Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

明後日から予約開始です

2012年10月30日 | 東京

 12月7日(金)、8日(土)に師走恒例になりつつある渋谷、光塾でのワヤン上演を行います。今回は、ワヤン・トゥンジュク梅田一座による上演です。
 光塾のことを、「進学塾」だと考えていて、机をよけてそのスペースでワヤンをやるのではないかと思っている方がいるとしたら大間違い。光塾は、JR渋谷駅新南口から徒歩1分のフリースペースです。歩いて1分というのがすごい!新南口はハチ公口からは少し距離がありますが、JRでいらっしゃる方は湘南ライナーのホーム歩いていただければ、ほとんど駅の中の移動だけで光塾に到着できます。
 今回も一回の公演は45名限定です。もっと広いところでという要望もあるのですが、この師走公演だけは、寒い冬、みな肩を寄せ合って、人形に手が届きそうな雰囲気の中でワヤンを楽しみましょう。今、バリでは、伝統的なワヤンには45人なんて集まりません。日本ってすごいなあ。
 予約開始は明日から、メールにて受け付けます。定員に達したところで予約を締切ります。ご興味のある方は、ぜひ、お早目にご予約ください。
 なお申し込み等の詳細は、こちらのアドレスでご覧ください。
  http://blog.goo.ne.jp/wayangbali/


2012年10月29日 | バンバン!ケンバン♪はままつ

 私たちのワヤン・トゥンジュク一座は総勢7名。静岡在住のPが座長、あとは東京、神奈川、千葉、富山とメンバーは日本各地に点在。全員、グンデル・ワヤンを演奏し、ワヤン上演の前になると舞台稽古。新しいメンバーも加わりながら、もう約20年近く活動を続けています。まあ、ローリングストーンズにはぜんぜんかなわないけど。
 土曜日の練習、手作りお菓子を持ってくるメンバーもいれば、駄菓子、唐辛子煎餅、東京駅地下道のお菓子、地域密着型お菓子などなど、毎回、お菓子の花が咲きます。毎回、変わらないおしゃべり時間です。お菓子は全部、グンデル・ワヤンの鍵板の上。これって、いいんですか?うまくいえないけれど、ふんわりとした空気と暖かな時間が流れます。「さあ、また練習始めようよ」。
 一座の絆っていうのでしょうか?「絆」と一言でいっても、たくさんの絆があって、人間はきっと目にみえないたくさんの絆と結ばれているのです。一座の絆はその一つに過ぎないけれど、大事な絆、そして寛容で多くの人々を受け入れることのできる絆。頑丈な鎖と錠前でしっかり閉じられた世界で戯れる仲間は、「絆」では結ばれてはいません。絆は環を描かないんだよ。きっと絆とは、長い一本の見えない太い幹に温かい気持ちで寄り添っているようなものなのです。だから、誰とでも話ができるし、ちょっと出かけて、いつでも戻ってこられるのだから。鍵なんて最初から必要ないのです。


渋谷にて

2012年10月28日 | 東京

 「渋谷は人が多くて苦手」っていう人、よくいます。若い頃はいいけれど、やっぱり年を重ねるにつれて、駅前のスクランブル交差点なんてわたるだけで辟易するのかもしれません。でも、私は今なお渋谷が大好きです。若者でなくなった今も、渋谷に行くたびに心が踊ります。
 大好きな渋谷にはたくさんの思い出があります。渋谷は父の実家があった街。だから両親に手を引かれるくらい小さい頃からお正月には必ず渋谷に出かけ、毎年、急速に変わりゆく渋谷を脳裏に刻み込んできたのです。高校の頃は、レッスンに行く時必ず歩いた街、大学の頃はバイクで出かけたり、友達と遊んだ街。社会人になってからは、一人でさまよう街、嫌なことを忘れることのできる街。どれも大事な想い出ばかり。楽しい思い出も悲しい思い出も抱えきれないほど詰まった街。
 バスで浜松に帰る前、渋谷の街を散歩しました。いつもエッグカップを眺めるために寄り道するお店で、ポーランドの手書きのプレートを買いました。大好きな青が鮮やかなかわいいプレートです。きっと、これからこのお皿を眺めるたびに、2012年、50歳のPが出会った今日の渋谷の記憶が蘇るはずです。肌寒い秋の、小雨が降る渋谷、色とりどりの傘の花が咲くそんな風景が、雨に濡れたガラス窓を通して見たようにぼんやりと目に浮かぶはずです。


肩こり

2012年10月26日 | 家・わたくしごと

 肩こりがひどい。先月から論文締切、ワヤンの公演、申請書の締切など、とにかくものすごく集中してパソコンに一日15時間くらい向かい、ワヤンでは上演中は、腕を肩より下げられない。結論としては、「歳」である。こんなことなかったのにさ、悲しいよー。
 この肩こりをどのように解消するか? 沖縄にいるときは 「あのさ、悪いけど、ちょっと肩揉んでくれるかなあ」と、やさしく、丁寧に、礼儀正しく息子に擦り寄ることで解消できたのだった。先週も那覇に仕事に帰ったとき、中間試験中の息子の部屋に行ってお願いしたら、嫌ともいいともいわずに、ただだ黙って肩をもんでくれた。いい息子やー。我慢することを覚えんたんだねー。
 浜松はそんな息子がいない。だからといって大学のすぐ側や浜松駅前にある大手家電量販店にいって、肩もみチェアーに座わるなんて、いつどんな学生や教員が来るかわからないからできない。「お金」を払ってマッサージに行くにも抵抗がある。仕方がないのでネットで肩こり解消法を調べるのだが、結局、またパソコンに向かっている。どんどん肩こりひどくなる。明日は稽古だから東京の実家に帰るけれど、だからって80歳に手が届きそうな両親に息子が肩を揉んでもらうなんて、こりゃ、相当な親不孝だ。「逆だろ!」

 


通路とは?

2012年10月24日 | 浜松・静岡

 私が住むマンションのエレベーターには小さな掲示板があって、住民にとって必要な連絡はそこで読めるようになっている。工事の連絡とか、町内会のイベントだとか、とくに知らなくても生き死にかかわらないような他愛もない連絡板である。そうわかっていて、仕事帰りの住民は疲れ切った姿で、買い物袋やカバンを片手にそんな掲示板をボンヤリ眺める。そういう私だって、そんな一人である。

 最近、消防署がマンションを点検して、「通路」に置かれた自転車を、消防上の理由から撤去するように指導したらしい。そんなことが几帳面にワープロソフトで作られたお知らせとして貼られていた。作った人間の性格が、こんなプリント一枚からでもにじみ出ているものだ。翌日、その紙の下に誰かの字で「通路の定義とは何か?」みたいな書き込みがされていた。きっと異質な「手書き」文字を誰もが目にしたはずだろう。数日後、その横に「そんなのきまってんだろ」という殴り書きが加えられた。よくある落書きの連鎖みたいなものだ。字体は明らかに違うから、「自作自演」ではない(これが自作自演だったら、私はこの人を探し出して友達申請をするだろう)。この二つの落書きを見たほとんどの人ーー私と書き込みをした二人を除くーーは、おもわず額にしわを寄せるか、何事もなかったように見ないふりをして、それともそんないざこざには巻き込まれたくないと思いながら、エレベーターを降りていったに違いない。

 しかし私はそんな「言葉のやりとり」を見ていると、1960年代後半の新宿駅西口を映し出した白黒のニュース映像が頭によぎるのだ。警察官による「ここは広場ではない。通路である」という理不尽で、抑揚のない無味乾燥なアナウンスとともに、ギターを抱えた若者たちがその怒りの矛先を、権力という「見えない敵」に向けていたそんな時代を思い浮かべるのだ。「広場」は、権力によっていつのまにか「通路」にもなりえる。だから「通路」の定義をすることは、そう簡単じゃない。概念規定なんて、都合のいいように作り変えられものだ。だから、私は自分が住むマンションの「通路の定義」について、真剣に向かいあってしまった。

 きのうエレベーターに乗ると、その「言葉のやりとり」の部分は、丁寧に、きっとカッターと定規を使って、実に美しく切りとられていた(せめてちょっと人間味を出して、ハサミで切ってほしかった)。あの几帳面な「作成者」が処理したに違いない。「何ごともなかった。あれは夢だったんだよ」と数センチほど縮んだ張り紙が呟いている。きっと、住民はいつのまにか、馬鹿げた落書きのことなんて忘れるに違いない。だいたい最初から忘れたかったのだから。しかし、私は、今なお「通路とは?」という問いにふさわしい回答を探し続けながらもまともな答えを引き出せず、悶々とした気持ちで、エレベーターを降り続けている。そして自らの発言が抹消されたカレ、あるいはカノジョもまた、私と同じように、「通路」の問いの深みにはまって、もう「迷路」をさまよっているかのごとく、堂々巡りを繰り返しているに違いない。


寒い朝、爽やかな朝に思うこと

2012年10月24日 | 家・わたくしごと

  朝5時半に目が覚める。昨晩、はじめて布団を一枚増やして休んだせいだろうか、なんだか体がポカポカする。いつものように部屋に外の空気を迎え入れるため、テラスのサッシを全開。この秋一番のひんやりする朝、爽やかな朝。
 昨日、学生に「先生のゼミは面白そうだけど、すぐに役に立たない気がする。やっぱり政策系のゼミの方が将来に向けての提言ができるから。」そんな内容の話をされた。授業と授業の合間の雑談での話だったけれど、なんだかそのことが頭から離れなくて、昨晩は締切の仕事に向いながらも、気がつくとそのことを考えていた。
 「すぐに役に立ちそうかどうか」という基準で研究テーマについて考えたことはなかった。3月まで教えていた大学で、今すぐ社会の役に立つかどうか、という観点から研究内容を選ぶ学生なんて聞いたこともなかったからだ。でも、はじめて自分の大学が「文化政策学部」であることを強く認識した。
 「好きなことをやればいいんですよ。」と私は答えたと思うし、別に動揺したわけではない。その通りだ。役に立つかどうかじゃなくて、好きなことに取り組むこと。それにしても、なんてしっかりした学生なんだろうと感心してしまう。私が教える音楽学は「今、社会を変えるための提言」をするわけじゃなし、「社会の仕組み」を変える学問じゃない。でも、そんな社会や文化に取り組む政策にとっても、音楽学的な研究はいつかきっと、そんな政策に貢献することもあると思うよ。
 そんなこと、肌寒いベランダに出てぼんやり考えた。「ふーん」って首を縦に小刻みに振ってみた。なんだか、ちょっとだけ楽しくなってきたよ。いろいろな学生がいて、いろいろなことを教えてくれる。
 「今週の締切の仕事が終わったら、もっと、もっと楽しくなれるよ。楽になれるよ。」(誰だー、そんなこというやつは!)
 

 

 


自分に戻る、自分に帰る

2012年10月23日 | 家・わたくしごと

 昨日、浜松に来てくれたNさんと授業でグンデル・ワヤンを演奏しました。きっと学生たちにとっては、CDやビデオを見るだけの授業よりは面白かっただろうし、ボクも実際に演奏した音楽を通していろいろなことを授業で伝えられたと思うのです。
 しかし、それ以上に、ボクはこの大学に赴任してから重くのしかかっていた「何か」が、この授業を終えたあと、不思議なくらいにすっかり消え去って、ちょっと大げさかもしれませんが、まるで自分が別人になったようなそんな気分になれたのです。日曜日にワヤンの上演があって、ボク自身がその延長上にあって、ワヤン・ハイの状態が続いていたからかもしれません。でもボクは、大学という社会の中で、もう一人の「ボク」を誰にも気づかれないように机の奥にしまって、時々、その存在を確認する程度にちらりと覗き込む日々を送り、楽器だけ研究室に並べて眺めることで、満足しようとしていたのではないかと…。
 ぼくはガムラン奏者です。ダランです。いいじゃないですか。嘘じゃないんだから。「研究者なんですか?パフォーマーなんですか?」なんて質問は、きわめてナンセンスです。オルタナティブを好む日本人からみれば、「どっちつかずな奴」に見えるんでしょうね。どうぞご自由に。ぼくはこうして生きてきました。だからこれからもこのまま生き続けます。だから昨日、ボクは自分に戻れました。自分に帰れました。


バンケン♪が終わって

2012年10月22日 | バンバン!ケンバン♪はままつ

 土日に浜松の勤務校を中心に実施された「バンケン♪」が終了しました。おいでくださった皆様、本当にありがとうございました。私は昨日、ワヤンの公演でしたから、土曜日に開催されたシンポジウムだけの参加でしたが、きっと多くの皆様にお越しいただいたと思います。一日目の栗コーダーカルテットの公演は大入り満員でしたし、私の友人は2公演を両方見てCD購入、サインも入れてもらったようです。
 大正琴のシンポジウムは大入り満員とはいかなかったけれど、いつか、この話題でたくさんの人に集まっていただけるようにしっかり研究、がんばります。ガムランだってワヤンだって、初めはみなそんなもの。やり続けることで、いろいろな方に興味を持ってもらえるもの。だから、「がんばるぞ」という気持ちになります。遠くからいらしてくださった先生方、そしてお手伝いしてくださった学生たちには、感謝、感謝。
 ちょっぴり学生たちは「バンケン♪」終わって気抜けしちゃったかもね。ボクにも、そんな経験あります。なんだか突然、目の前の目標がなくなって茫然自失みたいな?ダメダメ!そんこと言って立ち止まっちゃ!新しい目標に向かって突っ走れ。ボクは次の原稿締切だってあるし、12月の東京公演の演目の練習もこれからが佳境。2月には名古屋公演に続いて、短縮バージョンですが浜松でワヤンデビュー。もっともっと自分の技量を磨かないと。だから、頑張ります。しばらくの間、突っ走ります。


ありがとうございました

2012年10月21日 | 東京

 東京でのワヤン公演、無事終了しました。お忙しい中、いらしてくださった方々、ありがとうございました。この演目はもう10回以上上演しましたが、毎回、新しい試みを取り入れながらの上演です。今回も森のシーンなどでちょっと変わった演出をしてみました。あとは、デレムが穴に落ちちゃった演出。あれはもっと工夫して、次回はグレードアップするよ。
 今回、バリスのクンダン奏者の名前、Tidak Bagus Umedaではなく、Tiida Bagus (ティーダ・バグース)であることが判明。皆間違わないでね。
 次回の公演、12月7日、8日は今日の続きです。もちろん今日の上演を見ていなくても十分に楽しめます。次の演奏は「グンデル・トゥンジュク」。今日のバテルとはまた違った音世界を楽しんでいただけます。今日の公演ではお世話になった方、久しぶりのお友達などにたくさんお会いすることができました。皆さん、本当にありがとうございました。


週末始まるでー

2012年10月20日 | 家・わたくしごと

 ディープな週末がはじまります。本日、浜松で「バンケン♪」開催。日本は台風一過、天気快晴。浜松の家から最高の朝日が拝めるぜ。昨日から業者や学生たちの仕込みで会場は(たぶん)バッチリ。さあ、浜松周辺の皆さん、始まりまっせ。
 さあさあ、そしてワヤン・ファンの皆様方。明日がワヤンでっせ。演目は「アルジュナの瞑想」。ガムランはもう最初からトップギアーでぶっ飛ばします。すごいです。はじけます。はじけてください。はじけていいんです。
 ちなみに、デレム、今回も新たなクンダン奏者 Tidak Bagus Umedaを迎えてバリスを踊ります。クンダン、普段以上に冴えてます。今日のシンポジウムで思わず口走らないか、心配です。いいんです。もうシンポもワヤンも一心同体。同じカタカタ三文字じゃねえか。しゃべることにはかわりねえ。さあ、週末始まるでー。みんな一緒に頑張ってやー。