Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

金平糖を買う

2008年05月31日 | 
 今回、学会で京都大学に行くついでに寄りたかったのが、日本で唯一つの金平糖専門店、「緑寿庵清水(ろくじゅあんしみず)」である。一度だけ行ったことがあるが、手作りの金平糖であるため、普段はお店に品物があまり置かれていないのだ。必要ならば、予約が基本である。京都大学の正門から10分足らずの場所にあることから、学会の昼休みにお店をのぞいてみた。
 お店に入ると、季節の金平糖を一粒、手のひらにおいてくれる。一口食べただけで、普通、あちこちのお菓子屋に売られている金平糖とはまったく違うものであることがわかる。それほど上等な味なのだ。これはブログでは伝えられない。運がいいことに、明日の6月1日から並ぶ季節の金平糖が売られ始めていた。なんという幸運!「今日はお店に品物がある方なんです。天気もよくないし」と店屋の人がいう。これでわが家へのお土産はバッチリである。
 それにしても京都はお土産に困らない街だ。あとはガムラン・メンバーと大学へのお菓子。時間がありさえすれば、お菓子を選ぶのもまた出張の楽しみである。そうだ、ガムランの連中は、「おたべは、もういらないよ」とぬかしおっていたな。生意気な連中や。

神戸空港から三ノ宮を通過して

2008年05月30日 | 
 明日から京都大学で学会があって、神戸空港経由で京都に向かう。というのも、那覇から関西に向かう便の大半は関空か神戸であって、伊丹便は一日一便。とにかく那覇から京都に行くとなるとかなり不便なのである。
 神戸空港の利用は数回目だが、いつも到着するやすぐにポートライナーで三ノ宮駅まで行って阪急電鉄に乗り換えるだけ。スルーするだけである。それにしてもいつも思うのだが、三ノ宮がかつて震災で大被害を受けた場所なんて見る限りまったくわからない。あの震災から長い時間を経て復興したのは当たり前だが、その場にいて復興のプロセスを見続けなければ、震災の映像と今の映像の間の距離はまったく見えてこない。
 そんな神戸のことを考えながら、今日も三ノ宮をスルーしているときにかみさんから携帯に電話がかかる。
 「どうして、今日に限って神戸空港なわけ?関西空港にヨン様が来てるのよ。まったく、もう・・・」
 そうですか。タイミング悪かったですね。私として、今回は本当に神戸空港でよかったです。ヨン様の写真撮影して来い、なんて言われたらもうたいへんですから。

お気に入りの場所

2008年05月28日 | 那覇、沖縄
 毎日、ウォーキングをする道の脇にお気に入りの場所がある。場所というよりも風景である。造園屋さんの石置き場なのだが、ここだけ見ると、なんだか沖縄の道路脇ではなく、高い山の尾根の風景のようにみえるのである。そう思うと、毎日一回、沖縄で山歩きをしているような気分になり、歩くのが楽しくなるのだ。
 不思議なもので、かみさんと数日前に車でこの道を通ったとき、「私、あの石の置いてあるところの景色が山みたいでとてもきれいだと思うの」と言ったのだった。私はそんなことを一度も話したことがなく、しかもかみさんは歩いた経験もなく、その道を車で通っているだけなのに、やはりその景色に気づいて、同じような感想を持っていた。
 今朝、大学に行く前遠回りをして、この景色をいかにも高い山の風景のように撮影してみたくなった。ファインダーを向けると、「うーん・・・」。やっぱりここは沖縄である。それにしてもまあ、石の中にどうしてこんな園芸屋で売っているような花が咲いているんだろうか?以前は花壇だったのか、それとも高山の風景を作るために、わざわざ石の間にこんな花を植えたのだろうか?


梅雨の玄関飾り

2008年05月27日 | 玄関飾り
 沖縄は数日前から梅雨に入った。そのとたんものすごい蒸し暑さで、とにかく家にいても研究室にいても汗が噴出してくる。東南アジアの音楽研究者がこれしきの暑さに負けてどうするか!とクーラーのリモコンに手を触れずにこれまでがんばってきたが、そんな努力もむなしく、除湿のスイッチを入れてしまった。10分もすると今度は快適すぎて、授業で使った本を図書館に返すために外出するのも面倒になる。いかん、いかん・・・。
 さて梅雨入りすると同時に、わが家の玄関飾りは、カエルとスイレンの立体的な飾りで縁取られた写真立てがお目見えした。なるほど、梅雨にカエルとスイレンとはなかなかイキな計らいである。たしかに季節感たっぷりといえる。この写真立ては、オランダの大学町ライデンにある動物をモチーフした小物を売る店でかみさんが購入したもので、久しぶりに写真立てを見るとそんなライデンの町並みが蘇って来る。大学から駅に行きときよくこの店の前を通り、たまに店屋を覗いたものだ。
 この写真立て、実はまだ写真が入れられていない。つまり写真立てとしての機能はまだ果たしていないことになる。しかし、重要なのは梅雨とカエル、つまり写真立ての飾りなのである。写真が入るとその縁取りの意味が薄らいでしまうではないか。ということで、わが家では梅雨が明けるまでの当分の間、写真ではなく、写真立てを楽しむことになりそうである。

二種類の『グレート・ギャツビー』

2008年05月25日 | 
 先週の出張で、だいぶ以前に古書店で買ったフィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』(野崎孝訳)を読み終えた。実のところこの本を読むのは二度目で、10数年前に読んだことがあり、きっと実家の本棚にはそのときの文庫本がまだ眠っているだろう。フィッツジェラルドは好きな小説家の一人で、この『グレート・ギャツビー』は原書を持っているくらいである。彼の言葉遣い、会話表現は、なんだか複数の螺旋が絡み合っているようで、最初はとっつきにくいのだが、徐々に慣れてくると、それが私には心地よい表現になる。
 去年だったか、一昨年だったか、村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』が出版されたことは知っていたが、まだ買ってもいなかった。久しぶりにこの本を読んでから、ついでに村上春樹訳版も読んでみようと沖縄の本屋を数件まわって、やっとこの本を手に入れる。東京と違って、大きな本屋が少ない沖縄では、ネットで購入すれば欲しい本は数日で手に入るが、今すぐ読みたいと思うとなかなかたいへんである。
 今日から村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』を読み始めた。すぐに思ったことだが、この本はまるで村上春樹の小説を読むようなリズムを感じるのだ。もちろんストーリーは知っているが、それは私が知っている『グレート・ギャツビー』とはまるで別もののようだ。翻訳というのは、本当に原著の小説を大きく左右してしまうものだということを実感する。今夜、私は締め切りの仕事に取り組むために、この小説を読みたいという欲望をいかに断ち切るべきだろうか?


また朝マックへ

2008年05月24日 | 家・わたくしごと
 マック(関西圏ではマクドとよぶが、私は関東人なので・・・)は私の訪れたことのあるどの国にも存在し、それなりにどこでも賑わいをみせている。北アメリカ発祥のチェーン店は、今やアジアにもヨーロッパにも展開して、ハンバーガーとコカコーラというグローバルな食べ物を提供するのである。「帝国主義的である」と批判する向きもあるだろうが、そう思うならその人が行かなければいいだけである。
 グローバルで帝国主義的だといわれる一方、「てりやきバーガー」「チキンタツタ」など妙にグローカルなハンバーガーもあることは興味深い。インドネシアのマックなどは、日本以上にインドネシア化したメニューが豊富である。ハンバーガーはグローバル化したファーストフードだろうが個々に見ればそんな簡単には説明がつかないものだ。
 そのマックに朝かみさんと出かけた。二週間前に何年かぶりに朝マックに行ったことで味をしめたのである。「旨いのか?」と言われると、まあ、「普通」と答えるしかないのであるが、やはり外で朝を食べるというのはマックであれ、高級ホテルであれ、なんとなくリッチな気持ちになれるのだ。
 私が子どもの頃、私の家族は、父の運転で休日に、東京都下からわざわざ富士五湖の一つ、山中湖畔の高級なホテルまで朝暗いうちに車を飛ばし、朝食をホテルのロビーで食べて帰ってきたことが何回かあった。景色を眺めながらゆっくり朝食をとって帰るのである。いわゆる朝食目的のドライブである。私の朝食は、割引券を使った一人260円の朝マックであり、決して高級ホテル並みとはいえないが、それでも非日常的な、至福の朝を感じられるわけで、庶民の私にはこんな「贅沢な」朝食もたまには必要である。


片付けること

2008年05月23日 | 大学
 3月に研究室を片付けてから2ヶ月。訪れる学生達が異口同音に「先生、まだ研究室すごくきれいですね。」と言っていく。「まだ」という言葉が加わるのがやや不満であるが、昨年度までの私の部屋の状況を知る学生にとっては、やはり付けたくなるのはしかたがあるまい。
  昨日、家のリフォームの番組を見ていた。その中である家の持ち主が「なんだか、リフォームをしてもらったら部屋が見違えるようで、それまで掃除が嫌いだったのに、リフォームした後から掃除をするのが大好きになって、いつもきれいにするようになったんです。昔の三倍くらいは掃除するようになったかもしれません。」と答えていた。その番組を見ていたときは特に何も思わなかったのだが、夜、布団に横になったとき、「そうだ、ぼくはこの家の持ち主と同じ気持ちなんだ。」ということに気づいた。
  一度、きれいにしてしまうと、それが汚れていくのが忍びない。私も以前に比べれば、3倍どころか、20倍以上は掃除をするようになっている。とにかく机の上に必要以上のモノが置かれるのが耐えられなくなり、あらゆる書類は分類してファイリングされている。それも、書類を受領した日から翌朝の間にやらないと気がすまなくなっている。それにしても、そんな自分が存在しているなんて、まるで信じられない。私の中のジキルとハイドがこんな所で顔を覗かせるなんて。


またまたアンブロ

2008年05月22日 | 家・わたくしごと
私「アンブロのロゴの入った定規が学研から出ているんですけど」
文具屋のおじさん「あ、そうですか。うちには入ってないなあ。ボールペンとか筆入れとかは置いてあるんですけどね。」
私「それ、注文して欲しいんですが・・・」
文具屋のおじさん「そういうのって、10本単位じゃないと注文できないんですよ。まさか、10本もいらないでしょう?」
私「色違い1本ずつなら・・・」
文具屋のおじさん「注文は難しいなあ」
私「いやいや、今、アンブロは人気ですから、店に入れたら絶対売り切れますよ。あっという間ですよ。」
文具屋のおじさん「(ちょっぴり笑って)じゃあ、注文しときましょうね。」
 という会話をかわしたのが十日ほど前のこと。二日前にかみさんが、店屋に届いていたといって定規を2本買ってきたのだった。私のものは息子に誕生日プレゼントでもらったボールペンとマークの色がお揃いである。大満足。
  しかし気がかりなことが一つ。本当に店屋に置いてある残りの定規は売れるのだろうか?ぼくは何の確証のないまま「すぐに売れる」という嘘を言ってしまったのだから。なんだか怖くて、その文房具にはまだ足を向けられないのである。



太陽の塔

2008年05月20日 | 
 モノレールの万博記念公園駅で降りると、すぐに大きな太陽の塔が見える。岡本太郎のデザインした1970年の大阪万博シンボルである。小学校低学年の子どもから、高校生や大学生のカップルからも「太陽の塔」という言葉が聞こえてくる。しかしこの子どもたちのどれほどがこの塔と1970年の大阪万博との関係を知っているだろうか?
 小学2年の私が父と最初に大阪を訪れたのはこの万博だった。記憶は断片的だが、それでも太陽の塔の印象は今なお鮮明である。正直、万博を訪れた後の私にとって大阪の象徴こそが、この太陽の塔といっても過言ではなかったのだ。というのも、大阪ミナミやキタの「大阪らしさ」を実感したのは30歳を過ぎてから大阪の大学院に来るようになってからで、相当に後のことである。そのときになって、太陽の塔が大阪市内から相当に離れていることを知って驚いたほどである。
 しかし今、私にとって太陽の塔は、「後悔」の象徴である。万博記念公園の中にあった私の大学院の研究室からは本当に目の前にこの塔の後姿が見えた。博士課程時代の私は、研究の方法論の変更やテーマの扱いについて頭を抱え続けた。そんな「迷路」の中にあの太陽の塔が、あたかもいく手を阻むようにしてどっかりとそびえていた。後姿の中央に黒で描かれた太陽と炎のようなダークグリーンの模様は私の脳裏から今なお離れない。あの時もっとがんばっていれば、もっと前向きに研究に取り組んでいれば・・・と思い出すものは研究の楽しさよりも「後悔」ばかりである。
 万博公園を訪れるたびに思う。「もう十分、太陽の塔を後ろから見たじゃないか。1970年の私が見たように、また真正面から素直な気持ちで、太陽の塔に向かいあわなくちゃいけないんだ。」そんな気持ちで太陽の塔の正面にファインダーを向けた。考えてみると、私はこれまで一度も太陽の塔を撮影したことがないことに気づく。すぐ隣で小さな子どもが太陽の塔の指差してたどたどしい言葉で叫んだ。
「おかあさん。あの大きなお人形のお顔、笑ってる?」
親に代わって私が答えた。
「笑ってるんだよ。だって太陽だもの。太陽はいつも笑っているんだよ。」
 見も知らぬ者の答えに驚いて凍りついたように固まっている子どもに代わって、その母親は、私に微笑んで会釈をする・・・。


リベンジのイカ焼き

2008年05月19日 | 
 先月末に子どもと大阪に行ったとき、観光名所として名高い阪神百貨店のフードコートの中の「イカ焼き」を食べようと地下1階の売り場を訪れたのだが、連休だったこともあって100人以上の人が並んでいたのであきらめた。自分の名前を入れたキーホルダーを買うのにディズニーランドで1時間半並んだ経験のある私は、100人以上でも「食べる」と決めたら並ぶのであるが、この日は次の予定があって断念せざるを得なかったのである。
 私は3週間前のその時の「悔しさ」が脳裏に焼きつき、今回そのリベンジを果たすと心に決めていた。1時から始まる会議を前に、私は「イカ焼き」を昼食にしようと決め、11時半、再び阪神百貨店のフードコートを訪れる。そして躊躇することなく列の最後尾についた。それでも前回とは比較にならないほど客は少ない。7、8分並んで私は「イカ焼き」を二枚ゲットできたのだった。
 さて、どこで食べようかと考え、外に出た。とにかく早く食べたいのである。御堂筋の街路樹の木陰の縁石に腰を下ろして包みを開けた。周りに人がいようともう全く気にならない。そして一口それを口にした時、私はやっとリベンジを果たしたのだ。しかしそれと同時に、この「イカ焼き」を口に出来なかった息子に対する罪悪感にさいなまれたことはいうまでもない。