Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

玄関飾りの「端午の節句」バージョン

2008年04月30日 | 家・わたくしごと
 子どもの日が近づいてきた。わが家の玄関飾りは、桜バージョンから、端午の節句バージョンへと様変わりである。三つの人形はどれもモダンな「五月人形」で、高価なものではないにしても、やはり息子のいるわが家には欠かせない人形である。
 今や五月人形を飾る意味などはとっくに忘れ去られてしまって、季節を表す飾り物へと変貌してしまったのかもしれない。「女の子」がいる家にはひな祭り人形、「男の子」がいる家には五月人形というのが常識なのだろうが、私には春めいて梅が咲き、桜の時期が近づく季節にはひな祭り、そして新緑であふれる季節が端午の節句。
 沖縄で新緑に溢れた野山を眺めるのはちょっぴり難しいけれど、それでも子どもの日からイメージできる色は、枝から芽吹いたばかりの一面の若い緑。玄関の五月人形を眺めながら、昨日、思い切り堪能した比叡山の緑が脳裏に蘇った。

くいだおれ人形+阪神タイガース

2008年04月29日 | 
 関西空港からのJTA最終便で大阪から戻る。今回は偶然にも「くいだおれ」が閉店するとのことで、じっくり「くいだおれ人形」を拝んできた。いつもはこれほどでもないのにやはり「くいだおれ人形」を見る観光客で人形の周りはごったがえしていた。しかし「くいだおれ」に客が入っていたかどうかはさだかではない。だいたい、あの周りは「たこ焼き」「イカ焼き」「お好み焼き」など「粉モノ」の名店が多いため、「くいだおれ」に観光客はいかないだろう。だいたい、人形の名前は知っていても「くいだおれ」が店名だということを知らなかった人もいるらしいから。
 さて私もこの「くいだおれ人形」グッズを一つゲットした。なんと息子と一つずつ買ってしまったのは、阪神タイガーのハッピをきて、左手には応援グッズを持った「くいだおれ人形」キーホルダーであり、これは阪神百貨店の阪神タイガースショップで購入したものである。ちなみに今回の大阪滞在中、自分に買った唯一の土産である。わが家の飾り棚に入れておきたいほどの一生ものの土産でもある。

 

おでかけ準備

2008年04月25日 | 家・わたくしごと
 明日から子どもと二人でおでかけ。家族で皆で旅することはあるが、考えてみると子どもと二人だけで飛行機に乗るのは初めてだし、ホテルに泊まるのもまた初めてである。少しドキドキする。
 子どもは自分の荷物をリュックに詰めた後、明日の何時の飛行機にのって、電車にのって、どこで何を食べて・・・と完璧な計画を立てている。まるで修学旅行か団体ツアーのような予定が組まれているのだ。息子は寝る前に、ノートに書かれた明日の予定を読み上げた。
 子どもがそれを読み終えた後、私はこういった。
「でもそれは予定だよ。予定は変わるかもしれないんだ。」
 その言葉を聞いて子どもは少し不服そうだった。今はこれまでとしよう。あと何年かすれば「無計画という計画」があることもわかるだろうから。

鯉のぼり

2008年04月24日 | 那覇、沖縄
 子どもの頃、5月5日が近づくと、あちこちの家の庭には大きな鯉のぼりが、広い空に泳いでいた。鯉のぼりが無い代わりに、わが家にはいつもりっぱな兜が飾られたのだが、それでも風に揺らぐ鯉のぼりを羨ましく眺めていたのを記憶する。しかし、いつのまにか東京都下ではそんな大きな鯉のぼりを上げる家も少なくなった。
 今日の昼のニュースでは、那覇市役所の前に数十匹の鯉のぼりが飾られたことが話題になって映像が流された。そんな鯉のぼりを見挙げながら、幼稚園や保育園の子ども達が「屋根より高い鯉のぼり・・・」と大声で童謡を歌っている。そんな昔の歌を今の子ども達も歌うことに感心した。
 しかし、そんな歌を聴きながら考えてみる。今の鯉のぼりはもう「屋根より高い」ところで泳ぐことが少なくなった。また「大きな真鯉はおとうさん、ちいさい緋鯉は子ども達」という表現は、那覇市役所の前に飾られたようなたくさんの鯉のぼりを想定した歌ではない。たいてい鯉のぼりというのは、写真にみられるように日本の核家族のように黒、赤、青とせいぜい4匹の鯉が長いポールに縛り付けられて縦に並んでいたものである。そんな風景が童謡「鯉のぼり」のイメージなのではなかろうか?地方自治体が演出するような長いロープに数十の鯉が縛り付けられている、まるで鯉の大群のような鯉のぼりは、新たなコンテクストで生まれた鯉のぼりの在りようなのだろうか?

ガムランを聴く

2008年04月21日 | 大学
 沖縄ではたいていガムランは「ひく(たたく)」ものであって、聴くことは少ない。きのうは、私が顧問を務める大学のジャワ・ガムランのグループ「ソンゴ」の新入生歓迎演奏会があって、久しぶりにガムランの観客となった。
 たいていバリのガムランを演奏するものは、ジャワのガムランは演奏しない。もちろん逆もそうである。バリがヒンドゥーでジャワがイスラムという宗教的な理由からではないのだが、やはり奏でられる音楽の雰囲気はかなり異なっている。しかし驚く無かれ、わが大学のジャワ・ガムラングループには二人の両刀遣いがいあるのである。しかもバリのガムランの中心選手である。これには教員である私も脱帽で、私もジャワに挑戦したことはあるのだが、やはりその音楽についていけないのだ。あのまったりしたジャワの空気が先入観として頭にあるのがいけないのか、それとも音楽が合わないのか、自分にはよくわからない。
 夜風の中、50人以上は集まった観客は心地よくジャワ・ガムランの深遠な調べを静かに楽しんだ。演奏はしないものの、聞くのは大好きな音楽である。サークルの学生達ががんばっている姿を見るのも嬉しい。沖縄はもう野外コンサートができる季節・・・。


釣りで勝負

2008年04月20日 | 家・わたくしごと
 久しぶりに息子と釣りに出かけた。といっても海とか川ではなくて、公園の池である。しかも釣れる魚はインドネシアで食用のティラピアである。インドネシアでは私の大好物であるのだが、さすがにこの池で釣れた魚を油で揚げて食べようとは思わない。
 どっちが大きなティラピアを釣るか、が本日の勝負である。つまり何匹釣ったかは勝敗には無関係だ。そうは言ったものの昼間は結構暑い沖縄。しかも太陽がカンカンに照りつける中での釣り。こちらも暑いが魚だって暑いにきまっている。深い場所に移動したのかなかなか釣れるものではない。そんな中でも20センチ強のティラピアを釣り上げた私は、これで勝利と思い、4時前には切り上げて息子の釣りの見学を始めた。
 ところがである。夕方になると魚はまた釣れはじめ、とうとう息子はプレコまで釣り上げてしまった。この池でプレコはなかなか釣れない魚で、釣れた魚の種類というのは勝負とは関係ないはずだったのだが、ここで急遽ルールが変更され、ティラピアしか釣れなかった私の敗北となったのであった。仕方なくアイスを奢る。息子に負けるというのは、それなりに悔しいものである。


たくさんのインドネシア人と

2008年04月19日 | 那覇、沖縄
 沖縄にはインドネシア人の在住者が多いらしい。「らしい」というのは、他県のデータを調べたわけではないからである。もちろん東京や大阪といった大都市圏にはたくさんのインドネシア人が住んでいるのだろうが、地方としてはそれなりに多いということなんだろう。
 沖縄には「沖縄インドネシア友好協会」という組織が20年前からあって積極的に活動し、留学生や在住インドネシア人のお世話をしたり、交流会を開いたりしているのである。その毎年一度の交流会が開催された。今年はあまり大掛かりには行われなかったのだが、それでも100人以上の留学生や在住者、それに東京の在日インドネシア大使館からも来賓数名が集まった。インドネシア以外でこんなに多くのインドネシア人と出会うなんて沖縄以外では経験がない。
 今年はインドネシア・日本の友好50周年にあたり、その御祝いもかねて、「ナシ・クニン」が準備された。インドネシアではお祝い事には欠かせないもので、三角錐の形に盛られた黄色いご飯のとんがり部分を主催者などが切り取ってパーティーが開始されるのである。切り取るところを写真に収めようと思いきや、もうたくさんのインドネシア人のカメラが・・・。あきらめて切り取られた後のナシ・クニンを撮影したのであった。たくさんのインドネシア語を耳にしてなんだか幸せな気分。

Gaku Gaku Cafe

2008年04月16日 | 大学
 3月に音楽学の専攻主任が突然、学内で時間を決めてカフェでもやろう、と言い始めた。その名はGaku Gaku Café。はじめは何のことだかよく理解できなかったのだが、たまには音楽学の学生が全学年、集まることのできる時間を作ろうということだった。
  Gaku Gakuというのは、私たちの大学における「音楽学」の省略形「楽学」のこと。音楽学は1年から4年まで学生を全員合わせても15,6人という小さな所帯なのだが、授業が専門により細分化されていて、全員が集まるなんてことは滅多にない。不思議なもので私も自分の授業をとらなければ2年生からはすれ違う程度なのである。マンモス大学では驚くようなこともないが、15人の大学でも同じというのは不思議である。
 さて、そのGaku Gaku Caféが学生食堂で昨日、1時間半の時間限定で開店し、専攻主任が自らコーヒーを入れるマスターとなった。どんなことになるのだろうと思いながら、お菓子を持って足を運んだのだが、そんな思いは取り越し苦労。新任の教員、入学したばかりの一年生から博士課程の学生まで集まってきて、和気藹々とした時間が流れた。
 ふと考えてみると、私の学生時代の音楽学は夏に合宿をやっていたわけだし、そうしたお金のかかるイベントがこの大学には無い分、Gaku Gaku Caféもいいんじゃありませんか?



ボルコムのラグタイム

2008年04月14日 | CD・DVD・カセット・レコード
 1ヶ月ほど前に注文して、待ちに待っていたボルコムのラグタイム全集の2枚組CDが届いた。とにかく早く聞きたくて、今日の授業が終わるや否や、楽譜を見ながらボルコムの音楽世界に浸る。
 ボルコムは現代のラグタイム作曲家、ピアニストである。数年前にピアニスト池宮正治のCDで聞いてからすっかりはまってしまった。スコット・ジョップリンや、ジェームス・スコットの古典的なラグとは使われる和音やメロディー構造が違っていて、そのせいかとても新鮮に聞こえるラグタイムである。
 楽譜にはSLOW DRAGと注意書きされている曲がいくつもある。ラグはなんとなくリズミックで早めの曲をイメージさせるが、彼のラグの多くはアメリカ音楽というより、フランス音楽の香りが漂う。ラグタイムは、一度は音楽世界から忘れ去られた音楽である。それが現代によみがえり、今なお形を変えながらも新しい音楽として息づいているのは、ラグタイムファンには嬉しいことである。


放っておいても・・・

2008年04月13日 | 家・わたくしごと
 今年もわが家の蘭が咲いた。実は毎年、水をやり、陽にあてているだけなのだが、不思議と花を咲かせるのである。花が咲くと、やはり誰かに見てもらいたいという欲求から、玄関に鉢を移動する。といっても最上階の端に位置するわが家の玄関にやってくるのは、朝夕の新聞屋さんと、たまにやってくる宅配便のお兄さんくらいだが。
 30年近く前だろうか、今はもう亡くなった祖父が、一生懸命、蘭の花を栽培していたのを記憶している。その頃、蘭の花は高級な花で、今のようにどこかしこで見られるような花ではなかった。それがバイオテクノロジーの発展もあいまって、今では蘭は、珍しい高級花ではなくなった。
 しかし蘭の花を見ると、私はいつもやさしかった祖父の笑顔が蘇る。家庭用の温室の中に小さな苗を数十鉢並べて、「この株からあと5,6年したら花が咲くのだ」といっていた祖父の根気のよさを思い出す。演奏でも長くて1年、普段は1ヶ月、2週間といった締め切りを追っかけながら生活している私には、祖父のような植物学者の「根気のよさ」には脱帽である。残念ながら私には植物学者の能力は備わっていなかったとみえる。