると、ひんやりした湧水の水しぶきが体感温度をさげるだけでなく、心の中から清涼感が満ち溢れ出す。


研修施設の朝食

2010年08月06日 | 大学
 昨年のブログにも同じ研修施設の朝食をアップしたが、これは今年の朝食である。これぞ研修施設の朝食の王道。きっと限られた少ない予算の中でも試行錯誤してたどりついたメニューなのだろう。
 ぼくは研修施設の王道とも言えるこのメニューが好きである。学生たちにはちょっと量的に物足りない(「おかわりしたい」、とつぶやいていた学生あり)のかもしれないが、インドネシアの村落で調査しているときの朝食にくらべれば十分豪華である。
 となりのテーブルに座って子どものグループから「えー、こんなの無理」とか「ぼくはパンが食べたいよ」なんて不満の声が聞こえてくる。
 「君たちね、わがままを言っちゃいけないよ。家族旅行に来ているんじゃないんだからね。研修に来ている君たちは出されたものはちゃんと食べるんだ。これも研修の一環なんだよ。」

体育会系ではないのだが……

2010年08月06日 | 大学
 毎年8月恒例の民族音楽学のゼミ合宿が、沖縄県立の玉城にある青少年研修施設で行われた。ホテルや民宿と違い、基本的には研修施設であることから、起床、消灯時間があったり、冷房が夜1時で切れたり、部屋やトイレ、風呂掃除まで行わなくてはならないのだが、それでも2食ついて2,000円程度の宿泊費は貧乏ゼミにとっては最適である。
 一日目は机のある研修室で学生の発表を行ったのだが、二日目の午前中はどうも他の団体との関係で研修室が使えずに、プレールームに机と椅子を運んで行うことになった。当日、プレールームなる場所に行ってみると、なんと体育館ではないか。夏の体育館は「暑い」のである。もちろん冷房施設などはない。しかし文句を言っている場合ではないので、窓を開けて風通しをよくして、仮ゼミ体制を作り、ある論文をもとに討論を行ったのだった。
 なんだか広い体育館で10名が固まって真面目に民族音楽学の理論について討論をしている風景が面白い。民族音楽学は体育会系ではないにしても、民族音楽学のフィールドワークに出かけるとときには過酷である。夜中まで立ったままビデオをまわすこともあれば、とんでもなく暑い場所で観察しなくてはならぬこともある。そう考えると、なんだかこんな状況も民族音楽学ゼミには適切な場所なんじゃないかと笑ってしまう。